(5)俺にだって悩みくらいあるんだよ
石和温泉。
六十年代の初め、ブドウ畑に突如温泉が湧き出し、今では大小の温泉旅館が立ち並ぶ。
俺はその中でも中規模クラスの温泉旅館「石の神」の一室にいた。
といっても、客室ではなく、経営者の住居区画のほうだ。
「ふーん、そんなことがあったんだ。」
卓袱台のような小さなテーブルの向こうにあぐらをかいて、ベッドに寄り掛かっているのは悪友の神谷 翔真。
一年の時の同級生で、例の「ボッチに話しかける作戦」で見事に引っ掛けた友達である。
「まったく、肝心な時に限ってお前はいないよな。」
いつもは石和温泉駅から乗車してくる翔真が、今朝に限って乗ってこなかった。
「いや、もう高校なんて行く気になれなくてさ。」
昨日も翔真はどんよりと沈んでいた。
理由は単純で「大西 穂乃果ちゃんと違うクラスになったから」だ。
「朝倉陽菜さんと同じクラスになった」とはしゃいでいる俺も人のことは言えないが。
「周りから見ればお前は充分うらやましい境遇だと思うけどな。」
実際、翔真を妬む男子は多い。
「それって千夏のこと言ってんのかー?」
「そうだよ、五人美女の一人と幼馴染なんてさ。」
翔真の幼馴染、石田 千夏は、ショートカットの元気少女。整ったボーイッシュな顔立ちに、抜群のプロポーションで人気を博している。はっきり言えば、胸が大きいのだ。
千夏は、翔真の両親が経営する旅館「石の神」の隣にある「石田旅館」の娘。
隣接する旅館だが、ライバル関係というわけではなく、満室の時に部屋を融通し合ったり、観光イベントを一緒に企画したり、と良好な間柄だという。
「直人だってわかるだろ?」
翔真の言いたいことも少しわかる。
千夏がボーイッシュなのは顔立ちだけでなくて、性格も男っぽい。
「いや、俺はいい子だと思ってるよ。」
「それは朝倉と同じバドミントン部だからだろ?」
まあそうなんだが。
「千夏はなんか言ってたか?」
「千夏が?なんで?」
「だって今年も翔真と違うクラスだろ。」
一年のクラスは、俺と翔真と大西さんが一組で、千夏は三組。
二年のクラスは、俺と千夏が二組で、翔真は一組、大西さんは三組。
「別にー。」
この無気力ボーイめ。
そういえば今日の昼休み、教室で誰かが言っていた。
「五人美女のうち四人もいるクラスなんて当たりだな!」
我が山梨県立甲斐高校の新二年生には「ファイブビューティー」と称される五人の美女がいる。
バレーボール部の島崎 エリナさん、高森 紗月さん。
長身の島崎さんは、薔薇のように華やかな美貌の持ち主だ。
高森さんはしっかり者で、教室でも島崎さんのフォロー役。優しげな微笑みに心を溶かされる男子は多い。
生徒会の桐生 結衣さん。
勝気そうな顔立ちと、完璧主義で潔癖そうな雰囲気、凛とした所作の美しさはクールビューティーと呼ばれ、女子たちにとっても憧れの対象だ。
そして、バドミントン部の朝倉陽菜さんと石田千夏。
桐生さんを除く四人が、今回のクラス替えで二年二組に集結した。
(それがどうした。)
可愛い子がクラスに何人いようが、俺には朝倉さんがいてくれるだけでいい。
「でもさあ、翔真。大西さんって、千夏と仲いいよな?千夏といる時間を増やせば大西さんにも会えるじゃん。」
そう言うと、翔真は盛大にため息をついた。
「直人ってバカなの?穂乃果ちゃんに千夏との仲を誤解されたりしたら終わるだろ。」
ふむ、それは一理ある。
「穂乃果ちゃんと千夏は親友だよー?親友の幼馴染から告白されたら、なかなかいい返事はできないものだろうよ。」
こ、告白、ときたか。
考えてみたら俺は朝倉さんに告白なんて想像もしていなかった。
「つまり、千夏が大西さんにお前を勧めるような状況を作ればいいわけか?」
「そう、そこなんだよ、直人。そんなことってできると思うかー?」
「うーん…」
なんだかんだ、翔真は千夏のことを、時に妹のように、時に姉のように感じている節がある。
翔真も千夏も一人っ子で、幼い頃から「親が四人に子どもが二人」といった感じで育ってきた、と前に話していたことがある。
千夏も表面上は同じような感じもするが、女心というのは不可解だからな。
「じゃあ、思い切って千夏に聞いてみる、とか?」
「ばっか、それができりゃあ苦労はないじゃんよ。」
「いや、俺が聞いてみるって言ってんだよ。」
「なんて聞くんだよ?『千夏、ほんとは翔真のこと好きか』って聞くのか?それとも『翔真を大西さんに推薦する気持ちはあるか』って聞くのか?」
「どっちも?」
「直人、勘違いしてるのかもしれないけど、俺は穂乃果ちゃんと千夏のどっちにしようか悩んでるわけじゃないんだぞ?」
「それはそうかもしれないけど、千夏を傷つけたくないって気持ちもあるんだろ?」
「いや、全然。」
「うそつけ。そう思ってるから踏み出せないくせに。」
「傷つくとは思ってないよ。だけど、俺が穂乃果ちゃんと付き合ったら千夏が気を使うだろうから、それはちょっとかわいそうだと思うだけだよ。」
その違いが俺にはよくわからないんだが。
「あっ、じゃあ、千夏に彼氏ができればいいってこと?」
どうだ、翔真。お前だってそれはいやだろう?
「ああ、それが一番手っ取り早い。だけどあいつに彼氏なんてできるかあ?」
えええ。そうくるのか。すげえな、こいつ。
「そりゃ可能性はあるだろ、なんてったってファイブビューティーの一人なんだから。」
俺たちに彼女ができる確率よりはずっと高いはずだ。
「まあ、どうせ長続きはしないだろうけど、その短期間に勝負を挑むというのはありだな。」
「勝負って…」
「俺はさー、穂乃果ちゃんに千夏を理由に断られるのがいやなだけなんだよ。俺のことが好きじゃない、っていうならあきらめもつくけどさー。」
なるほど。もっと楽観的かつ自分勝手に『千夏さえいなければ大西さんと付き合えるのに』と考えているのかと思っていた。
「直人はどうなんだよ。まさか片思いでいい、なんて思ってるわけじゃないよな?」
いや、まったくもってそのまさかなんだが。
「俺はまあ、いろいろ考えてるよ。」
「そうだよな。せっかく同じクラスになれたんだし、少しずつでも距離を詰めていけば何があるかわからないからな。」
「お、おう。」
(告白だと?俺が?朝倉さんに?)
「石の神」から石和温泉駅に向かう道すがらも、俺は突如湧き出した難題に頬を染めるような思いだった。
実際に顔を赤らめているかもしれない。春の夜の、少し冷たい風が心地よく思えた。
「よ、直人!」
前から歩いてきたのは、――石田千夏だった。
「いつにも増してしけた顔してるじゃん。」
笑いながら、ドスンと肩をぶつけてくる。
「うるさいな、生まれつきだよ。」
「姿勢だけでもシャンとしろし。」
昔ながらの甲州弁で言いながら、俺の背中をボスッ、と叩く。
「千夏こそ、せっかくきれいな顔してるんだから少しはおしとやかになれよ。」
千夏は、俺が名前を呼び捨てにする唯一の女子だ。
去年の夏、翔真と千夏とはよく遊んだから、翔真の呼び方に自然に合わせるようになった。
それに、これほど「さん付け」が似合わない女子も珍しい。
「なんだよ、褒めても何も出ないぞー?」
「褒めてねえよ!」
「それより、どうした?」
「何が?」
「直人、なんかたそがれてるじゃん。」
「たそがれてたわけじゃないけどさ、俺にだって悩みくらいあるんだよ。」
「へえ、翔真に何か言われたとか?」
「なんで翔真なんだよ。」
「だって翔真の家から帰るとこなんだろ?」
「それはそうだけど。」
翔真との会話を話すわけにもいかないしな。
「さてはあれか、恋の悩みか。」
「はー、千夏、もうちょっと女の子っぽく聞けないのかよ。」
「えー、もしかして、恋の悩みー?」
うーん、千夏が女子っぽい声音で言い直したけど、ちょっと気色悪かった。
「なんでそう思ったんだ?」
「そりゃ、男子がこそこそ話すのは恋愛話じゃんよ?」
元の口調に戻った。俺は千夏になら聞いてみてもいいか、と思った。
「なあ、千夏。片思いってのはさ、だめなのかな。」
「あー、陽菜のことか。」
「えっ、翔真に聞いたのか?」
「まさか、翔真が言うわけないじゃん。見てれば、というか、あんたたちの会話を聞いてればわかるよ。あたしと同じバド部だったら可愛い子は陽菜しかいないじゃん。」
校内の評判としては千夏もいるんだが、俺にとってはたしかにそうだ。
「まあいいや、誰とは言わないけどさ。なんていうか、告白ってのはゴールじゃないよな。」
「好きになったら告白しなきゃいけないのか、ってこと?」
「うーん、まあそういうことかな。」
千夏は腕組みをして、空を見上げ、そのまましばらく黙った。
「それはさ」
その姿勢のまま、少し声量を押さえて、千夏は言った。
「何を求めるかってことじゃんね。」
それは千夏が自分自身に言うようでもあり、俺の性格のふがいなさを責めているようにも聞こえた。




