第11話 折れたペンと王女の密書
薬の評判が広がると、招かれざる客も増える。
八月の旅商人は、いつもの塩と布と小麦粉の他に、余計なものを持ってきた。口説き文句だ。
「辺境の薬師殿は美人だと聞いてきましたが、噂以上ですねえ」
荷台の前に立った商人は、三十前後の痩せた男だった。髭を整えて、帽子を気障に被っている。目が笑っている。目だけが。
「はあ。どうも」
反応に困る褒め方だった。美人かどうかは知らない。鏡は工房にあるが、顔を見るのは朝に髪を結う時だけで、それも最近は適当になってきた。毎日薬草を触るから手は荒れているし、爪の間にはカミツレの黄色い染みがある。
「いやいや、こんな辺境にお一人とは。もったいない話ですなあ。王都にいらっしゃれば引く手数多でしょうに」
「お取引の話でしたら伺いますが」
「おっと、これは失礼。商人が口を滑らせました」
滑らせたのではなく意図的だろう。この手の世辞を言う商人は信用しないことにしている。ライアスの遠征先にもこういう商人がいた。愛想はいいが、売りつけるものの質が悪い。
取引の話に移った。近隣の村への薬の卸を仲介したいという。悪くない話だが、条件を詰める必要がある。マージンの割合と、品質管理の責任と、返品の条件。
話をしている間、工房の奥——壁一枚隔てた裏の部屋——で、小さな音がした。
ぱきっ、と何かが折れる音。
木の枝でも踏んだのか。風で何か飛んできたのか。気にはなったが、商人が「それでですね」と話を続けたので、そのまま聞いた。
取引の条件は保留にした。ヴォルフが独占供給権を設定したばかりなので、勝手に卸の契約を結ぶわけにはいかない。商人は少し残念そうにしていたが、「では次回また」と帽子を上げて去っていった。
去り際に、もう一つ。
「そうそう、これをお預かりしていまして」
封筒を差し出した。蝋印がある。紋章入り。
「王都のお方から。届けてくれと頼まれましてね」
受け取って裏を見た。差出人の名前はない。でも紋章を知っている。
リディアの紋章だった。
商人が去った後、工房の奥を覗いた。ヴォルフがいた形跡はない。ただ、机の上に折れたペンが一本置いてあった。真ん中から綺麗に折れている。力を入れすぎたのか。
ヴォルフが何かの用事でここにいて、ペンを折って、出ていったのだろう。何に苛立ったのかは分からない。巡回の書類で嫌なことでもあったのか。
折れたペンを脇に寄せて、封筒を開けた。
リディアの字だった。丸くて少し右に傾いた字。学院に入る前、一緒に文字を習った頃から変わっていない。
——フィーネへ。
無事でよかった。あなたが辺境に行ったと聞いた時、心配したけれど、でも、あなたらしいとも思った。
こちらの話を少しだけ。勇者の不正が、宮廷でも噂になっています。まだ噂の段階で、公式には何も動いていません。王族は簡単には動けない。でも——あなたの味方は、ここにいます。
手紙のやりとりは旅商人に頼みました。彼は信用できます(口は軽いですが)。
いつか会いに行きたいけれど、今は難しい。
元気でいてね。
リディアより。
二度、読んだ。
手紙を膝の上に置いて、窓の外を見た。八月の午後の日差しが強い。茶がすぐに冷める。
ライアスの隣にいた頃、この時期に大きな遠征があった。ライアスの三度目の遠征。過去最大の規模で、準備に一ヶ月かかった。私は全ての段取りを任されていた。睡眠は一日二時間。食事は馬車の中で干し肉を齧るだけ。手紙を書く暇はなかった。リディアのことを思い出す余裕すらなかった。
今は窓辺でお茶を飲みながら、幼馴染の手紙を読んでいる。
同じ夏なのに、別の世界だ。
リディアと最後に会ったのは——一度目の記憶で——入学式の前日だった。「魔法学院、頑張ってね」と言われた。頑張った。頑張りすぎた。ライアスのパーティに入ってからは、リディアと連絡を取ることをライアスが嫌がった。「王族と繋がりがあるって思われると面倒だ」と。
面倒なのはあなたのほうだ、と今なら思える。あの頃は思えなかった。
返信を書いた。
何を書くか迷った。「実は私は一度死んでいて」とは書けない。「勇者のモラハラで十年苦しんで」とも書けない。リディアは一度目の人生を知らないのだから。
結局、短くした。
——リディアへ。
元気です。辺境で薬を作っています。
ここに来て初めて、自分の足で立っている気がします。
精霊がいます。白くてふわふわです。名前はポフです。
いつか会いに来てください。
フィーネより。
ポフのことを書いたのは、深刻になりすぎないためだ。リディアに心配をかけたくない。
でも「自分の足で立っている気がします」は本音だった。書いてしまってから、消そうか迷って、そのまま残した。
封をして、次の旅商人に託すことにした。口は軽いが信用できる、とリディアが書いていた。口が軽いのと信用できるのは両立するのだろうか。まあ、リディアがそう言うなら。
手紙を引き出しにしまった。
工房の奥の部屋をもう一度見た。折れたペンがまだ机の上にある。
拾い上げてみた。木軸のペン。真ん中で折れている。かなりの力が加わったのだろう。うっかり折れるような折れ方ではない。
何に苛立ったのだろう。
商人が来ている間に折れたのだとしたら、商人の態度が気に障ったのかもしれない。ヴォルフは無駄な世辞を嫌いそうだ。
折れたペンを屑籠に入れて、調合に戻った。
ヤナギランの花弁を数えながら、リディアの手紙の一文を思い出していた。
——あなたの味方は、ここにいます。
ここ、は王都だ。
この村には、マルタがいる。エミルがいる。精霊がいる。
そして——名前と「よろしく」だけで挨拶を済ませる辺境伯がいる。ペンを折るくらい力が強くて、精霊に嘘をつけなくて、名前を呼ぶ時だけ声が少し低くなる人。
味方、と呼んでいいのかは分からない。
でも、少なくとも敵ではない。少なくとも。




