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一方その頃、リリアーナ。
「どう!?セクシー!?」
「可愛いらしいです、奥様!」
「ならこれは?色気、ある……!?」
「可憐です、奥様!」
「っ今度こそ!!これなら!?」
「駄目です奥様、天使のようです!!」
「ホットでクールな美女になれてるーーっ!?」
「キュートでプリティーなプリンセスです奥様ーーーーっ!!!!」
「そん、な……っ!!」
五部屋ほどあるクローゼットをひっくり返し、いくつかのドレスからレースを取っ払い、少しでも色気がある服を選んで地獄のファッションショーを開催していた。
しかしリリィはどちらかと言うと可憐で愛らしい年頃の少女。案の定、求めるダイナマイトボディ・セクシーガールになることは出来ず、ドレスに埋もれてがっくりと項垂れる。
「私の乳房は、どうしてこうもささやかなの……っ!!」
「じゅ、充分かと思います……!奥様は百合の花のように可憐な美しさを持つ方です!!」
「舞台女優みたいになりたいの!アンジェリーナ・ルイーダみたいな、誰もが振り返る色気のある美女になりたいの!!」
「系統が違うだけです!!奥様だって社交界の華と讃えられ、国一番の美しさを持つとして知られているではありませんか!!」
「それじゃあ意味ないのよ〜〜〜っ!!」
うえーん!とリリィは子供のように泣き崩れた。
そうだ。それでは意味がない。たとえ社交界中の貴公子がリリィとお近付きになるためだけに、贈り物を持って列を成すような美しさがあっても、たった一人の好みに合致しないのであれば意味がない。
ヴァンとの縁談が纏まる前、集めた噂話がある。恋した人のことを知りたくて侍女に頼み、たくさんの噂話を聞いた。
彼は傭兵だった頃から、大層女性に人気だったという。荒々しくも洗練された美貌に相応しく、いつだって華やかな、そして艶やかな美貌を持つ女性を連れていたという。
つまり、そういうことなのだ。きっとあの人は、リリィのような子供ではなく、大人の女が好きなのだ。好みなのだ。
リリィが嫌われていることは分かっている。我儘だし自分勝手だし、それに相応しいだけの行いをリリィはしてきた。
たった一人の初恋の人に興味を持ってもらえないのも、全くの自業自得だと分かっている。
けれど、でも、それでも。リリィは今からでも、少しでも彼に好感を抱いて欲しいと思ってしまったのだ。
毎日出迎えるたび飛び付きたくなるのをグッと抑えて、鬱陶しくならないようにして、その度に彼が恋しくてたまらない。
仕方なくではなくて、ヴァン自身の意思でリリィを受け止めてもらえたら、どれだけ幸せなことかと思う。
だから、リリィは彼の好みに少しでも近付こうと思ったのだ。
大人らしい女性になりたかった。だから改めて淑女教育を受け直すべく、家庭教師を呼び寄せることは既にした。毎日授業を受けている。
けれどきっと、授業の成果が出るには時間がかかる。だからせめて、それまでの間に、見た目からでも変わりたいと思ったのだ。ヴァンの好みに合うように。
今更かもしれないけれど。少しでも『良いな』と思って欲しいのだ。
だから、こうしてクローゼットをひっくり返してみたわけだけれど。
「赤い口紅もやっぱり似合わない……。眉を吊り上げたら時代遅れのメイクになっちゃう。露出の多い服を着たって、貧相になってみっともなく、て、」
「奥様……」
「レ、レースのドレスが似合ったって、ピンクのティアラが似合ったって、ヴァン様の琴線に触れなきゃ意味がないのに……っ」
ほろほろ。ぽろぽろ。リリィの黄金の瞳から大粒の涙が溢れて、ぽたぽたと床でくしゃくしゃになったドレスの上に落ちた。
リリィの侍女。リリィが城にいた頃からずっと一緒だった華やかな黒髪の乙女。マクシーは、そんなリリィにきゅっと眉を下げる。
今は奥様と呼んでいるけれど、マクシーにとってリリィはいつまでも大切なお姫様である。
可愛らしくて、我儘で、けれど素直で純粋。感情をそのままに表現するから、我儘だけれど邪気がないのだ。それに、世間知らずなところは拭えないけれど、優しい少女でもある。
マクシーが前に体調を崩した時などたいへんだった。今よりもずっと幼かったリリィは、けれど使用人の住む棟に自ら足を運んだのだ。
『病が移ってはことだから、マクシーに会ってはいけません』と言い聞かせられていたのに、侍女達の目を盗んでマクシーのところへやってきた。
シルクのハンカチにお気に入りのチョコレートを包んで、『はやく良くなってね、しんじゃいや』とぽろぽろ大粒の涙を流してマクシーにしがみついた。
チョコレートが、昔は薬として服用されていた話を覚えていたのだろう。お医者様の真似をして、『食後に三粒食べるのよ』と真剣な顔をして渡してくれたのだ。
マクシーはそれを見て、ばかだなぁ、と思ったものだった。
少し前にいたずらをして怒られたから、リリィはあの頃一日に食べられるチョコレートの数を制限されていた。リリィは我儘だけれど素直でもあるから、叱られたらしっかりと言い渡された罰を守るのだ。
だからあの時、リリィにとってお気に入りのチョコレートは貴重品だった。毎日食べる分と食べない分を決めて、少しずつ貯めるほどだった。
それを全部マクシーのところに持ってきて、『大好きだから、死なないで』と泣いたのだ。
マクシーは本当はただの風邪で、放っておいても治るようなものだったのに、すっかり死んでしまうと思い込んでしまったのである。
リリィは一度思い込むとすごくて、マクシーはそんなリリィが可愛くて仕方がなかった。
ばかだなぁと思った。それ以上に、愛しくてたまらなかったのである。
今と同じように。
マクシーは今、リリィの感情に合わせて悲壮感漂う顔を作りながら、しかし内心ではリリィが可愛くてほのぼのしていた。
リリィが今度はどういう経緯で『夫に嫌われている』なんて、突拍子もない思い込みをしてしまったかはわからない。
けれどマクシーから見て、リリィの今の悲しみは的外れにも程があった。
だってどう考えたってどう見たって、ヴァン・ヴェルナーはリリィにぞっこんである。
確かに言葉は少なくて寡黙だし、あまり自分から動かないから感情は見えない。けれど仕草の一つ一つ、ふと溢される柔らかな言葉に甘やかな眼差し。ヴァンの一挙手一投足にはリリィへの愛しさが滲み出ているのだ。
知らぬは本人ばかりというやつ。無理もないとは思う。それもこれもマクシーが第三者視点で、客観的に見ているから分かること。
リリィはまだ愛を知るにはいたいけで、社交界の華と讃えられてはいたけれど、男に興味を持つこともなかった。恋人を得ることもなくて、リリィにとっては正真正銘、ヴァンがはじめての男。
その上、無理矢理結婚した夫なのである。不安になるのも仕方がない。マクシーはただでさえ、妹のようにも思っている主人への贔屓がすごいので、全部旦那様が悪い、というの結論を出していた。
ここ数日、ヴァンはリリィがいきなりそっけなくなったことに悩んでいる様子。使用人としての立場があるので決して表には出せないけれど、ざまぁみろ、とマクシーは思っていた。
こうなる前に一度でも愛しています、と伝えるべきだったのだ。一年も夫婦をしていて、愛情表現を全部9歳も若い幼妻に任せていたからこうなるのである。
口下手なんだか寡黙なんだか知らないけれど、絆されたなら愛してしまったのなら、一言くらい伝えれば良かったのだ。
ヴァンが一度でもそうしていれば、きっとマクシーの可愛いお姫さまだってこんなに傷付きはしなかっただろう。
マクシーが頭を撫でて慰めても、マクシーが何度「旦那様は奥様を愛してらっしゃいます」と伝えても、リリィはほろほろ泣いて「気を遣わせてしまってごめんね」と言うばかり。
何と可哀想な王女様。マクシーの胸は強く痛んだ。宝石のようなマクシーのお姫様。
マクシーが指先を汚しただけで顔を青くして、ほんの小さな傷一つにシルクのハンカチを惜しみなく使ってくれる、心優しいマクシーのお姫様。
可愛い可愛い王女様の心を奪っただけでは飽き足らず、傷付けるなんて、許されざることだ。
マクシーはヴァンに怒っていた。夫婦の問題であることはわかる。それでもマクシーは怒っていた。
マクシーはリリィのことが大好きで、そのせいで大層過保護なのである。
「ヴァンさまに嫌われたくないの。あ、あわよくば好きになってもらいたいの!出来たら一度くらいヴァン様の方からキスをしてもらいたくて、でも、でもこんなんじゃ無理よね。私、い、色気、ないし……」
「奥様……。どうかそうお嘆きにならないでください。奥様には奥様の素晴らしさがあります。輝く宝石のような方ですもの」
「でもっ……!」
マクシーの腕の中でふるふると震える小さな背中。マクシーは可愛いお姫様をそっと抱きしめながら、『あの男キスすら王女様任せだったのか……』と殺意を抱いた。
傭兵出身の貴族でありながら、こんなにも高貴で美しく愛らしい若妻を娶っておいて、キスすらも十代の少女に全任せ??ちょっと男としてどうなのかしら、と目が据わる。
「大丈夫ですよ、奥様。いざとなったら私と一緒に、セージャにでも移住しましょう。奥様はセージャに別荘をお持ちですし、海の見える場所です。のどかに暮らすには、きっとぴったりでしょう?」
「マクシー……」
「毎日奥様の好きなものばかり作って差し上げます。カーテンも奥様が好きな白いレースを使って、昼下がりまでお休みになって、気が向いたらお買い物に行けばいいんです。女は本来、男性なんていなくても幸せになれる生き物なんですよ。大丈夫。奥様には私が付いています」
「マクシーはリリィ様のことが大好きなんですよ」と、もう何年も呼んでいない呼び方で、マクシーはリリィの淡い髪を撫でた。
くすん、と可愛い音で鳴る小さな鼻。高貴な猫のように丸い額を、小さな子供を宥めるようにちゅっと口付けた。
するとマクシーのお姫様は、縋るようにマクシーの胸元に擦り寄って、「ありがとう、マクシー……」と小さな声が溢される。「でも、」と続けられたのは、囁くような声だった。
「でも、ね。嫌われてるかもしれないけれど、悲しくてもね。私やっぱり、ヴァン様のおそばに居たいの。疎まれていてもね、自分勝手かもしれないけれど、好きなんだもの。側に居たいの」
「……そう、ですか」
「顔も見たくないって、どこかへ行ってしまえとヴァン様に言われるまでは、しぶとくここにしがみついているつもり。だからね、マクシー」
「はい、奥様」
「旦那様にそう、言われてしまったら。そしたら私と、セージャの街に行ってくれる……?」
ほろほろ。ぽろぽろ。涙に濡れた黄金の瞳。眉間は痛々しく寄せられていて、マクシーはああ、と思った。
やっぱりそうよね、と思う。諦めというよりは仕方のない気持ちで、愛おしさに胸が打たれる。分かっていた。きっとリリィがこう言うであろうこと。
もしも万が一、やっぱりこんな家出て行ってやるとリリィが言ってくれたのなら、マクシーはこの小さなお姫様の手を取ってどこまでも行ってしまうつもりだった。
出戻りの王女など醜聞になってしまう。夫が戦死したわけでもない限り、リリィが王城に帰ることは難しい。だからどこか、海の見える場所。すてきな風の吹くところへ、リリィを連れて行ってしまうつもりだった。
けれどやっぱり、そうはならないのだ。マクシーの可愛いお姫様は、やっぱりあんな男のことが大好きだから。
マクシーの大切なお姫様が最も幸せになれるのはきっと、あんな男の側だから。
「もちろん、どこへなりともお供します。……でも」
「……?」
「きっとそうはならないと思います。口惜しいことに」
不安に表情をかげらせるリリィの手を、縋るようにマクシーの侍女服を掴もうとしたリリィの手をそれでも離して、マクシーが向かったのは廊下に続く扉。
マクシーの手が、ドアノブにそっと添えられる。そしてマクシーは勢い良く、慈悲もなく、その扉を強い力でグッと開いた。
扉を開けた先にはやはり、立ち尽くす男の姿。
褐色の肌。リリィよりもくすんだ色の金の髪。今日は珍しく、正式な場に出るわけでもないのに煌びやかな服をきて、髪も結い上げられているようだった。うなじが見える。青い色の瞳が動揺で揺れている。
ヴァン・ヴェルナーが、そこに居た。
「………え?」
マクシーの後ろで、リリィが息を呑んだのが分かる。驚いたのが分かる。怖がっているのが分かる。本当は今すぐ駆け寄って、抱きしめて、「大丈夫ですよ」と慰めて差し上げたい。
けれどマクシーはそうしなかった。その代わり、真っ赤に色付いた唇をグッと歪め、ヴァン・ヴェルナーを睨み付ける。
リリィには聞こえないような小さな声。側にいるヴァンにしか聞こえないような言葉で、「旦那様」と、雇い主に対するにしてはあまりにも敵意に満ちた様子でヴァンを呼んだのだ。
「聞いていらっしゃったのならお分かりでしょう。奥様は、旦那様に嫌われているとお思いです」
「……!」
「可及的速やかに誤解を解いてください。これ以上あの方を泣かせたら、刺します」
そうしてマクシーは、振り返りもせず去ってしまった。
何よ、と思う。ふんっ、と誰もいない廊下で鼻を鳴らす。戦場上がりで貴族になった男のくせに動揺して、気配を消すどころか、廊下で音を立てるなんて情けない。
それくらいリリィのことが好きなのに、表に出さないからこんなことになるのである。
窓の外を見れば、すっかり夕方。ヴァンの帰宅時間をゆうに超えてる。リリィはすっかりクローゼットをひっくり返すのに夢中になって、時間を忘れて、今日はヴァンの出迎えをすっぽかしてしまったのだ。
大方、結婚以来はじめてのこの事態に、慌ててリリィを探してここに来たのだろう。
あの男。今日は夜会もないのに珍しく着飾っていた。むしろあの様子、屋敷で着替えたのではなく、外で衣装を調達してきたのだろう。
目論見も思惑も、全く分かりやすいにも程がある。
でも。マクシーは立ち止まってそっと目を伏せた。長い睫毛が外からそそぐ夕日に照らされて、頬に影を作る。
それでも、これまでと比べればずっとマシだ。
こういう夫婦のすれ違いや諍いの解決さえ、リリィに甘えて任せきりならどうしてやろうかと思っていたけれど、一応自分から行動をしようという気持ちはあったらしい。
大方ヴァンはこれまで、自分よりも余程幼く、高貴で、純粋な夫人にどうしたらいいか分からなかったのだろう。それを考えれば、今回の一件はちょうど良いきっかけなのかもしれない。
精々これを機に夫婦間の意思疎通を改善させて、可愛いリリィが二度と不安を抱かなくなれば良い、とマクシーは強く思った。




