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 それから2日に一度のペースで彼女に会いに行ったが、紗季ちゃんは私のことをとても頼りにしていてくれるようだった。猫を被った甲斐があったものだ。

 この世界のことを尋ねられたり、聖女について学んだり、と表面上だけだった会話も、最近では元の世界での生活や、この世界のとある人に惹かれている、だなんてことまで教えてくれるようになった。彼女がこの世界に徐々に馴染んでくれているようで、結構である。



「わたし、不思議なんです。わたしは何の役にも立っていないのに、こんな風に贅沢な暮らししててもいいのかなって」



 紗季ちゃんが、金で縁取られた可憐なティーカップをソーサーの上に戻しながら俯く。王都にある彼女の屋敷は――私も僅かばかり住んでいたことがあるので聖女の屋敷でもあるのだが――華美でこそないが上等な品ばかりで、洗練されている。



「聖女とは、存在するだけで尊いものらしいわよ?」

「それがよくわかんないんです。わたしが聖女? 尊いとか言われても、ぜんぜんピンと来なくって……」

「聖女の条件って知ってる?」

「えっと……黒髪であること、でしたよね?」



 彼女の言葉に、私は笑みを浮かべたまま頷く。



「この世界で信仰されている女神は、豊かな黒髪を持つと言われているの」

「日本では、黒髪なんていっぱいいますけど……」

「ええ、そうよね。だけどここは、日本じゃないの。紗季ちゃんはあんまり多くの人と出会ったことがないからわからないかもしれないけど、この世界の人たちって色素が薄いのよ」

「え? ああ、はい。みなさん、白人みたいですよね。顔の作りとかも」



 髪の色は変だけど、という言葉を紗季ちゃんは飲み込んだようだった。私の背後に控えるヴィクターに配慮してのことだろう。



「そうだけど、髪色が淡い人ばかりなのよ。そこにいるヴィクターは結構濃い方よ」

「菫色が、ですか?」

「私たちからしたら随分と淡い色だけど、この世界では黒に近いとされているわ。そして黒に近い色を持つ人間が、神殿では女神に近いと言われているの」

「はぁ……」



 紗季ちゃんは腑に落ちないような顔をしている。私はわざとらしくヴィクターを指さし、にっこりと笑う。



「つまり彼らからしてみれば、私たちは珍しいだけなのよ。日本でだって、ツチノコが見つかったら血眼になって保護しようとするでしょう?」



 彼女は頬張っていたクッキーを吹き出しそうになり、むせた。





 いくら涼しく湿度の低い気候とはいえ、徐々に私の腐敗は進んでいる。

 末端から進行するそれのせいで、先日左手の小指がぼろりと取れてしまった。腐敗してじゅくじゅくになっていたので薬品でかさかさに乾燥させて手の形を保ってはいたが、それでも朽ちてしまうのはどうしようもない。最近では腐臭を隠す香水も量が増えていて、私が通るだけでその場には残り香が満ちるほどだ。

 残された時間も少ないし、最期には何か楽しいことをしたい。そんな想いで、自らの魂を枯れ枝のような体に引き止めていた。





 その日も、私は紗季ちゃんと一緒にいた。

 彼女はむせかえるような私の香水に嫌な顔一つせずにテーブルを囲んでくれる。まるで子犬のように私を慕う彼女を、どうしたら楽しいかとずっと考えていた。


 彼女を元の世界へと帰せたら意趣返しにもなるし、ヴィクターの最高に面白い顔を見れるかと思ったが、生憎私にはその手段がない。というか、そもそもこの世界の人間は聖女を召喚するが帰すつもりなど毛頭なく、そういった魔法は研究すらされていないらしい。

 私と同じ――生ける屍にしてみてはどうだろうか。そうは思ったが、死ぬのってやっぱり結構痛いし、紗季ちゃんは私ほど割り切れないかもしれない。いや、感情の一部を女神に奪われればそうではないかもしれない。だけどそれじゃあヴィクターたち神殿側には大したダメージもないし、意味がない。紗季ちゃんだけが不幸になるのは、可哀そうだ。



「――――?」

「え? ああ、ごめんなさい。考え事をしていて聞いてなかったわ。何だったかしら?」

「いえ、最近疲れてないですか? 顔色が悪いような……」

「そうかしら?」



 紗季ちゃんが心配そうに私をじっと見つめる。生前健康体だったため言われたことのないセリフだが、まさか死体になってから顔色を心配されるとは思わなかった。安心して、そもそも血が通っていないから。家畜の屠殺よろしく、ちゃんと血抜きされてるから!



「平気ならいいんですけど……あの、式典の話、聞きました?」



 式典、そういえばヴィクターがそんな話をしていた気がする。新聖女お披露目の式典だ。私も生前は渋々嫌々参加した記憶がある。確か、前聖女が次代に聖なるともしびを引き継ぐとかいう、そんな感じのお祭りだ。

 私には自分の先代聖女から何かもらった記憶などないが、式典では聖女のベールを受け渡すことにより、神聖なる力を引き継ぐらしい。市民を集めての大々的な催しになるため、目いっぱい着飾って、威厳とか神聖さとかを世に触れ回らなければならなかったが、拉致られてグロッキーになっていた私はうまくこなせなくて、早々に退場したのだった。



「えーっと聖なるともしび、の奴よね?」

「はい。実は、不参加だという噂を聞いたので……違い、ますよね?」



 紗季ちゃんが不安そうに目を伏せる。私はそんな雨に降られた捨て犬みたいな彼女を安心させるように、優しい表情を作って囁く。



「紗季ちゃんは、どうして欲しいの?」

「わがままかもしれませんが、できたら、一緒に参加して欲しいです。わたしひとりだと思うと、ちょっと……不安で」

「…………………紗季ちゃんが望むのなら、私も頑張ってみようかしら」



 そう、紗季ちゃんが望むのなら、ね。





 式典の準備というものは、大概が面倒なものだ。私のお披露目時も、着たくもない重いドレスを着せられ、教育係には優雅な仕草を仕込まれ、更には威厳のある笑みを浮かべろ、だなんて現代日本人には到底無茶な要求を突き付けられたものだ。

 しかも前回はただ悠然とほほ笑んでヴェールを受け取るだけで良かったのだが、今回は前聖女として色々とした手順を踏まねばならないらしい。本当にお前にできるのか、というヴィクターの視線が鬱陶しい。



「あのね、そんなに睨まないでくれる? 集中できないわよ」



 ドレスの再調整中、背後でむっつりとした顔で腕を組むヴィクターへと声をかける。



「……聖女様は、随分と式典を楽しみにされているようで」

「ええ、そうね。ようやく終わるんですもの」

「終わる?」

「勘違いしないで、聖女の役目のことよ」



 そもそも聖女の役目なんてひとつもまともに果たした記憶がないが。いつものヴィクターならば嫌味の一つや二つ返ってくるのだが、金を握らせているとはいえ神殿側の針子がいるため、聖女には敬意を持ったような態度で過ごしている。



「役目を終えた後、私は好きなことをして過ごすの。それがとても、ええ、そうね。とても楽しみなの」



 最後の調整を終えた針子が、深く腰を折り立ち去る。それを見送ったヴィクターは、いつもよりも鋭い眼光でこちらへと視線を向けていた。



「何を考えている」

「これからのことよ」

「式典が終われば、お前の存在価値はなくなる。女神の身元へと還されるとは思わないのか」

「あら? そもそも私はこの世界の住人じゃあないの。女神が素直に引き取ってくれるとも限らないわ」



 ほほ笑みながら、ヴィクターの顔へと指を這わせる。彼は不快そうに、まるで汚物を塗りたくられたかのような顔で私の腕を払い、言った。



「死んでからのお前は異常だ」

「生前なんて知らないじゃない」

「そうだとしても……まともな人間の思考ではない。何を企んでいる?」



 振り払われた手を、ヴィクターが強い力で掴む。哀れ、私の繊細な指先は小枝のようにボキボキと小さな音を立てて崩れてしまった。それに気づいていないのか、バラバラになった左手を握り締め、彼は私に詰め寄る。



「企むも何も、私はただ楽しみたいだけ」

「楽しむ? 式典がか?」

「ええ、ええ。とても楽しみ。だって多くの国民の前に、私が姿を出すのよ。こんな真っ当な生者を冒涜するような、怪物が! それをこの国の信者たちはありがたがって拝み、望みを託すの。こんなの、滑稽以外の何物でもないわ!」

「……黙れ」

「…………ヴィクター、あなた何を怒っているの? こんな状況にしたのはすべてあなた。あなたたちのせい」

「黙れ!」



 珍しく彼が声を荒げる。いつも私を見下していたアイスブルーの瞳が揺らぐ。切れ長の瞳は見開かれ、まるで不安や後悔を煮詰めたように陰っていた。



聖女(わたし)をうまく洗脳できなかったのも教会(あなた)。私を殺したのも教会(あなた)。そして、私を化け物にしたのもあなただわ、ヴィクター」



 ヴィクターの力が弱まり、ボロボロになった私の左手が解放される。



「何も知らない国民は被害者だわ。だけどヴィクター、あなたは加害者よ。私と一緒に、無垢で無知な民を騙し、信頼を弄んでいるの。だから――」



 ヴィクターの瞳は、もう私を見ていない。どこか遠くを見つめている。それをいいことに、私は扉にそっと手をかける。



「――あなた、きっと後悔するわ」



 その言葉だけ残して、私は部屋を後にした。





 あの日からヴィクターは目に見えて私への干渉を避け始めた。しかし、ふとした拍子に視線が絡むことから、彼も色々と悩んでいるようにも見えた。

 決して長くはない付き合いの中で、ヴィクターは不愛想で冷徹ながらも糞がつくほどの生真面目であるとも理解している。紫の髪に生まれて、どっぷりと神殿に浸かってきた身だ、更には御業の執行者とも呼ばれる特別な神官でもある。魔法の才は生まれ持っての資質に左右されるが、才能に奢っていては彼ほどの術者になるのは容易くはない。きっと女神への信仰も人一倍なのだろう。

 そう予想して、軽く揺さぶってはみたものの、これが想定外に効果覿面だった。打てば響くというのはこのことだろうか。今までヴィクターで遊んでも大した反応も見られず、つまらない男だと思っていたがそれは私の攻め方が悪かったらしい。痛いところを突けばこうも狼狽えてくれるのか。ヴィクターの突如足場を失ったような瞳を思い出し、高笑いが漏れそうになる。

 彼は今、女神への信仰と民を騙す罪悪感に揺らいでいるのだろう。しかし迷い、決断したところでどうしようもない。既に聖なるともしびの儀は、滞りなく進行しているのだから。



「安心して、ヴィクター」



 前聖女である私の背後に控えているヴィクターへと声をかける。彼は不安げな瞳で、こちらを見つめ返すだけで何も言おうとはしない。



「私がすべて、白日の下に晒してあげる。あなたに懺悔する機会をあげる」

「ま――っ!」



 瞳を見開き、腕を伸ばそうとするヴィクターを無視して壇上の中央へと足を進める。後ろで何かを叫ぶ彼を抑える他の人間の声が聞こえるが、それは無視だ。今となってはもう彼には、いや、もう誰にも止められないのだ。



「みなさん」



 壇上の中央で声を張り上げる。多くの民が集まる中、声を拡声する魔法がかけられた道具はあるが、すべての民に私の声が届くよう、魔道具に声を乗せる。



「今ここに、新たなる聖女が召喚されました。紗季、こちらへ」



 紗季ちゃんがしずしずと歩いてくる。幾重にも重なった純白のドレスは重くて、足を取られそうだとぼやいていた彼女が嘘みたいな洗練された仕草だ。きっと何度も練習したのだろう。

 彼女が私の前でひざを折り、女神に祈りを捧げる姿勢を取る。誰もが静かに見守る中、私は分厚いヴェールの下で彼女ににっこりとほほ笑んだ。見上げた紗季ちゃんの表情が凍る。



「このヴェールをあなたに引き継げば、私の役目も終わり」



 そっと、ヴェールを外す。

 誰かの息を呑むような声が聞こえる。悲鳴は徐々に伝播していき、儀式を行っていた神官は泡を吹いて倒れていた。誰も動き出せず、目の前で起こっている事態を呆然と眺めている。



「あ、あァ! そんなっ!」



 至近距離で私を見つめる紗季ちゃんが悲鳴を漏らす。足は震え、腰が抜けて動けないのだろう。地面にへたり込み両腕で体を支えながら、じっと私を見つめていた。



「驚いた?」



 私はナイフで肉をそぎ落とした顔で彼女に微笑んだ。内側が僅かに血に染まったヴェールを紗季ちゃんにかぶせながら、彼女にそっと囁く。



「次の聖女は、あなた」



 紗季ちゃんは声も出せないくらいに震え、瞳からは雫がぼろぼろと零れ落ちていた。

 ドレスの中から取り出したナイフを手に、魔道具へと声を張り上げる。肉のこびりついた頭蓋骨を手に、首にナイフを突き立てながら。



「死してなお、聖女を縛り付けるこの世界に呪いあれ!」



 私の叫びに、正気を取り戻した神官たちが取り押さえようと飛びついてくる。



「呪われろ! 呪われろ! 呪われろ! あはは、呪われろ! のろ―――――ッ」



 私は御業の執行者により術を解除されるその時まで、この世界への呪詛を吐いて二度目の死を迎えた。





「あのね、ぼくが生まれるちょっと前、聖女さまに化けたわるいまものがいたんだって」



 華美といってもいいほどに職人の技巧を凝らした庭園。少年はそのはずれある大きな木のうろに、こっそりと宝物を隠していた。



「うん、それで、教会はしゅくせいしてるんだって。え? うーん、ちょっとわかんない」



 ひとり、木々と言葉を交わすように根色の髪を持つ少年は言葉を綴る。



「怒った人? うん、いっぱいいるみたい。ないらん? が起きたっておじさんがいってた。女神さまを信じる人も減っちゃったらしいし」


「うーん、お父さまはわるいまものがいたっていってたよ?」


「……そうなの?」



 地面に座り込んだ少年は、訝しそうな顔で虚空を見つめた。



「うん、お父さまには秘密にしとく」



 小さな花を指先でいじりながら、少年は頷く。



「あ!」



 ふと、遠くから少年を呼ぶ声に、彼は上等な服についた砂を払い、立ち上がる。



「エラ、ここだよ!」

「殿下! クロウがお探ししておりましたよ!」

「うーん、クロウのお説教は長いからやだなー」

「殿下がお勉強からお逃げになるからですよ」

「だってさー」



 そういいながら少年は、メイドと共にその場を後にするが、メイドはふと立ち止まり胡乱げな表情で大樹を見つめる。



「どうしたの、エラ」

「いえ……わたくしの気のせいのようです」



 風に揺れる大樹の葉ずれが、まるで女の笑い声のように響いていた。

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