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(6)ちょっと今、思い出して…

 国道を渡ると、塩山駅までは緩い上り坂になる。

 高校二年になってから、私は毎朝、この坂を小走りで上るようになった。

 歯医者さんの前に差し掛かるあたりで、駅前ロータリーにある時計が見えてくる。


(うん、今日も大丈夫。)


 いつもの電車に間に合った。

 歩いて間に合う時間に家を出ても、国道の信号で待たされたりすると少し不安になって走ってしまう。


 ホームで結城君に会えるのに息が切れているといやだから、駅の階段を昇る前に呼吸を整える。

 駅の入口にある観光案内所のシャッターの前で、少しの間深呼吸。


(こんな日が来るなんて思ってなかったなあ。)


 一年生の時は、音楽を聴きながらぼんやりと歩いてきて、電車に乗っていた。

 38分発の韮崎行きか、50分発の松本行きのどちらかに乗れればいいから、松本行きに遅れそうな時にしか走ったりしなかった。


 今は毎朝、ホームで結城君に挨拶する。

 そして一緒に電車に乗りこむ。

 途中の石和温泉駅で、石田千夏ちゃんと神谷君が乗ってくるから、学校まで二人きりというわけにはいかないけれど、でも一緒に学校までの道を歩く。


 結城君は私の後ろの席だから、授業中の居眠りもできなくなった。

 ちゃんと授業を聞くようになったから、テストの成績も良くなるといいな。


(うん、今日もがんばろう!)


 私は両腕を上げて、んー、と伸びをした。


「何やってんだ、氷見。」


 伸びてる時に、声を掛けられてビックリした。


「あ、結城君、おはよう…」


「ああ、おはよ。」


「えっと、少し走ったら息が切れちゃったから、呼吸を整えてて…」


「へえ。電車の時間には余裕あると思うけど。」


「そ、そうだけど、遅れたらいやだから。」


「ふーん、まあ次の電車でも遅刻はしないけどな。」


「うん、ほら、学校にも早く着いた方が準備もできていいかな、って。」


「それはそうだな。氷見はえらいな。」


 苦しい言いわけなのに褒められちゃった。

 結城君は歩いてきた方を振り返って、後ろを指差した。


「あのバス。」


 駅前に停まっているバスのことらしい。


「35分発なんだよ。」


「うん…え?」


「あのバス、発車すると氷見の家の方角に走ってくからな、あのバスとすれ違ったら急いだほうがいい。」


「あっ、そうなんだ。」


 35分発のバスが発車していたら、38分発の電車にはたぶん間に合わない。

 だけど次の50分発にも乗り遅れると遅刻確定だから、結城君の言う通りでもある。

 本当にちょっとしたことだけど、結城君が教えてくれたことがなんだか嬉しい。


 そんなことを考えていたら、結城君は先に駅の階段を昇り始めていて、私は慌ててその後を追いかけた。


(あ、これってきっとあれだ)


 陽菜ちゃんが言ってた、たしか「放置プレイ」?

 たしかに、ちょっと切ないこの感じは癖になりそう。

 だけど結城君はわざとやってるわけじゃないから、プレイとは言わないのかもしれない。


 今日は一緒にホームに降りて、電車を待つ列に並ぶ。

 やがて電車が来て、ドアが開く。

 列に並んでいた人が、先を争うように座席を確保して座る。結城君は別に急ぐ様子もなく、それでも長いシートの真ん中あたりまで行って、空いている席の前に立つ。


「氷見、座っていいぞ。」


 詰めれば二人で座れそうな時でも、結城君は座らなくて、私を座らせてくれる。

 結城君は中学時代からそういう人で、がめつく欲張るようなことをしない。


 中三の時、私たちはジュースの製造工場に社会科見学に行った。

 果物の加工場や、ジュースの充填、梱包や出荷の様子を見学して、工場の人から説明を聞いて、最後にジュースが配られた。たしか、モモとブドウとリンゴの三種類があって、みんなで順番に取っていった。

 結城君を見ていたら、彼は最後のほうにゆっくり取りに行って、そしたらジュースが一本足りなかった。

 一人一本で、人数分あったはずなのに。

 最後に取りに行った男子の一人が、数が足りない、誰か二本取った奴がいる、と騒ぎ出した。

 その時、結城君は自分が持っていたジュースをその子に渡して「これでいいだろ」みたいなことを言った。

 結城君の分だけない、ってことになって、また少しざわついていた時、結城君が言った言葉が、その後も話題になった。


「やめろよ、恥ずかしいだろ。」


 ジュースを譲ったという行為が格好つけたみたいで恥ずかしかったんじゃないか、とか、自分たちの中に一人一本の割り当てを守れなかった人がいるのが恥ずかしかったんじゃないか、とか、もう解決したことなのにまだ騒いでいたら恥ずかしい、という意味だったのでは、とか、いろいろな憶測が飛んだ。

 誰かが、結城君にその真意を聞いたら、彼は「忘れたよ、そんなこと」と笑っていたのだという。


 私は勝手に、結城君はジュースを欲しがって騒ぐなんて、子どもっぽくて恥ずかしい、という意味で言ったんだろうな、と解釈して、そんな結城君のことをますます好きになったのだけれど、本当はどうだったんだろう。


「あの…結城君。」


 私は勇気を出して、彼に聞いてみようと思った。

 顔を上げて、私の正面から少しだけずれたところに立っている結城君に話しかけた。


「んー?」


 電車の窓の外を眺めていた結城君は、私のほうに顔を向けて返事をしてくれた。


「ジュース工場の社会科見学の時、配られたジュースが一本足りなくて、結城君が譲ったことがあったじゃない?」


「あはは、よく覚えてたな、そんなこと。」


「え、うん、ちょっと今、思い出して…。」


「俺が『恥ずかしい』って言って、その後、みんながいろいろ想像して楽しんだやつな?」


「うふふ、そうそう。」


「氷見も真相が気になるのか?」


「うん、ちょっとだけど…」


「いや、あの後さ、担任の谷中先生に呼ばれたんだよな。」


「え、うん。」


「で、先生がジュース買ってくれてさ。」


「そうだったんだ。」


「ああ。で、お礼言って、飲み始めたんだけど。」


「うん。」


「先生にさ、『学校の名誉を守ってくれてありがとう』みたいなことを言われてな。」


「うんうん、実際そうだったもんね。」


「いや、違うんだよ、全然。」


「え、そうなの?」


「そ。あの時、騒いでたのは高野だったんだけどさ、あいつの声って無駄に大きくてうるさいからさあ、ジュース譲ってやれば静かになるだろ、って思ったわけ。」


「うん。」


「だから譲ったんだけど、それを『かっこいい』だの『ほんとにいいのか』だの、まだ騒いでる奴らがいただろ?」


「うん、そうだった。」


「だから、恥ずかしいからやめろ、って言ったんだよ。それだけ。」


「えっ、つまり…?」


「いやだってさ、金出して買ったものならともかく、ただでもらったジュースだぞ?『ボクも飲みたいのに足りないからもう一本ください』なんて恥ずかしいじゃんか。」


「ふふっ」


 やっぱり結城君は素敵だ。

 そうだ、彼はがめつく欲しがることより、誇りを選んだんだ。


「なんだよ、可笑しかったら笑っていいんだぞ?」


「ううん、そうだったんだね。でもあの後、どうしてみんなにそう言わなかったの?」


「いや、だからさ、谷中先生に『学校の名誉を守った』なんて言われてジュースもらって、飲んじゃってんだから。今さら違うとも言えないし、誰かに言ったら先生にバレるだろ?」


「あはは、うん、そうだね。」


「納得したか?」


「うん、話してくれてありがとう。」


「まあ、さすがにもう時効だろうしな。」


「でも、結城君、もしね、誰かが二本取っていて、それを黙ってたとするじゃない?」


「ああ、まあ、そうだったのかもな。」


「その人に対してはなんとも思わないの?」


「えっ、ああ、ルール破ってけしからん、とかそういうこと?」


「うーん、というか、ずるい、とか、誰だ、とか…」


「そんなの時間の無駄だよ。」


 結城君はさっぱりと言って、車窓からの景色に視線を戻した。

 本当に気にしてないみたい。


(そっか、私…)


 彼のこういうところに惹かれているんだな、って気がついた。


 結城君はすごく自由なんだと思う。

 身勝手とか我が儘とかじゃなく、細かいことから解放されている感じ。

 他人からの目も、小さなルールも、きっと合理的に考えて、本当に大事なことを見失わない人なんだ。


 そしてそれは、彼が大きな優しさを持っていて、細かいことで怒ったりしない人だから。

 私もこの前、結城君のそんな優しさに救われた。


(あの次の日だって…)


 そう、挨拶をしてくれた結城君から私が逃げちゃって、学校で謝って、許してもらった次の朝。

 私はホームで、結城君に会ったらどうしよう、ちゃんと「おはよう」って言えるかな、とドキドキしながら立っていた。

 ふと気づくと、結城君が少し離れたところから私を見ていた。

 たぶん、私が気がつくまで待っていてくれたんだと思う。


 目が合うと、柔らかな笑顔になって、それから「おはよう、氷見」と言ってくれた。


「あ、おはよう、結城君。」


「こうすれば驚かないな。」


 さっそくからかわれたと思ったのだけど、たぶんそうじゃなくて、私が驚かないように気を使ってくれたんだ。

 その日から、結城君と普通に話せるようになった。

 話してみると、あらためて彼の魅力に気づくことや、意外に思うことがたくさんある。


 今、私は心の底から思う。


(…この人を好きになってよかっ)


「おはよ!お二人さん。」


 いつの間にか、電車は石和温泉駅に停まっていた。


「あ、おはよう、ナッちゃん」


 電車に乗ってきて、肩から提げたスポーツバッグでドンッと結城君に体当たりして、私の正面に陣取ったのは同級生の石田千夏ちゃん。

 みんなから「ナッツ」と呼ばれているボーイッシュな美少女で、陽菜ちゃん同様「ファイブビューティー」の一人、なんだけど――。ナッちゃんも陽菜ちゃんとは違う意味で、ちょっと変な子だ。


「どうした、そんなうっとりした顔して。」


「えっ、してないよ、ボーッとしてただけだよ。」


「そうか?まあそういうことにしといてやるか、はっはっはっ」


 男の子っぽい、というより、ちょっとオヤジっぽい。

 そういえば陽菜ちゃんは、ナッちゃんのことを、


「あの子、私のこと、いやらしい目で見てくるから好き。」


と言っていた…。


 いつも彼女と一緒に乗ってくるのが神谷君だ。

 結城君と仲良しで、ナッちゃんとは幼馴染。朝はいっつも眠たそうな顔をしている。


 結城君と神谷君は、いつも無言で片手で軽く挨拶して、私たちから少し離れる。

 そのまま無言でいたり、何かおしゃべりをしたり。

 男の子同士の仲の良さと、お互いの信頼関係がよく伝わってくる。


 電車が走り出すと、そんな私たちの通学風景を、朝の陽射しがキラキラと照らしてくれた。

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