第十二話 新入りの衛兵の通過儀礼
帝都職人地区。
鍛冶師や彫金師など、金属加工系の職人が集まる通りを、四人の衛兵が進んでいく。
「このあたりも大分変わったな……」
ディランは、第六〇一小隊の問題児たちを引き連れて巡回中だった。ふと周囲に視線を巡らせ、しみじみ呟く。
店先に並ぶ武器や鎧はみなピカピカでデザインも良い。自分やシュレイドが三十年以上前にこの通りを歩いた時は、戦場で回収してきた中古品や粗悪品だらけだった。
「どうしたんすか、隊長?」
問題児三人の中で唯一気安く話しかけてくる小柄な青年、リューリンクが聞く。
「私が帝都にいたころは、ここらはもっとゴチャゴチャと店が集まってたんだ。しっかり区画整理されたんだな」
「へーなるほど」
記憶に残る光景との差異を確認し、脳内の情報を更新しながらディランは説明した。リューリンクはあまり興味なさそうだったが、ふんふんと頷いている。
「ああ、確かここにはあの頃、魔族の兵士から剥ぎ取った武器を買い取ってくれる店があったな……」
金属製の食器を扱う店の前でディランは立ち止まった。小遣い稼ぎにシュレイドと一緒にやってきた『その』店で、思い切り足元を見られて二人してキレたことを思い出したのだ。
「おっさんの昔話はどーでもいいんだよ。さっさと行こうぜ」
赤毛の女衛兵ゾマーが、イライラを隠さず吐き捨てた。片手に連結棍棒をぶら下げ、鎖を鳴らしている。ただし、通りを歩く職人や小僧などが、怯えた目を彼女に向けていく理由は、それだけではなさそうだった。
「……俺たちも暇じゃない」
火竜槍を肩に担いだ痩せた青年衛兵も、ゾマーと同意見のようだった。ヴィダルという名の青年の声は静かだったが、その分抑圧された激情を感じさせる。
「ああ、すまんな。さっさと行こう」
無論、ディランにとっては若い部下たちからの敵意など、そよ風のようなものだ。《とはいえこのままではいかんなぁ……》。
『大戦』中や魔境都市なら、ただ一緒に死線をくぐり抜けるだけで分かり合えた。今の帝都では望むべくもないが。
「おっと……隊長! ちょっと待ってくださいよ!」
「どうした?」
職人地区を出て、貧民が多く住む居住区に入った直後。リューリンクがディランを呼び止める。
地区を隔てる市壁の側だ。リューリンクは居住区からスラムへ続く通用門の前で立ち止まっていた。
帝都には、衛兵の巡回経路に含まれない犯罪地帯という場所も存在する。ここは、その犯罪地帯への入り口の一つだった。
「いや実はですね。俺ら衛兵隊には一つ儀式があるんすよ。新入りは一人でこの門の向こうを巡回して、初めて一人前ってことになってるんです」
「そうそう!」
「通過儀礼ってやつだ」
「ほう」
リューリンクがにやつきながら言った。ゾマーとヴィダルも口元を歪めながら頷く。もちろん嘘である。
「あんた、武王とかいう英雄なんだろ? 新人でもやることから、まさか逃げるとは言わねえよなぁ?」
「……怖ければ止めても良いがな」
ディランにも見え見えの嫌がらせであったが、彼はあっさりと頷いた。
「なるほど。その儀式をやり遂げたら、晴れてお前たちの仲間ってことだな? 良いだろう」
「へ?」
リューリンクは目を丸くした。『司令部の売店でパン買ってこい』『わかった』くらいの軽いノリだったからだ。この男、門の先がどうなっているか知らないのか? と思っても無理はない。
「ほ、本当にやるんすか?」
「リューリンク! 余計なことを言うんじゃないよ! 良いねぇ、英雄さん。やってみろよ」
「ああ。そうだな、ここが市壁の五番通用門だろ。三番から出るから、先にいって待っててくれ」
入隊したその日のうちに暗記した帝都の地図を思い出しながら、ディランは言った。三番通用門なら商工区にあるから、部下たちは安全に待機できるはずだった。
「……一刻だけ待つ」
「分かった。ああ、これで飯でも喰ってろ。警戒だけは怠るなよ」
「ちっ」
ディランはヴィダルが冷たく言い放つのに軽く答えて、リューリンクに小銭を掴ませた。その余裕にゾマーは舌打ちする。
「じゃあまたな」
ディランは片手を挙げてスラムの通りに足を踏み入れていった。
「ここも、懐かしいといえば懐かしいな」
壁一つ潜ると、そこは別世界だった。
まず悪臭が鼻をつく。ガラクタやゴミクズが放置され、汚物もあちちこちに落ちている。道端に座り込む不具の物乞い、痩せこけた子供、生気のない目でうろつく老人。
「……しかしまあ、あの頃ほどじゃないか」
ディランの記憶にある、三十年以上前のスラムは文字通りの地獄であった。餓死死体がごろころしていたし、子供はその死体に群がっていた。稀には死霊や魔物すら発生していたのだ。
あれから時代が進み、帝都の豊かさが、最低限とはいえここにまでもたらされているのだ、と少し安堵する。《ま、当の住民にしてみれば、知るかって話だが……》
ディランは人並み以上の正義感の持ち主ではあったが、スラムの住人全員を救って歩くほどの聖人ではない。
とりあえず、三番通用門を目指して歩きながら、物乞いの壺に銅貨を投げたり、ガラクタを売りつけようとしてきた少年に、ブーツを磨かせて駄賃を与える程度だ。
「ちょっと待ちなよぉ」
「ふむ」
やや広い通りを進むと、目の前を数人の若者が塞いだ。路地からも追加の若者があらわれ、背後に立つ。前後、合わせて十二人に囲まれた形になる。
「よぉ、衛兵さん。仕事熱心だなぁ? そんなにスラムが好きならここに住んだらどうだい?」
ディランの正面、ひょろりと背の高い若者がへらへら笑いながら言う。手には短剣をぶら下げていた。他の連中も棍棒や手斧など粗末な武器を手にしている。全員、衣服はボロボロだし肌の色は悪い。
「ひっひっひっ」
「さっきから見てたらずいぶん景気が良いようだなぁ? 俺たちにもちょっと恵んでくれよ」
「そうだなぁー! 有り金と持ち物全部で許してやるか!」
「かわいそうだから、パンツは勘弁してやるよ!」
「ぎゃっはっはっ!」
「……ふぅ」
まあ、絵に描いたような追い剥ぎである。ディランは、心底呆れたというような長い溜息をついた。もちろん、もとより感覚は研ぎ澄ましている。正面だけでなく背後の若者の位置も動きも全て把握していた。
その上で、彼は小さく息を吸い。
「元気があって! 大変結構!!」
「ひっ!?」
落雷のような大音声に、若者たちはビリリと背筋の痺れる感覚を味わった。
「その体力があるなら普通に労働もできるだろう? 無駄なことをしていないで……ん!」
「ぎゃっ!?」
お説教を始めようとした矢先、背後の若者が角材を振りかぶったのも察知していた。上体を捻って裏拳を顔面にぶちこむ。顔面に注ぎ込む衝撃は十分計算していた。計算どおり、彼は即死せず後方に吹っ飛び、悶絶する。
「色々言いたいことはあるが、まあ後にしよう」
「な、な……」
「どうせ、ゾマーあたりに頼まれたんだろう? 引き受けたならそれも仕事だ。だったら男らしく、仕事を果たせ」
ディランは先程の部下たちの態度と照らし合わせて推測を口にしたのだが、どうやら図星だったようである。
「や、やっちまえ!」
「うらぁぁぁ!」
「死ねや!」
それでも十一対一だ。若者たちは蛮声をあげ、ディランに襲いかかる。
「ほっ」
ディランは跳躍した。真後ろに。
「ぎゃ」
挟み撃ちで、背後から攻撃する者はまさか反撃があるとは思っていない。相手はまず正面の敵に対処するはずだからだ。その予想を軽く越えた、後ろ飛び廻し蹴り。一人の顔面を蹴り抜いて着地する。
「う……ぐほっ」
「あがっ!?」
「この野郎ぉ! ぎゃふっ」
虚を突かれ棒立ちになった左右の若者の横っ面を、遠慮なく肘と拳で打ち抜く。その一人の腕を掴んで、正面から向かってくる三人へ投げ飛ばす。
学習したのか、今度こそ前後から同時に棍棒を振り降ろされれば、片足を軸に反転し攻撃線上から逃れる。お互いを殴りそうになって慌てて止まったので、二つの頭部を掴んで激突させてやった。
……。
ゾマーたち三人の衛兵が待つ三番通用門。
ディランが出てきたのは、彼らの予想よりもずっと早かった。




