8 『最高の笑顔』
晴れて長き旅を勝利で終わらせた勇者、ジーク・ストラウスは忙殺されていた。
それも当たり前だろう。国王がいなくなり、貴族たちがこぞって失脚していったのだ。コレから当分は書類とのにらめっこになると思うと辟易するが、これも自らが選んだ道であると納得する。
「結局彼は、こなかったな」
今日は時代が変わる日である。
すなわち、王国を腐敗させてきた原因である悪女、エレリアが処刑されるのだ。
もちろんジークたちはそうは思っていない。彼女こそこの事件の一番の被害者であることは、かのパーティー全員が認めている。
こんな処刑、間違っていると思う。だが、世の中は綺麗事だけではまかり通らない。残酷だが、民はそんなことを許さないのだ。
時代が変わるというのなら、人々は歴史の節目を望む。次代の王が名乗りを上げるような、決定的な変化を。そのためには、エレリアの犠牲が不可欠なのだ。
ジークは、変装をして人ごみに紛れていた。
城から彼女の最期を見降ろそうなどと、誰が思える。エレリアには気高き同情を持って、同じ目線で見据えるべきだ。そうしなければ、あまりにも報われない。
斬首台には、両手を縛られて俯くエレリアの姿がある。
民はそれを見て、多種多様なヤジを飛ばす。彼女は、何の反応も示さない。
「これが、覚悟だっていうのか……」
握りしめる手には、血が滲んでいた。誰にも救われない彼女のような人を救うからこそ、憧れてきた御伽の物語の主人公は勇者と呼ばれてきたのだ。これでは、英雄でもなんでもない。ただの、人殺しでしかない。
「――それではこれより、大罪人エレリア・オルタンシアの処刑を執り行う!」
兵の声が響き渡ると、罵声はより汚く、より大きくなった。一体民たちはどうしてしまったのだろうと彼は思う。
暴力性をあらわにして、誰かを貶めて下に見て。彼らがこんなに汚いとは、誰もが思わないだろう。子どもが怯えてしまっている。本当に彼らは、いま我が子の前に立っていると自覚できているのだろうか。
――これが、人。
この汚さを乗り越えて、操って、従えさせなければ、王たり得ない。
ジークはいよいよ実行される処刑を前にして、目を見開いた。コレから先、何が起ころうとも今日の出来事を忘れないために。魂に刻み込むために。
そんな、ときだった。
「よう、こんなところでお忍びかい?国王さま」
後ろから、この場には似合わないあっけらかんとした声が聞こえてきた
のだ。
そこには、ダボついた布を纏ったレオンハルトがいた。
「悪いな、やっぱり俺は、国のことなんてわかんねえ。ただあの子が困ってたら、助けたいんだ」
肩に手が乗せられる。その手にはもう、迷いはないようだった。
「エルフ領のアスバーンに俺らはいる。イリアと結婚したら、訪ねてきてくれ。親友」
そういうと、彼は人ごみを突っ切っていった。
「は、ははっ。まったく、君ってやつは本当に……!」
抑えきれない鳥肌を、ジークは賞賛をもって表現した。
「――君こそが『勇者』だ。レオンハルト・イルヴィル」
『国王』ジークハルトは、本物の勇者を目の前にして、そう呟いた。
急な闖入者に罵声が止まり、兵が駆け寄る。兵は瞬く間によって制圧された。処刑を行うはずの兵が倒されたことによって、人々に動揺が広がる。
「あれは――なんだ!」
――そして上空に、竜章鳳姿とした荘厳たる佇まいを纏う、黒竜が現れた。
ジークはそこまで見届けて、人ごみから遠ざかった。彼らのやっとの逢瀬を覗き見るには、あまりにも自分は世界を知りすぎてしまった。
「プロポーズの言葉、早めに考えとかないとなあ……」
***
俺は人ごみを走り抜けて、一気に処刑台の前まで飛び出した。
先んず人波を押さえていた兵が包囲網を潜り抜けたことに驚き、慌てて捕まえようとしてくる。その兵を風魔法で吹き飛ばし、意識だけを刈り取った。
「なっ……!」
「仕事邪魔して悪いね」
狼狽が伝染して硬直した兵たちを『威圧』する。それだけで彼らは腰が抜け、満足に動けないようになっていた。
そしてそれは、前方にいた民も同じだ。
「ったく。こんなときだけ負け犬根性発揮して、よってたかって女の子虐めてんじゃねえよ。胸糞悪い」
「何者だ!」
上方からの声に見上げると、処刑台にいた兵が怯えながらに叫びをあげる。
「その姫さん、俺の大事な人なんだ。だから攫わせてくれ」
「ふ、ふざけるなぁ!」
舞台に上がると、しびれを切らした兵が両脇から斬りかかってくる。振り下ろされた鉄剣を避け、すれ違いざまに唾で腹を打つ。よろけた兵をもう片方の兵の剣の軌道に転がしてやった。それだけで頭を打たれた兵は沈黙。
仲間を攻撃してしまって呆気にとられるもう一人を、後ろから鞘で攻撃。兵二人は一瞬で撃沈した。伊達にいままで戦闘経験を積んできたわけではない。
「き、貴っ様ぁああ!」
処刑に乱入者が現れたことに気づいた者たちが、片っ端から増援に送られた。
「やり合うつもりはねえぜ?ガル、カモン!」
『我は小間使いではないのだが……』
俺の呼びかけに、黒竜が召喚される。かの竜の対人威圧は並大抵の強さでは破れない。
広場に現れた俺とガルに、人々はパニックを起こす。ジークには迷惑をかけるが、目をつむってもらおう。
「……」
目の前に、ずいぶんボロボロになってしまったリアが跪いていた。広場の喧騒は、まったく聞こえていないようだ。案外この子も天然なのかもしれない。
剣を抜き放って、腕を拘束していた紐を両断。そこで初めて、リアは何かが起こったことに気づいたらしかった。
「大丈夫か、リア?」
疲労のせいか、たまらず膝をつく彼女の体を支える。
「れ、お?」
「悪い、もっと早くに迎えに来たかったんだけど遅くなった」
「ああ、れお……レオ!」
「ぐはっ」
いきなり首に両腕を巻かれて、強く抱きしめられた。最高に嬉しいが、少し苦しい。
「レオ、レオ!なんで……!」
「言ったろ、いつでも助けに来るって」
泣きじゃくるリアの背中をぽんぽんと叩く。このままではいつまでも泣いてそうだったので、お姫様だっこをして持ち上げた。
「きゃっ……!?」
「さあ、最後にこいつらに言うこといって、トンズラしちまおう」
観衆は、皆が揃って間抜けに口を開いていた。
全国民の目が、レオンハルトに集まっている。
「よく聞け!こいつは俺が攫ってく!文句のある奴は、地の果てまで追っかけて俺を殺しにこい!てめえらなあ、いつだって困ったときは勇者とかに頼るクセに、人追い詰めるときは自分が一番先なのかよ!しかも自分の子どもの目の前で、だ。俺にはこの子より、お前らの方がよっぽど汚く見えるぞ!」
その言葉は、ただのあてつけだった。こんないたいけのない少女をここまで責めたてた、すべての人々への。
政治も、世界も、この国も、知ったことか。だから俺は、言いたいことだけ言って自己満足して逃げてやる。
終始事態が呑み込めない観衆を尻目に、俺はガルに飛び乗った。
やっと腕の中に抱けた女の子を、宝物のように扱って。
***
上空、ガルに乗って国を見下ろすリアは、まだ信じられないと唖然としていた。
「これは夢、なの?」
「おいおい、こんな盛大な夢オチエンドあるわけないだろ」
それにここまでやって夢扱いされるなんてことがあれば、骨折り損も甚だしい。へたりこんでいるリアのほっぺたを軽く引っ張ってやる。餅みたいに柔らかい。
「い……いはい」
「夢だったら痛くないはずだ」
離してやると、リアが俺をじっと見つめていた。
「どうして私を、助けてくれたの?」
「……決まってるだろ。――君のことが、好きだからだ」
恥ずかしさに頭を掻く。頬が熱くて、火を噴きそうだ。
「なんで……私なんかを。あなたは力を持ってて、もっとすごいことをできたはずなのに」
「だから、そんなんを飛び越えて君に惚れちまったんだよ。あの日から、ずっと」
リアの体は、まだ上手く動かないようだった。手を震えながらに伸ばしてきたので、そっと掴んで、抱き締める。
「私のこと、嫌いじゃなかったの?」
「一度も思ったことねえよ」
「あ……愛して、くれる?」
「もちろん。君のためだけに生きる。そのめちゃくちゃ可愛い笑顔を見るためだけに。だからもう、泣かなくていい。愛してる、結婚してくれ」
ああ、胸が熱い。彼女から伝わってくる鼓動が、何より心地いい。
「わ、私はわがままで、嫌な奴で」
「ちげえよ。君はすっげえ良い奴で、優しい人だ」
ギュッと、抱き締める力が強くなった。
「みんなに嫌われてて、疎まれてる」
「こんな可愛い奴を嫌うなんて、あり得ねえ話だよ。いっぺんも話したことねえくせによ」
すすり泣く声が聞こえる。それが自分のせいだというのが、たまらなく嬉しい。
「料理が、できないの」
「そんなもん、一緒に練習しようぜ。そんでもって毎回失敗して、黒焦げの食いもん笑いながら食べよう。ふたりで」
「わたし、私は。……ちがう、こんなことが言いたいんじゃないの」
抱擁が離される。彼女との顔の距離は、十センチもなかった。
「――私で、いいの?」
「――君だから、いいんだ」
どちらともなく寄せ合って、唇を重ねる。もう二度と、離すわけにはいかない。
昔、悪い魔女が勇者に退治されましたなんて御伽話はいらない。彼女の下手くそな嘘ももう聞き飽きた。これからは、二人だけの物語を紡いでいこう。
「レオ……」
ああ、これだ。
彼女の顔を見て、レオンハルトはようやく感嘆の息を漏らす。すべてが終わったと、肩の荷を下ろすことができる。このために、俺は彼女を救ったのだ。
「――だいすき」
――この、鼻水でぐしょぐしょの顔が見たかった。
近日、後日談を投下します。
感想をいただけると嬉しいです。