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第五十三話 皇女の奮闘

 ディランがシュレイドと激闘を繰り広げていた頃。

 イルゼもまた、恐るべき敵と相対していた。


「九つに……至らんこと……を……」

「……っ」

「ひぃぃぃ」


 イルゼとリリアナの目前には、黒い女……『死鬼』が立ちはだかっている。

 狭い通路だ。非常時に、闘技場の貴賓席から皇族が脱出するための秘密の抜け道。

 アイネとブルダンを衛兵司令部に向かわせたあと、イルゼはリリアナとともに闘技場に向かった。闘技場を、すでに魔装騎士第二大隊が占拠していたのを見たイルゼは、抜け道を利用して内部に侵入したのである。


 抜け道と、リリアナの水魔術で魔装騎士たちの目をくらましながら、闘技場内でウードや『星』を探していたのだが……ついに、『死鬼』が表れたのだ。


「ユーリアさんはどうしましたっ!?」

「シィィィィ……」


 常人なら衰弱死しかねない濃厚な瘴気にさらされながら、イルゼは死鬼を鋭く睨みつけた。耐えられるのは、彼女自身の魔力もまた一流だからであろう。リリアナも、青い顔をしているが何とか立っていた。


「ユーリアさんを戻しなさいっ!」


 イルゼは黄金の目を吊り上げ、一喝する。

 彼女の視点では、ユーリアは自分を守って魔層化イヴィライズした世界に残ったままだ。


「ちょっと、殿下! 逃げたほうが……」

「いいえ。この魔物は私が呼び出してしまったもの。私が始末いたします」


 死鬼からは何の反応もなかった。コミュニケーションを断念したイルゼは、躊躇なく『光輝の指輪グレアリング』を使う。


 ビッ!

 一筋の光線が指輪から放たれ、死鬼の胸元を貫通する。


「……シィィィ」


 親指ほどの穴が空いた胸元を不思議そうに見下ろす死鬼。穴は、死鬼の体内に満ちた闇がたちまち充填し、塞いでしまう。


「シイァッ!」


 獣ように四つん這いになった死鬼は、女面を歪ませ叫びながら狭い通路の壁面に駆け上る。そのまま天井を逆しまになって進み、イルゼとリリアナの頭上へ……。


水妖ウンディーネよ衣を翻せ!」


 天井からイルゼの頭部へ落下しざま爪を叩きつけようとした死鬼を、水の膜が遮った。リリアナの水魔術。


「シアアアッッ!」

「イルゼ殿下!」

「……逃げてもこの魔物は追ってきます! 魔術師リリアナ! 貴方の技量、ここで示しなさい!」


 水の膜に包み込まれ、落下した死鬼。のたうち回るうちに、水の膜は簡単に引き裂かれていく。

 その形相、その殺気に怯えて袖を引くリリアナを、イルゼは叱咤する。黄金の瞳に見つめられ、リリアナの背筋が伸びた。


「もう、ヤケクソですよ! 水妖ウンディーネよ、凍える吐息で我が敵を滅せよ!」


 リリアナの背後に、羽衣を纏った貴婦人の像が浮かび上がる。貴婦人、水妖ウンディーネが唇を尖らせれば、そこから極寒の風が吹く。


「シィアァァァ……ァァァ……」


 もともと水の膜に覆われていた死鬼の全身はたちまち凍りつき、不気味極まりない氷像ができあがった。通路全体が一気に氷点下まで冷え切った通路も、霜や氷で覆われていく。


「……さすがですね。でも、考えてみると貴女と私では少し魔術の相性が良くないようです」

「ええ、ひどいですよぉ」


 凍りついた死鬼に『光輝の指輪グレアリング』を向けたイルゼは呟いた。あの状態の死鬼に光線を浴びせたら、解凍し助けることになってしまう気がしたのだ。


「ていうか、これくらいで倒せるともあんまり思えないっていうか……」


 ビキッ。

 リリアナの想像どおり。氷に包まれた死鬼の女面は、『ニタリ』と笑った。バキバキと氷を引き剥がし、氷結して砕けた体は闇で再生しながら、死鬼は二人ににじり寄る。


「これは……致し方ありません」

「逃げるんですね?」

「いえ。これ・・を使います」


 イルゼは懐から新たな『武器』を引っ張りだした。


「シィィィアァァ!」


 また四つん這いになり、今度は正面から突進してくる死鬼に、イルゼは小型の化粧鏡コンパクトレンズを向けた。

 魔術器アークではない。古代の技術で作られた正真正銘の『神器アーティファクト』。


「『炎葬焦熱鏡フレアミラー』。灰におなりなさいっ」

「シギャァァァァ!?」


 金銀で装飾された古風な蓋付きの鏡。その鏡面からに映し出された死鬼の全身が、一気に白熱した。

 まさに、焦熱地獄に落とされた罪人のごとく。白く輝く炎は容赦なく死鬼を侵食する。

 イルゼとリリアナの視界も白く染まる。死鬼の漆黒の体があっという間に蒸発していくほどの高熱は、本来なら二人も無事では済まさない。熱波で少々肌が熱くなるだけ、というのは……。


「これが神器アーティファクトの力……」

「あわわ……ってか、何でそんな危ないモノ持ってるんですか……」


 あまりの威力にイルゼも呆然と呟く。リリアナの疑問も当然だった。純然たる帝国の技術の産物である魔術器アークと違い、ダンジョンや遺跡から発掘するしかない神器アーティファクトは、ほとんど帝国政府が管理しているのだ。


「お父様に……皇帝陛下にいただきました。私の十三歳の誕生日に」

「へ、へぇ……」


 違う意味での汗を頬に浮かべてリリアナは頷いた。内心、《ンなもん子供に贈るなよ……。ていうか、皇帝陛下、殿下のことむっちゃ好きでしょ?》と思うのも無理はない。


「さしもの魔物もこれで……」


 ほとんど床の染みと見分けがつかない有様になった死鬼を見下ろし、イルゼが呟く。その言葉に、リリアナは何か思い出したようにイルゼの肩をつついた。


「で、殿下。そういう台詞は……」

「はい?」


 イルゼが答えた瞬間。


「ギヒャァァァァァ!」


 魂が消し飛ぶような、暗く爛れた『男』の声が響いた。

 床の染みのような黒い何かが、あっというまに厚みと高さを取り戻し……黒髪を長く垂らし、両手に剣を構えた『男』の姿に変わる。


「ギシァッ!」

「殿下っ!」


 無造作で、無慈悲な横殴りの剣撃。イルゼを突き飛ばしたリリアナの背中から鮮血が飛び散った。


「リリアナさんっ! ぐっ!?」


 床に転がりながらも、炎葬焦熱鏡フレアミラーを男面の死鬼に向けるイルゼ。だが、死鬼は皇女の鳩尾を蹴り上げる。

 制服姿の皇女は軽々と宙に蹴り飛ばされ、床に転がった。鏡は手元から跳ね跳び、床に落ちる。


「ギイィッィ!」

「……あ……う、あぁ……」


 死鬼は跳躍して転がった皇女を追い、その身体をまたぐように仁王立ちになった。

 女面の濡れたような憎悪の目も恐ろしかったが、男面の死鬼のそのおぞましさよ。死鬼の全身から溢れ出す、強烈過ぎる『殺意』そのものがイルゼの心を凍えさせた。


 死鬼の白目がなく真っ暗な目には躊躇も慈悲もない。イルゼは、『自分が死ぬ』という事実に、ついに目を閉じた。

 生まれてこの方、敵意や侮蔑の視線を受け続けてきた少女が、それらが子供だましだったと思えるほどの殺意の目を向けられ、最後の最後にすがったのは。


「お父様……助けて……」

「ギアッ!」


 小さな呟き。それをかき消す叫びとともに死鬼は二本の剣を突きおろし……『ドゴォッ!』。轟音とともに吹き飛ばされた。


「イルゼ殿下ですね? ご無事か!?」


 秘密の通路の壁をぶちやぶり、死鬼をも蹴り飛ばしたのはディランだった。

 イルゼの、涙で滲んだ視界に映るのは、鋼のように逞しい男の背中。


「……ぁ……あ……」

「私は衛兵のディラン少尉。……ユーリアの父です」


 すぐさま起き上がった死鬼から、倒れたイルゼを庇いながらディランは手短に告げる。


「ユ、ユーリアさんの? はい、私は大丈夫です! ……おじさま」


 少女の声には、安堵と信頼と、それ以上の何かが込められていた。


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