第9話 夜通しの治療
急報は朝食の前に届いた。
私は干し芋を齧りかけた手を止めて、息を切らした少年の話を聞いた。隣村のクレッツから来た、十二、三歳くらいの子だ。額に汗を浮かせて、膝に手をついている。走ってきたのだろう。
「村で——熱が——」
「落ち着いて。座って」
少年を井戸の前に座らせて、水を飲ませた。
クレッツ村で高熱の病が広がっている。三日前に最初の患者が出て、今は七人。全員が高熱と激しい咳。大人も子どもも。村に薬師はいない。
「アルトハイムに腕のいい薬師がいるって聞いて——お願いします、来てください」
薬箱を開けた。
カミツレの傷薬は今回は使わない。必要なのはヤナギランの解熱鎮痛膏とイブキジャコウソウの抗菌煎じ液。先週作ったばかりの新処方だ。実戦で使うのは初めてになる。
竹筒と瓶を鞄に詰めた。煎じ液用の小鍋。清潔な布。一度目の戦場で身につけた準備の癖が、手を動かしてくれる。何を持っていくか迷わない。迷わないことに、少しだけ感謝した。過労死するほど働いた十年間から得たものが、今ここで役に立つ。
工房を出ると、馬が二頭いた。
ヴォルフが手綱を持って立っていた。
「護衛だ。辺境は魔物が出る」
断る理由がなかった。それに、七人の患者を一人で診るのは厳しい。搬送や衛生管理を手伝ってくれる人がいると助かる。——と頭では思ったが、実際のところは、ヴォルフがいつの間にこの情報を得て馬を用意したのかが気になった。少年が来てからまだ十分も経っていない。
「……耳が早いですね」
「領主の仕事だ」
この人はこの言葉で全部を片付ける。
クレッツ村までは馬で一時間半。
着いた村は、アルトハイムよりさらに小さかった。家が八軒。村の中央に古い木があって、その根元に患者を集めていた。日よけの布を張っただけの簡易的な治療場所。
匂いで分かった。汗と、熱と、消化不良の酸っぱい匂い。一度目の遠征で何度も嗅いだ匂いだ。
七人の患者を順番に診た。全員が同じ症状。高熱、咳、発汗、軽い脱水。感染性のある夏風邪の一種だろう。致命的ではないが、放置すれば老人と子どもは危険だ。
「煎じ液を作ります。お湯を大量に沸かしてください」
ヴォルフが動いた。
村人に指示を出して、竈に火を入れ、鍋を据え、井戸から水を運ぶ。言葉は最低限。だが的確だった。誰に何をやらせるか、迷いがない。軍にいた人間の動き方だ。
私はイブキジャコウソウを鍋に入れて煎じ、ヤナギランの膏薬を一人ずつ額と首に塗った。塗るたびに魔力を薄く流す。解熱と鎮痛の促進。十五歳の魔力量では、一人あたり三分が限度だ。七人で二十分以上。それを二時間おきに繰り返す。
日が暮れた。
ヴォルフが患者の体を拭き、汚れた布を替え、水を飲ませる仕事を引き受けてくれていた。黙って動く。こちらが指示を出す前に、次に必要なものを用意している。煎じ液を冷ます桶。患者を横向きに寝かせる枕。嘔吐した時に使う布。全部、私が言う前に揃っていた。
一度目の遠征で、こんな連携をした覚えはない。ライアスのパーティでは、治療は私の仕事で、ライアスは「早くしろ」と急かすだけだった。手伝いはなかった。
夜中を過ぎた頃、膝が震え始めた。
魔力の消耗だ。五巡目の治療で、七人目の子どもに膏薬を塗ろうとした時、指がうまく動かなかった。視界の端が暗い。
立ち上がろうとして、足が滑った。
腕を掴まれた。
大きな手だった。肘の少し上を、しっかりと握っている。強すぎず、でも離さない力加減。
「無理をするな」
ヴォルフの声だった。低くて、静かで、怒りでも心配でもない——ただ事実を言っている声。
「あと三人……」
「あと三人は俺が運ぶ。お前は薬だけ作れ。手を動かせるなら、それでいい」
返事をする代わりに、膏薬の瓶を取った。
ヴォルフが患者を一人ずつ私の前に運んだ。私は座ったまま、薬を塗り、魔力を流した。立っていなくても、手が動けば薬は作れる。
ヴォルフの腕が、私の肘からゆっくりと離れた。
ゆっくりと。
すぐには離さなかった。私が安定して座れていることを確認してから、指を一本ずつ開くように、離した。
その手の温度が、しばらく肘に残っていた。
空が白み始めた頃、全員の熱が下がった。
子どもが最初に目を開けて、母親に「おなかすいた」と言った。母親が泣いた。
村人たちが頭を下げた。何度も。「ありがとうございます」「助かりました」「どうやってお礼を」。私は「お礼はいりません。薬代だけもらえれば」と答えたが、半分くらい聞こえていなかったかもしれない。頭がぼうっとしていた。
帰り道。
馬に乗った。手綱を握る力がほとんど残っていなくて、馬が勝手に歩いてくれるのに任せた。
ヴォルフの馬が、私の馬の横に並んだ。
少し離れて。でも、離れすぎない距離。私の馬が道を外れたらすぐに手綱を取れるくらいの距離。
何も言わなかった。
私も何も言わなかった。
朝日が木の間から射して、馬の背中に光の斑を落としていた。鳥が鳴いている。昨夜は一晩中聞こえなかった音が、全部戻ってきた。
目が閉じかけた。馬の背中が揺れるたびに意識が遠のく。ヴォルフの馬の蹄の音だけが、一定のリズムで聞こえていた。
アルトハイム村に着いた時、日はもう高くなっていた。
馬から降りようとして足がもつれ——今度は自分で踏ん張れた。ヴォルフは手を出さなかった。出そうとして、やめたのが見えた。私が自分で立てると判断したのだと思う。
そういうところが、この人は正確だ。
マルタが工房の前で待っていた。
干し芋ではなく、深刻な顔だった。
「おかえり。——王都から手紙が来たよ。勇者様の名前で」
手紙を受け取った。封蝋が重々しい。割って開いた。
——国家の非常事態につき、魔法使いフィーネ・ヴァイスフェルトに協力を要請する。
署名。勇者ライアス・オルテガ。
手が震えた。
夜通しの疲れのせいだと思いたかった。でも違う。この筆跡を知っている。十年間、何百枚もの報告書に添えられた署名。自分では一行も書かずに、最後に名前だけを入れる男の、それだけは流麗な署名。
手紙を畳んで、エプロンのポケットに入れた。
マルタが心配そうに見ている。ヴォルフは馬の手綱を解きながら、こちらを見ていなかった。見ていないが、聞いてはいるだろう。
「……あとで読み直します」
工房に入って、扉を閉めた。
テーブルに突っ伏した。
ポフが膝に登ってきた。温かい。小さい。
ポケットの中の手紙が、石のように重かった。
テーブルの上に、昨日の週刊新聞が広げたままだった。マルタが置いていったのだろう。
見出しが目に入った。
——勇者パーティ、二度目の遠征でも作戦ミス。補給・戦略の両面で問題が指摘される。
小さな記事。三面の隅。
一度目の遠征では補給不足。二度目は作戦ミス。
全部、私がやっていたことだ。補給計画も、作戦の立案も。
あの人は、まだ私がいなくて困っている。だから手紙を寄越した。「協力を要請する」。要請。命令ではなく要請。でもあの人にとって、要請と命令の区別はない。
ポフの頭を撫でた。
返事は——明日考える。今は眠りたい。
テーブルに頬をつけたまま、目を閉じた。新聞の印刷の匂いがした。




