第五十四話 闇魔術師の采配
壁を破壊して登場したディランに横合いから蹴り飛ばされた死鬼は、憎しみの叫びを上げた。
「ギリィィィッ!」
「下がれ!」
両手の凶剣を水平に構え、滑るように接近する死鬼。ディランはイルゼとリリアナに一声かけて、斬り結ぶ。
ガガッ!
イルゼには剣筋を追うこともできない。男面に変化した死鬼の振るう刃は四方八方から休みなくディランを襲う。
喉、心臓、腹。致命となる場所への殺意剥き出しの刺突。
手首、足首、脛に指。戦闘力を奪い、次の一撃で命を奪うための冷徹な斬撃。
魔物の殺戮本能と剣士の技術を備えた死鬼の攻撃。呼吸を必要としないのだろう、死鬼は息継ぎもせず二剣を振り続ける。
ディランはその全てを、一歩も引かず迎撃していた。
殺意を感じ、術理読み、超高速に超反応で応じる。ただ、襲い来る刃を防いでいるだけではない。斬り下ろしを弾く剣は、同じ剣筋で死鬼の胸を裂き。腹への刺突を払いながら、同時に死鬼の腕を斬る。その姿は、『剣を扱う』という概念の究極の理想でもあった。
長剣と凶剣が激突する火花は、絶えず飛び散り続けた。
「……リ、リリアナさんっ」
「は、はひっ」
何とか身体を起こしたイルゼが、リリアナのもとに駆け寄った。
背中を斬られた女魔術師だったが、出血は止まっている。怪我の治療は水属性魔術師の得意分野だ。
「こっちへっ」
イルゼはリリアナに肩を貸し、正邪二人の剣士から距離をとる。
「ど、どうします? 逃げますか!?」
「逃げるわけがないでしょう。おじさまを援護します!」
「おじさま……?」
イルゼは『光輝の指輪』を死鬼に向けよとするが、あまりにも素早い二剣士の動きについていけない。
「ぅっ……」
「凄い……あ、あれがディラン・マイクラント……武王」
魔装騎士団に所属し、多少は武術の動きを知っているリリアナも目を丸くするしかない。
「でも、このままではっ……」
イルゼは、自分が狙われた時よりも悲痛な顔で言った。そう、このままでは。
死鬼の漆黒の身体は、何度ディランが斬りつけても即座に再生している。疲労も全く感じられない。魔物の体力が無尽蔵であるとするならば……いくら強くても人は負ける。
ガギッ!
「……ふむ……」
死鬼が同時に振り下ろしてきた二剣を頭上で受け止め、ディランは唸った。やはり、斬っても死なない魔物への対処について悩んでいる。
ドガッ。
水平に構えた受けの長剣がビクともしないことに気付いた死鬼が別の行動をとるまえに、その腹へ前蹴りをぶち込み距離をとる。
「ギシィィィ……!」
「これ、何とかならんのですか?」
ディランは聞いた。死鬼にではない。
「……分かんね。でも、あの手の物理法則を無視した魔物には、何か『これやれば死ぬ』系の弱点があるはずだね」
「ですか」
ディランの胸元、正確にはその懐にある黒瑪瑙の護符から、闇魔術師ディーガナバルの声が答えた。予想通りの答えに、ディランは淡々と頷く。
「『お互いを見つけるまでは不死なり』だ! それがヒントだよ!」
「そりゃ、分かってますが……む」
ぼやいたディランの脳裏に何かが閃く。
「そうか、あいつは……」
「シギィィィッ!」
いきなり死鬼の様子が変化した。二本の剣をクロスさせて構え、周囲にせわしなく顔を向ける。明らかに、ディラン以外の何かを警戒している。
「ん?」
ディランも首を傾げた瞬間。
「もー! 今度こそ逃がさないからっ!」
通路の壁から突如、制服姿のユーリアが滲み出してきた。
「あ、お父さんっ!」
「シギィィィッ……」
どうやら、ユーリアはこれまで魔層化した世界で死鬼を追いかけ回していたらしい。
死鬼はユーリアを認めた瞬間、怯えたように小さく屈み、後退りしていく。
一方、ユーリアは死鬼などよりも父親に反応し、体当たりするような勢いで抱きついた。
「ユーリア! ……大丈夫なようだな」
「私は平気だよ!」
ユーリアの顔は丁度ディランの鳩尾あたりになる。両腕で思い切りディランの胴をロックし、ぐいぐいぐいぐい顔や頬を父の腹へ押し付けていく。ディランも片腕で娘の背中を強く抱きしめてやった。
ユーリアの体感時間では、数刻前に自宅で別れたばかりの父だが。《お父さんのギューはいつでも最高よね!》とご満悦だった。
「ユーリアさん! よくご無事で!」
「あ、イルゼさんっ!」
あまりに唐突なユーリアの出現に唖然としたいてイルゼが、ようやく声をあげた。
「シギィィィィッ」
「あ」
それにユーリアが反応した瞬間、死鬼は闇に溶け込むように姿を消す。……まあつまり、逃げ出した。
「あんなヤバイ魔物が逃げ出すなんて、どういう子なのよ……」
リリアナは小声で呟いた。実際はディランにもユーリアにも筒抜けであるが、まあその程度を気にする二人でもない。
「ユーリアさん! 良くご無事で……本当に、ありがとうございましたっ」
「うん。イルゼさんも無事で良かった。でも何でこんなところにいるの? ていうかここどこ?」
ディランに抱きついたままのユーリアが首を傾げた。
「なるほど」
それぞれの事情の元に闘技場へ集まった四人は、極々簡単にお互いの状況を説明し合った。
その間、ユーリアはディランの右腕をしっかりと抱きかかえている。
「……衛兵の方々がもうすぐこられるのですね」
イルゼは、ディランの左側に立ち、何故か彼の袖を指先で摘んでいた。
「ギレンセン殿……いえギレンセンもウードとグルだったってことですか。……なんかもう、酷いなあ。セオドールもとっくに殺されてるんじゃないかしら」
一人だけディランの対面に立つリリアナも眉を寄せる。
「私はこれから、ギレンセン殿とウード殿を捕獲、ないし成敗し『星』を破壊します。ユーリアは、イルゼ殿下を守って退避しなさい」
「私もお父さんと一緒に行く!」
「私もお手伝い……いいえ、この事件は私が解決しなければなりません」
「あれ? 私は帰っちゃだめなの?」
ユーリアとイルゼは、口々にディランに同行すると主張する。
「君は魔装騎士団の魔術師だろう? これは公務だ。……しかし……」
公私の区別に(娘に関して以外は)厳しいディランは、不思議そうなリリアナにぴしゃりと言った。しかしそれから、少し考え込む。《確かに……この子は高位の魔術師らしいが、連れて行っても危険なだけかな……》
「お父さん! 私も行くよ!」
「私も連れていってください、おじさま!」
「うるせー小娘ども!」
怒鳴ったのはディラン……の胸元の護符。ディーナの声だ。一応、ディランから説明はしてあったのだが。
「さっきから闘技場の内部を霊的探査してたが、もうマジで時間がない。ディランは、舞台へいきな! それから、ディラン娘と殿下とリリアナは、このまま貴賓室だ! 舞台か貴賓室、そのどちらかに『星』がある!」
「ディーナさん! ユーリアはともかく、殿下を巻き込むんですか!?」
イルゼにはユーリアをつけて脱出させるつもりだったディランは抗議した。それに対し、黒瑪瑙の護符は、『一刻も早く星を破壊しなければ帝都の魔層化が起こる』と反論する。
「それに、舞台の方にギレンセンが居るっつったのはお前だろ? ウードとあの魔物だけならディラン娘とリリアナと殿下がそろってりゃ何とかなる。でもギレンセンはお前じゃなきゃ無理だ」
「……とにかく時間が足りない、か」
「おじさま!」
イルゼはディランの袖を引き、半ば胸元に抱きかかえるようにしながら上目遣いで彼を見た。
「お心遣いは嬉しいですが、私も覚悟あって申しております。それに衛兵隊が、緊急時に民間人から協力者を得ることは珍しくないのでは?」
「……むう」
ここでいう『民間人』とはほとんどの場合冒険者なのだが。確かに、一般人の中でも有能なものの力を借りるのは衛兵には良くあることだった。《特別扱いはしない、と言ったしな……》
「分かりました。殿下……いえ、イルゼさん。魔術師リリアナに協力してください。ユーリアも、二人を手伝うんだ」
「ありがとうございます!」
「分かった! 後でギュー一年分ね!」
「……やっぱり私は選択の余地なしですか……」
ディランたちが最後の決戦へ向う役割分担を決めた時。
衛兵司令部に待機していた闇魔術師ディーガナバルは、一つため息をついた。
「ふうっ……」
「ど、どうしたのお姉さん」
成り行きでまだ司令室に居残っているアイネがディーナに聞く。
「いやぁ……創造神も性格悪いなぁ、って思ってさ」
「はぁ?」
同じく、ユーリアやイルゼのことが気になって退室するにもできないブルダンが首を傾げる。
「なーんでもないよ。ほら、お茶をもう一杯淹れてやろう」
「なんか自室感覚だけど、いーのかなぁ?」
「いーのいーの」
司令室に備え付けのキッチンを勝手に使い茶の用意をするディーナは、アイネとブルダンの二人にも、物憂げな視線を向けていた。




