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(9)別に趣味でやってるわけじゃないよ

 まずい。

 これはかなりまずい。


(なんでこうなった?)


 計画は順調に進んでいたのだ。

 氷見と二人で日直となった放課後。


 日誌の記入と教室の消灯を氷見に押しつけ、俺は「腹が痛い」と言ってトイレに(こも)った。


 腹痛でトイレに行った奴が戻ってきたら、なんとなく近寄りがたいものだ。

 かといって、責めることもできないし、氷見の性格から考えても言いふらしたりはしない。

 つまり、氷見だけが内心で『何よ、この人。頼りにならないんだから。』と憤慨する。

 実にちょうどいい。我ながら、いいアイデアを思いついたものだ。


 そう思って、頃合いを見計らって教室に戻ろうとしたら、氷見が重そうなゴミ箱を一生懸命運んでいた。

 どうせ数日間、溜めこんだんだろう。

 掃除当番なんて、マニュアル通りにこなすほうが珍しい。

 特に、最後のゴミ捨ては、時間もかかるし面倒な作業だ。

 明日もどうせ掃除するしな、と考えるのも無理はないし、そもそも教室の掃除なんて毎日必要なのか?


 だが、氷見は生真面目に、そのゴミ箱を持ち出してきて、焼却炉まで運ぶと言う。

 それは、いい心がけだし、いつか誰かがやらなければいけないことだ。


(でもバランスが崩れるんだよ。)


 小さなマイナス評価を狙ったのに、そこまでされると一気に大マイナスだ。

 俺はせっかくの計画が台無しになったことを恨みながらも、ゴミ捨てを引き受けるしかなかった。


(それにしても、なんであんなに血相変えて追いかけてきたんだ、こいつ。)


 ゴミを捨てていたら大声で呼ばれたから、何か捨ててほしくない物が入っていたのかと思った。

 でもそうではなく、どうやら俺にゴミ捨てをさせたことに責任を感じたらしい。


 むしろ氷見はきちんとチェックをして、ゴミが捨てられていないことに気がついた。

 気がついただけでなく、それを自分で捨てようとしていた。

 その真面目さ、健気さを、あやうく褒めてしまいそうになったほどだ。


「俺も一応男だし、このくらいは運べるんだぞ?」


 俺にとっては大した負荷のない作業だということを伝えたんだが、氷見にはわかりにくかったようだ。

 なぜか取り乱している。

 走って乱れた髪が汗で頬に張りつき、目には涙まで浮かべていた。


「ったく、ゴミ捨てたくらいで大げさなんだよ。」


 そう付け加えた。

 さらに、もう一言、冷たいセリフでも言っておけばいいだろう。


「顔洗ってこいよ、ひどい顔になってるぞ。」


 よし、女子は顔をけなされるといやだろうからな。


 なんとか振り切って教室に戻ると、書きかけの日誌が教壇に放置されていた。


 そういえばゴミ箱の件を書いておくって約束したな、と思い出した。

 たしか、氷見は告げ口になるのは避けたいようなことを言っていた。


 俺としても誰かの責任を追及するつもりはなく、今後ちゃんと運用されればいい。


『掃除当番がゴミ捨てを忘れてしまうことがあるようなので注意。今日は日直が代行した。』


 まあ、こんなもんだろ。


 ふと見ると、日直の感想欄に、丸っこい文字で書きこみがしてあった。

 今日は特に何の問題もなかったし、感想なんてあるのか、と思って読んでみると、


『黒板消しの時、結城君が上のほうを消してくれたので、背の低い私は助かりました。このように、日直は協力し合うことが大切だと思いました。』


なんて書いてある…。


 これは一言、文句を言って、心証を悪くしておかなければならない。

 というか、そもそも恥ずかしい。


 そう思って教室で待っていると、しばらくして氷見が戻ってきた。

 本当に顔を洗ってきたらしく、前髪がまだ濡れている。


(こいつはまったく…素直というか、真に受けやすいというか…)


 そのくせ、俺が文句を言っても反論してくるし、挙句の果てには俺が黒板消しを一人でやろうとしていたことまで書き足した方がいいか、なんて聞いてくる。

 それにはさすがの俺も吹き出した。


「勘弁してくれよー」


 どうもこいつと会話していると調子を狂わされる。


「氷見は部活だろ?早く行ったほうがいいぞ?」


 もう早く追い払って、家に帰ろう。


「うん…今日はやめる。一緒に帰っていい?」


 ん?何言ってんだ。


(ああ、まだ目が赤いし、前髪も濡れてるから部活には行きたくないってことか。)


 氷見は文芸部に、憧れの先輩とか好きな男子がいるのかもしれないな。


 俺はため息をついて、


「じゃあ、帰るか。」


と立ち上がり、氷見と一緒に学校を出てきた。


 ――そして、今に至る。


 俺たちは二人とも黙って、甲府駅に向かう道を歩いている。

 左手には甲府城の高い石垣。その前に児童公園。


 中途半端な時間だから、同じ高校の生徒はいないようだ。


 俺は氷見が朝倉さんに報告するかもしれない内容について考えていた。

 日直の仕事については問題ない。

 バランスよく分担したし、最後の仕事を押しつけたのも、許容範囲だと思う。


 問題はゴミ箱の一件だ。

 普通の感覚でいえば大したことじゃないから、朝倉さんの俺への評価が上がることはないはずだ。


 だが氷見が余計な感情を差し挟むと、見え方が変わってくる。


 たかがゴミ捨てを、まるで「結城君が助けてくれた」ように話す、とか、「結城君が優しい人でよかった」みたいな褒められ方をすると、朝倉さんが勘違いする恐れがある。


『あら、詩織ちゃんと結城君はいい雰囲気なのかも』


 あの天使のように心優しい朝倉さんのことだ。


『二人を応援したい』


などと思ってしまうかもしれない。


 その上、この状況である。


 学校から甲府駅まで行き、電車に乗り、降りる駅が一緒。

 これは『日直の後、一緒に帰った』という事実になってしまう。


 途中で()く、寄る場所があると言って別行動をする、といった対策も考えられるが、さっきの一件でテンションが下がっている氷見をほったらかしにするのは、よろしくないだろう。

 氷見は平気かもしれないが、それを話で聞くと「非情な人」となる。


 さっき氷見から、一緒に帰っていいか、と聞かれた時に「寄るところがあるから途中までなら」と言えばよかった。


(いや、待てよ?)


 これから塩山駅までの間で、氷見の俺に対する評価を下げればいいのではないだろうか。


 氷見を攻撃したり、ないがしろにするといった行動は避けるとしても、俺自身のことで氷見にがっかりされればいい。

 『なんだ、その程度の人か』と氷見が思えば、わざわざ今日のことを朝倉さんに報告したりしないだろう。


 俺にとってやりやすいのは「情けない男だと思われる」だ。

 実際、かなり情けないエピソードがたくさんあるから、電車の中でいくつか披露してやろう。


 そんなことを考えていたら、甲府駅のホームに降りる階段を一段踏み外してコケそうになった。


「あ、大丈夫?」


 氷見が心配してくれた。わざとじゃなかったけど、効果があったようだ。


「やっぱり体調が悪いの?肩貸そうか?」


 思い切って肩を借りる、というのは情けないアピールとしては高得点だが、さすがにそれは恥ずかしい。


「あ、いや、大丈夫。」


「ごめんね、調子が悪いのに重いゴミ箱を運んでもらったりしたから…。」


 いや、体調は関係ないんだが。


(そもそも仮病だしな。)


 しかし、あの程度の重さの荷物を運んだくらいで足元がおぼつかなくなっている、というのは悪くない。


「体調は平気だけど、運動不足だからかな。ははは」


 帰宅部アピール。まあまあだ。

 実際には、家の洋品店を手伝って、自転車で配達したりしているから、運動不足というほどでもない。


「あ、俺の家さ、実は商売やってて、洋品店なんだけどね。」


「うん、知ってたよ?」


「えっ、なんで?」


「結城君が、私のジャージの名前の刺繍、直してくれたじゃない?だから誰かが結城君の家が洋品店って話してるのを聞いて、納得したんだ。」


「うわ、それも覚えてたのか。」


「うん。でも中学時代は誰にも話さなかったから、他の子は知らないよ。」


「中学時代は?」


「あっ…」


 失言した時、口を手で押さえる子ってほんとにいるんだな。


「えっと、ごめんなさい。高校に入ってから友達に話しちゃった…一人だけ。」


 一人だけなら、まあいいか。というか秘密にしていてくれたんだな。


「まあいいや。それで、家の仕事をよく手伝うんだけど、」


「そうなんだ、えらいね、結城君。」


 いちいち話の腰を折ってくるな、こいつ。

 会話の途中、電車に乗りこむ時に反撃の隙を与えてしまった。


「別にえらくないよ。」


 俺もいちいち返事しなきゃいいのにな。


「私の家は農家でね、もうすぐサクランボの時季なんだけど、ときどき手伝いをさせられるの。」


「なんだ、氷見だってえらいじゃねえか。」


「ううん、手伝うんだけど、失敗ばっかりで、逆に迷惑かけてるかも。」


 それ、今俺が話そうとしてたネタなんだけど。


「去年の秋もブドウの収穫でね、カゴをトラックに積みこむのを弟と一緒に手伝ってたんだけど、ひっくり返しちゃって。」


 おいおい、お前が先に情けない話してどうするんだ。

 電車が空いていたから、ロングシートに並んで腰かけた。


「へえ、弟がいるんだ。俺も弟がいてさ、小学生の時はよく服を破いて帰ってきて、(つくろ)ったりしてたよ。」


「すごいね。弟さん、いくつなの?」


「今年中学に入った。制服のズボンの裾上げもやってやったんだけど、左右で寸法間違えてさ、入学式は左右で長さの違うズボンで出席して、帰ってきてめちゃめちゃ怒ってたよ。」


 どうだ、情けないだろ。


「あはは、優しいお兄ちゃんなんだねー。」


 なぜそうなる?裾上げの左右寸法を間違えるなんて初歩中の初歩のミスなんだが。


「北中?」


と、氷見。北中とは、甲州北中学校。俺と氷見の母校でもある。


「ああ、そう。」


「じゃあ、うちの弟と一緒だ!弟も今年入ったから同学年だね。」


 へ、へー。

 氷見が元気になったのはよかったけど、どんどん思惑から外れていく。


「弟同士も同級生だったりしてな。」


「うん、帰ったら聞いてみようっと。」


 どうか親友になったりしませんように。


「結城君、刺繍はいつからやってるの?」


「えっ、別に趣味でやってるわけじゃないよ。家の手伝いで教えられただけだから。小学生の頃から簡単なやつはやらされてたかな。」


「ジャージの名前を直してくれた時もすごいスピードで驚いたんだ。」


「いや、だって、点を刺繍しただけだぞ?」


「ううん、それでも、あっという間でびっくりしたよ。もっと大きな刺繍もすることがあるの?」


「大きなものはしないよ。練習用に簡単なやつなら作ったりしたけど。」


「ふーん、見せてもらいたいなあ。」


 くそ、氷見のやつ、なかなかに手強い。


(そうだ!あれなら)


 俺は鞄の中から、小さな袋を取り出した。


 化繊の布の端切れで作った小さな巾着袋。

 目薬や裁縫セット、ときどきしか使わないポイントカードといった小物を入れて持ち歩いている。


 たしか中一の時に作って、ずっと使っているから薄汚れている。

 しかも、イニシャルと、しょぼい車の絵が刺繍されているのだが、ひどい出来だ。


「ほら、これ。」


 翔真にさえも見せたことのない、黒歴史的な作品だ。まあ、便利だけど。

 氷見は、それを手に取って、じっと見つめた。


 さすがにちょっとやりすぎたかもしれない。

 洋品店の「格」に関わるほどの低品質。ごめんよ、お袋…。


「えっ、この袋も結城君が作ったの?」


「ああ、そうだな。」


 裁縫の基本中の基本、口を紐で締めるだけの巾着袋である。

 ミシンで縫うんだから誰にでもできる。

 それに、袋になったものに刺繍するのは難しくて、先に刺繍した布を袋状に加工する。


「いつ作ったの?けっこう古そうだけど。」


「中一の時かな。」


 今なら、本気を出せば百倍はいい物を作る自信がある。


「すごいね、ずっと使っているんでしょう?」


 いやいやいや、まったくすごくない。たしかにずっと鞄に入れてはいたが。


「いいなあ。」


 なに感心してんだ、と思ったが、俺は次の悪だくみを閃いた。


「氷見にも作ってやろうか?」


 物づくりの趣味が嫌われる理由の第一位。「頼んでもいないのに作ってくれる」だ。

 断るだろうし、断らないにしても迷惑に感じるのはまちがいない。


「え、いいの?」


 さすが氷見。しかしその返事は想定内だ。

 気持ちが優しいのはいいことだけど、いらないものは「いらない」とはっきり断る勇気も大事だぞ?


「ああ、別にいいよ。」


 断らなかったことがどんな結果を招くのか、身をもって体験するがいい。

 これからの人生を歩んでいく上で、貴重な教訓を得ることになるだろう。


 俺は内心でほくそ笑みながら、どうしてくれようかと「氷見用巾着袋」の構想を練り始めたのだった。


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