伊勢崎
伊勢崎
早朝に館林を出発して9時間。
装甲ランドクルーザーは伊勢崎に向けて進む。太田ことオータはさらっと通過した。先を急ぐからだ。地名がダサいからでは無い。
さて、グンマー入りから一睡もせず、ここまでずっと道なき道を運転して来た浅井は、激しく疲労している。もっぱらメンタルの面で。
問題は、昨日の昼に服用したSYUMAIにあった。
実のところ、SYUMAIは翌日にクルのである。崎王軒の謳い文句は少々過大であり、SYUMAIを食せば眠らなくても大丈夫になるわけでは無かった。眠れなくなるだけである。結局は脳が疲労する事に変わりなく、眠気は皆無のくせに違和感だけが蓄積して行く。まさに中華的過大表示!
「もうベアたんは嫌ですね、もんちちもウンザリです。……失礼しました」
思わず下らなくも情けない愚痴を漏らし、浅井は一瞬で後悔した。何という惰弱さ! いっぱしのビジネスサムライが愚痴など……無意味どころか切腹ギリギリの恥辱!
「なはは、こんなもんだよ。ダラダラ進んでいる割には少ないくらいだね」
慈悲深き女神コマは、愚かなる浅井の愚痴を許したもうた。浅井は無言で感謝し、ポケットからメロン味の飴ちゃんを取り出して彼女に奉納した。
彼女は皮を剥いてポロンと口に放り込み、
「ん、んまい。甘キュウリ」
幸せそうに笑った。
飴ちゃんはいつだって程良くチープなのが良い。
さて、現在時刻は十二時をまわり、伊勢崎までの行程は、残り二、三時間といったところだろうか。道が悪いので時間がかかるのは仕方ない。ただ、問題は野獣どもの襲撃が多過ぎる事だ。実際、ここまでに12回もの襲撃を受けている。
もんちち、ベアたん、トラさん、ウリボウ、大ウリボウ、くちなわ、鬼げじげじ、カラスバチ……そんなクソっ垂れども。面倒くさいどころでは無い。
銃は効くが、切りが無いのでRWSの武装は多目的レーザー機関銃に固定化してしまった。エンカウントが多過ぎるため、信頼の実弾兵器では弾がいくらあっても足りない。
実弾から半導体レーザーに変更した以上、火力の低下は否めないので、結果的に殆んどの襲撃は、コマの卯三郎こけしによって撃退している。
一方で浅井はクルマの中からチマチマとレーザーの射撃指示を出しているだけ。殆んど嫌がらせ以上の役には立っていない。群馬の獣は共産主義者の脳味噌より硬く、半導体レーザーは大都市住民の政治感覚並みに頼りない。実に哀しい。
というわけで、装甲ランドクルーザーは焦れるサムライを乗せて走っているわけだが、
「なあ、そろそろ昼ご飯にしようよ」
雷鳴の如くお腹を鳴らしながらコマが言ったので、浅井はクルマをとめた。手早く冷凍ピザをチンして「どぞ」と出す。これならば、運転しながらでも食べられるし、軍用レーションよりマシだ。
「ん、んまそだね」
コマはひょいパクひょいパクと流れるように口に放り込み、ペロンペロンと胃に収める。
「もう無いの?」
ピザは飲み物だったのである。そして胃袋は無限だ。相性が悪い。浅井が一ピース食べきる前に、12インチのマルゲリータが消えてしまった。
仕方が無いので、浅井は再度クルマを停め、追加で焼きおにぎりを二十個程チンした。
「どぞ」
コマはひょいパクひょいパクと流れるように口に放り込み、ペロンペロンと胃に収める。
「んまい」
あっという間に食いつくした。浅井は何とか三個食べた。
お腹がくちくなって暇になったコマは、後ろの荷室を親指で指差して、
「なぁなぁ、何かいっぱい積んでんけどさ、これ全部武器だろ? 次になんか出てきたら使ってみて良い?」
実に楽しそうに聞く。バンバンやりたくて、実際堪らないのだ。彼女にとっては、花火で遊ぶのと変わらない。
「使い方がわからないと危ないので……ダメです。コマさんは死なないかもしれませんが、流れ弾で私が死んでしまいます」
「えー……アサイは全部コレ使えんの?」
「私はビジネスサムライですからね。HYOFOの修練を積んでいますので」
「そのさ、何とかサムライってのは何なの? おいしいの?」
「おいしくはないです。どっちかと言えば、かた茹で卵です」
言って、自分で恥ずかしくなる浅井である。あーもうバカバカ俺の馬鹿。脳の疲労のせいで、若干言葉の使い方がおかしいのだ。きっとそうなのだ。
極わずかに顔を赤らめつつ、つくろうように浅井は話し出した。
「ビジネスサムライというのは……まずは、そうですね、ネオ日本の成立からお話するべきでしょうね」
そう言って、ペットボトルの水を口にした。長い話に備えて、喉を湿したのだ。
「ん、むぐむぐ」
コマは茂林寺から貰って来たマンゴーもどきを皮ごと口にした。食後のデザートである。胃袋は無限すぎる。
まあ、そんなこんなで双方の体勢が整ったところで、浅井は静かに話しだした。
「さて、誰が『ネオ日本計画』を始めたのか、それは定かではありません。おそらく、今後も開示される事は無いでしょう」
誰かが言ったのだ、「変えなければならぬ」と。
誰かが言ったのだ、「護らねばならぬと」と。
そして、誰かが金を出し、事は一気呵成に動いた。
「『ネオ日本化計画』には多くの反対者が存在していたと、そう歴史家は語ります。まあ、これも詳しい所は永遠にマル秘のようですが」
反対者とは街宣右翼、極左、プロ市民、人権屋、あるいは外国政府の紐付き組織……要するに日本社会に巣くう癌である。
これら組織のキーパーソンは、ONIWABAN、あるいは芭蕉と呼ばれる謎スパイによって秘密裏にポアされた。その人数は、十五人から大東亜戦争後に公職追放された七万人の間と諸説あるが、いずれにしても核を除かれた反対組織は忽ち瓦解し、活動家たちは散り散りになって市井に埋没、一般市民に対する影響力を失った。
一方で、色黒TV司会者や軽薄な元プロレスリングアナといった最強権力のデシジョンメイカー達には、たんまりと実弾がぶち込まれた。
所詮、世の中の99%はカネである。残りの一パーセントは外見だ。花畑メディアマンなどももちろん例外では無く、カネさえ突っ込めば「護らねばならぬ」「変えなければならぬ」と、連日連夜の大誘導大会である。
加えて、数千人単位のネット工作員たちが、「すわ祭りじゃ」とばかりに一斉の大書き込み。ネオ日本関連スレは224万を数え、ようつべ並びにニヤニヤ動画には42万ものプロパガンダ動画が流された。
マスメディアとネットが真に連動した、歴史上唯一の出来事である。
「これらの猛攻に、永遠の一二歳たる日本人が耐えられるわけもありませんでした」
日本人はあらゆる他民族と同程度に愚かであった。
その素直で無自覚でナイーブで流されやすく、自分を良い人と思いこまねば生きられない惰弱で情緒的な国民性をいかんなく発揮。あっという間に唆走され、270°の大方向転換を果たすと、無自覚のままに清水の舞台から飛び降りた。
「そして、皇紀2712年(西暦2052年)、一世紀以上に及ぶ戦後がようやく終わったのです」
ネオ日本国憲法およびネオ日本式社会基本法が公布、施行されたのだ。
高潔かつ質実剛健なる武士道をベースとし、平安の国風文化から風雅を、茶道から侘び寂びを、仏教諸派から知恵と慈悲を、禅から諦観と不動心を、そして神道から大らかさとHENTAI成分を取り入れて構築された本法により、日本はネオ日本として生まれ変わった。
「ネオ日本の夜明け。これすなわち、『ISHIN』であります」
ISINから数年後、ネオ日本式社会基本法が根付くにつれて、あらたな職業が次々と生まれた。サイボーグ職人、バイオニクス百姓、ロリコン教師などである。
「中でもビジネスサムライという新しい職種は、あらゆるネオ日本企業の先兵として、世界中で力をふるい始めました」
そう、かつてサラリーマンと呼ばれて自虐し、ビジネスマンと呼ばれて増長していた愚者ら……彼らは過去の遺物として悉く淘汰、変容され、ジャパニーズビジネスサムライとして復活したのである。
古き良き江戸時代の侍が主家に忠誠を誓ったように、ビジネスサムライ達は義を貫き、誇り高く会社に忠勤する。常に己を研鑽する。恥を知り、正道に則ってネオ日本社会に貢献する。誠実に、だが狡猾に、一片の妥協も逡巡も無く利潤を追求する。丁髷と七三分の違いはあれど、その心根はまさしく武士!
彼らには、良い人ぶった卑劣なナイーブさなど、どこにもない。
必要とあらば工事現場の外国産ドカタに土下座もするし、硝煙漂う海外の戦場にネジ一本を売りに行く。切腹用の短刀を懐にぶち込んで価格交渉にも行くし、資源確保の為のダーティビジネスなど日常茶飯事である。
武士道は死ぬことと見つけたり、殺るか殺られるか、いついかなる時も、ガチなのである。
「とは言っても、なにも我々は盲目的に利を追い、経営者に従っているわけでは無いのです」
――『お天道様に恥じない生き方を』
これがネオ日本ドクトリン。ビジネスサムライとてネオ日本人である以上、利よりも理を、理よりも義を貫かんとするのが当たり前のことである。エコノミックアニマルと揶揄された、過去の日本人とは一線を画している。
彼らは己に厳しい事と同様に、上司や会社に対しても厳しい。責任逃れと言い訳の為のコンプライアンスなど、屁のツッパリにもならぬ。
「ですから……最初の頃は大変だったようです」
ISHIN初期には悪徳経営者が部下のサムライに斬り殺され、犯人のサムライ自身も割腹自決する事件が多発。TENTYU運動として世間の耳目を集めた。
時間が経つにつれてTENTYU運動はGEKOKUJOとして一般化。刀槍を背景とした闘争により、経営陣に経営権を禅譲(笑)させる行為が常態化した。悪は悪、無能も悪と断罪され、もちろんサムライが悪党にかける慈悲など在る筈も無く、使えぬ経営陣の辞表と生首が飛び交った。
世の役員連中は恐々となった。文字通り命がかかっているのだから、文字通り必死である。良識的な会社経営、福利厚生に尽力せざるを得ず、瞬く間にWAT○MIは消滅。畢竟、徳と倫を修めた、君のみが生き残った。適者生存、ダーウィニズムである。
ビジネスサムライ達は、君たる経営者、仁を知る上役にこそ敬意を払い、己が身命よりも重い義を賭して、絶対の忠を誓うのだ。
「まあ、そんな感じの色々のアレを経て、我々は己の力強さを回復したのですよ」
そして皇紀2758年(西暦2198年)現在、世界中に日章旗を誇らしく……それなりに誇らしくはためかせている。
まさに思想とは力であった。
蛇足ながら補足すれば、各国もまた日本の成功に倣い、己が文化に根差した変革の時を迎えつつある。
アメリカではガンズ&ホーセス式、イギリス連邦ではネオビクトリア式、フランスではフィルム・ノワール式、イタリアではママン式、ドイツ・オーストリア連邦では第四帝国式、中国では安定の中華思想、韓・朝鮮連邦ではアイ・アム・ザパニーズ式の社会制度を構築しようとしており、是々非々ながらそれぞれ一定の成果をあげている。
尚、アフリカ諸国は欧州の餌場として暗黒の腐海に沈んでおり、ロシアは第三次共産革命の渦中にあり、イスラム諸国は永遠に不変であり、東南アジア諸国はメコンの流れでマイペンライであり、インドは子沢山で、中南米諸国はボサノバのリズムで踊っている。
「そうやって、動と静のなかで、世界はゴリゴリと鎬を削り合っているのです」
浅井は長い話を終えた。
コマは寝ていた。
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そして辿りついたのは伊勢崎ことイセサーキである。「イセサーキ」なのである。決して「イセザーキ」や「イセザキ」と呼んではいけない。YOKOHAMAの伊勢崎が滅ぼされてしまう。70年前の、あの暑い夏の日のように……
まあ、今は語るまい。
イセサーキ族はグンマー南部でも武を尊ぶ部族として有名で、特に乗ダチョウと弓の技術には定評がある。かれらは今を生きる荒夷。坂東武者の文化を、現在に伝えているのだ。
彼らの集落は、密林を切り開いて確保した楕円形の土地に設けられていた。長径は約1.2キロ、短径は800メートル、周囲をぐるりと水掘りと土壁が囲んだ、一種の城塞集落である。
これらの防備は煩わしい野獣どもが越えられないように備えたもので、戦争用では無い。グンマーの身体能力からすれば如何に壁を廻らそうと意味が無いので、大概の場合、戦いは野戦で決せられる。あらかじめ決められた場所で、「せーの」で一斉に殴り合うのだ。グンマー流の仁義である。
兎にも角にも、密林の道なき道を抜けたランドクルーザーはイセサーキに到着。城門の50m手前で、静かに停止した。丸太を組んで作られた粗雑な作りの門である。
門扉は大きく開け放たれており、周囲には腰にボロ布を巻いた数人の蛮族が突っ立って、胡乱な目線でこちらを見ている。こけしや槍、あるいは弓といった様々な武器を携えているが、戦闘に備えてはいない。少なくとも、敵と認識されているわけではなさそうだ。
「このまま近寄ってしまっても大丈夫ですかね?」
浅井の問いに、コマはボンネットに飾られた高崎ダルマを指差した。
「ん、もう見えてんから大丈夫。タカサーキ族とイセサーキ族は今んとこ仲が良いんだよ」
タカサーキとイセサーキ、両部族は同じ敵を持っている。敵、つまり前橋ことマエバーシ族である。
イセサーキにとってのマエバーシは、ヤ・キマンジュウの元祖を争う、ちょっとした敵。一方、タカサーキにとっては、ケノの代表権を争う宿敵。つまり、マキャベリめいた敵の敵は味方理論で、タカサーキとイセサーキの関係は良好である。
とはいっても、イセサーキとマエバーシの仲は完全に破綻しているわけではなく、それなりの人的交流や交易めいた何かがあったりもする。
ちなみに、タテ・バヤーシとイセサーキは元祖ヤ・キマンジュウを争う抗争状態。もうわけわからない。
全ての国際関係と同じように、グンマー諸部族の関係も複雑怪奇。人の本質は結局どこでも変わらない。
装甲ランドクルーザーがゆっくり前進すると、こけしを持ったイセサーキ族戦士が近寄ってきた。タテ・バヤーシと違って腰巻を身に付けているが、がに股で肩を揺らし、妙にチャラ付いた歩法である。
「こんちわっ、タカサーキ族、戦士コマだ。サイターマ族の客人連れて、帰んとこ。ちょっと休ませてよ」
コマが窓から顔を出し、先んじて話しかけた。
「お? お楽しみ系? 入っちゃっても良いんじゃね? 喧嘩はやめてね?」
やはりチャラい。
お堅い雰囲気のタテ・バーヤシとは真逆である。ラテン系と渋谷系を足して二乗した感がある。
「じゃ、入んからね。あんがとね」
「ドーモお邪魔します」
軽く挨拶して、集落の中に入る。道は幾らかぬかるんでいる。タイヤをとられながらも前に進むと、点々と家々の並ぶ、寂しい街並みが広がった。
集落の中心を貫通する道路は広く、装甲ランドクルーザーが通るのに何の支障も無い。
道の両脇に並ぶのは円形の土の家だ。屋根は竹で葺かれている。直径は5mくらいのものだろうか。コンパクトにまとまっていて、扉も無い。トイレや排水がどうなっているのかは分からない。
「家、崩れないんですかね?」
「馬鹿だよなぁ」
GERIRA豪雨多発地帯で土の家など想像を絶する無謀さ。だが、彼らにとっては、これが伝統である。もはや理屈では無いのであろう。
徐行しながら走ってゆくと、大名行列めいて野次馬が集まり始めた。数十人は居る。
「おかしいな、今日、なんか人多ぇね。露店も多ぇかな?」
首をかしげつつ、コマはタレットハッチから頭を出して、やあやあと適当な挨拶をした。あわせて、浅井がサイドウィンドウから飴をばらまく。ちょっとした奪い合いが起き、その隙にクルマは前に進む。
もう、この流れは鉄板なのだろう。
と、突然数人の男たちが運転席の窓にすがりついた。
「Socorro! Socorro!Quem me dera!」
浅黒い肌をした、おそらくはラテン系の男たちだ。ポルトガル語で必死に助けを求めている。
「これは……?」
「ブラージル人奴隷だよ。オータやオ・オイズミで多いけど、イセサーキでも少し使ってんね。トツィギ人に比べたら全然働きが悪いけどさ」
「ああ」
浅井は運命の流転に、そこはかとない感慨を覚えた。
南米の原住民を殺しつくしたポルトガル人やスペイン人、そして黒人奴隷や現地人奴隷……彼らの子孫が数世紀を経て、改めて未開の地で奴隷化されているのだ。縁と業、そして因果と言うべきものだろうか。
彼らにとってここは陸の孤島。密林と野獣という最悪の檻に押し込められて、一切の逃げ場が無い。
哀れである。
ブラジル人奴隷らは、既に日・ブ両政府から存在さえ認められていない者たちなのだ。栃木人さえ救えない無力なビジネスサムライに、手の出しようは無い。
「Largarse!」
浅井はスペイン語で怒鳴り、窓越しにネオ南部式拳銃を向けた。彼らは呆然として大地に座りこんだ。
何事も無かったように、装甲ランドクルーザーは泥濘を進む。
集落の奥に行くに従って、すれ違うイセサーキ族は徐々に増えてきた。コマはタレットハッチから顔を出したまま「どいて、どいて!」と忙しい。
緩やかなカーブを曲がってしばらく進むと、ちょっとした広場があった。中心には大掛かりな祭壇が設けられている。社と言うべきだろうか。広場の周囲は50センチ程の高さに日干しレンガが積まれ、その上で何人かが莚を広げて、店を構えている。
ここが集落の中心だ。
「あ、停めて! 良いの売ってる!」
コマが言って、クルマを飛びおりた。スキップしながらとある露店に突進して行った。忙しい娘だ。
「唐芋!――アサイ、ン・ドン持ってきて!」
姫の仰せの通り、浅井は土産にもらったン・ドンを半分だけ持って、クルマを降りた。疲労のせいで、足がフラフラした。
露店の辺りには香ばしい匂いがプンとたちこめている。小汚い老婆が店番をして、何かを焼いている。
「芋ですね」
清く正しい焼き芋である。落ち葉で作るトラディショナルスタイルだ。
「婆ちゃん、これでありったけ!」
言われた老婆は、大きめの芋をコマのリュックに突っ込んだ。計八本。
猟師テナンの真心の半分は、唐芋如きに化けてしまったのだ。寝ずにン・ドンを打ってくれた彼には決して言えない。
「最近、これ流行りなんだよね! 三年前くらいから! 」
「芋、旨くね? ショーチューもあるみたいな? お前さんら、いける系?」
老婆がチャラ付いて踊りながら竹徳利を突きだした。芋焼酎である。
「三年前……あー……」
三年前、芋、そして焼酎とくれば、答えは一つしか無い。その頃に無謀な群馬入りを行い、そして壊滅した戦闘的平和交流極左人権団体、唐芋焼酎同好会。
グンマーの食文化改善につながったのなら、今は亡き薩摩隼人らも本望だろう。
「ほれ、アサイ、食え――アンタ、疲れすぎてて、さっきからヘンだぞ?」
コマは、浅井の顔を覗きこんで言った。浅井の眼は完全に充血し、焦点を失いつつある。
「大丈夫です脳が疲労しているだけなのですところでさっきから聞こえるこれは何の音ですかね?川のせせらぎ?」
幻聴である。
「駄目そうだなぁ。ほれ、食え」
コマはホカホカの焼き芋を浅井の口にねじ込んだ。
「いも、うま………………熱っつ!! お? おお、危ない。ありがとうございますコマさん、寝ていませんが寝ていました。糖質おいしいれす」
「ん、良し!」
良くは無いが、マシにはなった。流石は唐芋の力。鹿児島県民が主食にしているだけの事はある。
そうやって一息ついた浅井とコマ。
「さっさとどっかで休もうよ」
とクルマに戻ろうとしたその時、
「カ・マクーラ人め!」
怒号と同時に、ドアに矢が突き立った。振り向き見れば、一人のイセサーキ戦士が矢を番えている。
「死ね! カ・マクーラ人!」
敵が放った矢は三本。
コマはすかさず一歩前へ。
「やっ!」
一振りでバキバキと二本の矢を打ち払うが、とり逃した残り一本が浅井に向かう。
「ッ!」
浅井は反応も出来ずに硬直した。矢は七三分の鬢をかすめて、薄く、長く、側頭部が切り裂かれた。焼き芋が手からこぼれ落ちて、ころんころんと転がった。
「ポルナレフ!」
叫びつつ、浅井は倒れかけた身体をギリギリで踏みとどめた。盛大な流血。思わず歯を食いしばろうとして、激痛が走る。おそらくは咬合筋の一部が断裂しているのだろう。重傷である。
「何をするか! 私の芋が落ちただろうが!」
取り急ぎ、浅井は適当に反論した。口を開く度、側頭部が激しく痛む。
「てめぇ、やっぱカ・マクーラ人だな?! おかしな奴は、大抵カ・マクーラだ!」
「違う、私はサイターマ族だ! カ・マクーラ族と一緒にするな!」
浅井は意識的に怒りの表情を作って、強く言い返す。言い掛かりには適切に反発しないと、何処までも付け込まれる。ここはネオ日本国内では無いのだ。
「誇り高きサイターマ族のビジネスサムライに対して、カ・マクーラ人とは何たる侮辱!」
カ・マクーラ人とは鎌倉であろう。鎌倉なら何故殺されるか知らぬが……出来れば、矢を放つ前に誰何してもらいたい。コマがいなけりゃ確実に死んでいる。衝撃波音が発生しているという事は、放たれた矢は音速を超えているのだ。ランドクルーザーの装甲も貫通している。下手な銃弾より――
と、不意にコマが動いた。身体を倒し、ゆらりと前に出た。
「おい、イセサーキの……」
跳躍。
轟音。
血飛沫。
「ナメッてンのかテメーッ!! アタシの客に弓引くたぁナンダァーッ! ブッコロだぞブッコロ!」
言った瞬間、すでにこけしは振り抜かれていた。
額を割られたイセサーキ戦士、声も無いまま30mも吹き飛んだ。地面を抉り、だらしなく泥濘に這った。
どくどくと流れ出す血。
前衛芸術の如き複雑仰臥体勢。
そして歓声を上げる芋売りババア他、野次馬多数。
惨い。
それでもコマの追撃は緩まない。
ためらい無く駆け寄った女戦士は、血の海に沈む相手の背中をむんずと踏みしめ、握りしめたこけしを高く高く振り上げると、
「このっ! このっ!」
こけしと頭蓋がぶつかり合って、カーン、カーン、金属めいた甲高い音を奏でる。一撃ごとに、高々と鮮血が吹き出す。無情である。
三度目の打擲でイセサーキ戦士は大きく痙攣し、「 ……このっ!」四度目で完全に脱力した。
「弱いっ!」
叫び上げるコマ、そしてさらなる一撃を振り下ろす。
そしてもう一撃。
おまけにもう一撃。
とどめは確実に。一切の禍根を残さぬ彼女の姿勢、これぞ紛うこと無きグンマー戦闘教義!
「どうも有り難うございます、コマさん。また、命を助けられました」
「……ん」
だが、それにしても浅井は落ちついたものである。たった今死にかけていたというのに、その脳波は完全に凪ぎ、全く何の動揺も無い。
決して、胆力が付いたのではない。SYUMAIの反動と寝不足による脳の疲労で、大脳辺縁系における神経伝達物質が枯渇しつつあるのである。それに加えて、たび重なる襲撃の恐怖に脳が慣れ、心が麻痺しかけている。あるいは、身体強化薬の副作用も影響しているだろうし、かつて修行した禅の影響とて否定しえない。
いずれにせよ、今の浅井は一種の諦観に辿りついていた。悟りとは似て非なる魔境である。
浅井は静かに言った。
「血で、汚れちゃいましたね」
「アンタもね」
コマの身体には点々と返り血がとんでいる。ただ、こけしには一点の曇りも無い。
一方、浅井の機動装甲背広と防弾ワイシャツは、己の側頭部から流れ出た血で濡れそぼっている。
「なあにコマさん、大したことはありませんとも」
浅井はザイロンEX耐刃ネクタイを外し、素早く頭に縛り付けた。花金リーマン式応急処置法である。頭部の怪我と急性アルコール中毒に対しては、極々オーソドックスな対処だ。
浅井の頭部からの流血は一瞬で止まった。ネオ日本のクリーニング店において、ネクタイの滅菌および止血剤塗布は標準的なサービスである。
「少々お待ちを」
蒼白ながらも足取り確かに立ち上がった浅井は、柔らかな表情を作って、ゆっくりと装甲ランドクルーザーに向かった。
「音声操作、RWS起動。20ミリチェーンガンセット、弾種徹甲、ターゲット照準スマート眼鏡連動、スタンバイ――続いてクレイモア防御、スタンバイ、起爆タイミング、アイハブ――続いて……スモークディスチャージャー、スタンバイ」
粛々と指示を出しつつ、慌てず、急がず、堂々として動く。敵意を示せば、周囲の群衆が反射的に襲ってくるかもしれない。
一方で、今のように決まりきった仕事をしているように見せれば、他人はそれを制止しにくい。邪魔をしたという罪悪感を避けたいのと同時に、一種の正常性バイアスが働くからだ。
浅井は淡々とランドクルーザーの荷室を開け、ウエポンラックからネオ三八式歩兵銃を肩にかけ、弾装二つをポケットに突っ込んだ。
次に、88mm無反動砲を取り出した。砲弾は六発を取り出して、足元に置く。全て貫通力を重視した対戦車榴弾。一発は最初から装填済みである。
さらに一瞬ためらってから、放射能標識の付いたデジタル錠ロッカーを開けた。
中には三発のW2282歩兵携帯用戦術核ミサイルが、互い違いに並んでいる。先端部が丸く膨らみ、対レーザー用に鏡面加工された弾体は、ギラギラと凶悪な存在感を放っている。
あらためて少し考え、心を決めると、浅井は真ん中の一発を取り出した。操作パネルを開け、核出力を最大の1.4キロトンに、タイマーを15分にプリセットする。カウントダウンはすぐさま開始だ。
そして最後の仕上げとして、食料庫から崎王軒のSYUMAIを取り出し、食った。
「FUUUUU!! ……もnくあルやtァdてコいやぁァァァ!!」
絶叫するビジネスサムライ。
彼の脳内で脳内で枯渇気味だった神経伝達物質が、SYUMAIに乗って戻ってきたのである!
お帰りなさいセロトニン!
待っていたよアセチルコリン!
君が頼りだノルアドレナリン!
これで勝つる!
さて一方、コマである。
彼女はガンギマリのビジネスサムライにドンビキしながらも、戦士らしく冷静に周囲を睥睨した。すでに十重二十重に取り囲まれており、野次馬どもは無遠慮で興味深げな視線を二人に投げかけてくる。
何故か敵意や悪意は感じないが、攻撃的な視線をいくつも感じる。強いて言うなら、挑戦の眼差しであろうか。
コマは歯噛みした。
先程はつい反射的に殺してしまったが、ここは他部族の支配領域、そのど真ん中である。下手にいくさになれば、間違いなく負ける。二人ならばまだしも、三人以上に襲われて切り抜けられる戦士など殆んどいないのだ。もちろんコマにも無理である。
焦った。
「コマさん」
コマのすぐ近くに浅井が戻ってきて、呼びかけた。彼は低くしゃがみ込むと、無反動砲を肩にかつぎ、できるだけ抑えた声で話す。
「20ミリとクレイモアで弾幕を張ります。あなたは全速力で逃げて下さい。千数えるまでの時間、まっすぐに走るんです。戻ってきてはいけません――これ、遺書です」
「アンタ、頭おかしくなったんか?」
コマは眉をひそめて言う。浅井が差し出した封筒は左手に受け取り、二つに折って革パンツに挟んだ。
浅井はからからと笑い、今度は大きな声で言った。
「いいえ、マジですよ。今から千秒後に、このあたりが地獄になる呪術をかけました。皆殺しの呪です。私が死ねば発動します。……ほぼ全員死にますよ」
その言葉に、野次馬どもがざわついた。数人が一歩前に出て、武器に手をかける。
コマは目を見開いて浅井の顔を見た。彼の瞳孔は完全にかっぴらいており、眉は高く吊りあがっている。SYUMAIにより惹起された狂相である。
「なんで皆殺しなん? 出来んの?」
「教訓を与えねば。我々ビジネスサムライが、タダで死ぬわけにはいかないのですよ。次に転勤してくる者が居るかもしれないのでね」
キチガイじみた相に反して、浅井の口調は落ち着いていて、極めて強力に抑制されている。
コマには浅井の言葉が本当かどうかわからない。だが、感情のこもらないサムライボイスの気持ち悪さに、体中の肌が一気に粟立った。
「では、十秒後に行動開始します。」
「ばかっ!」
勝手な浅井に、コマは高らかに舌打ちすると、集落全体に響き渡る声で怒鳴った。
「だれか! アタシを知ってる人いないんか?! タカサーキの戦士コマだ! 族長いないんか?!」
誰も出てこない。コマはそれほど高名な戦士じゃない。
「七、八……」
「お? アンタ、タカサーキ族の戦士コマ? 俺、若頭のユックンだけど覚えてる? つか、それ、こけし何? ウサブロウ?」
カウントダウンが終了する直前、奥の方から、ひとりの男が出てきた。歳は浅井と同じくらいだろうか。長身でスキンヘッド。大量の落ち葉を背負い、右手にこけしを携えている。
「ん、ウサブロウの新作……で、えーとアンタは……あ、あのユックンか! ちょっと前に、マエバーシのクソを一緒に狩ったね!」
「そうそう。つか、あの戦い俺ら負けたべ? てか何? ウチのモッチャン死んじゃったの? 戦士コマがやっちゃった系?」
ユックン若頭は、頭の鉢から味噌が零れている骸を指差して言った。片眉を上げながら、歪んだアヒル口でめっちゃチャラい。
「ん。タカサーキ族の客に手ェ出したから殺した。文句あんの?!」
「いや? なんか、モッチャン超弱かったし? 弱くて死んだんなら仕方なくね? 恥さらして戦士コマに迷惑かけただけじゃね? なんかごめん?」
堂々と答えるコマに対し、若頭はチャラくのたまう。彼がモッチャンにかける同情は微塵も見うけられない。
流石は武を尊ぶイセサーキ。
悪は悪、弱さは悪と断じる侠の心意気こそが尚武なのであろう。弱い戦士は、無価値なのだ。
ユックン若頭の言葉に、コマはあっという間に毒気を抜かれた。戦う気力がスイッと抜けた。
「あ、んん、いいよいいよ、ユックン若頭。モッチャンの謝罪は終わったかんね。こっちこそごめんね?」
もうモッチャンは何も言えない。生理学的に不可能になったから。
「なむなむ?」
「なむなむ」
コマとユックン若頭は、かつてモッチャンだった御仏に手を合わせて祈った。ユックンの登場でエアー化していた浅井も、「南無阿弥陀仏」と手を合わせる。
それで供養はすべて終わり、仏は何処か見えない所に片付けられていった。すべてが無かった事になったのだ。
改めて浅井はユックン若頭に近づき、渋谷系半グレ低能チンピラDQNめいた口調で話しかけた。SYUMAIを食ったおかげで、今のところ口はペラペラよく回る。
「ユックン若頭、オレっち、ネオニッポン族内サイターマ族の浅井忠吾ってんだけどさ。なんつーか、ヨロシクお願い系?」
実際につかってみて、浅井は気付いた。渋谷系チャラ言語には、双方の緊張感を削ぎ落とす効果があるのだ。全てがバカバカしくなるので、無駄な喧嘩を無くせる。この口調を使えばわかる。
ある意味、武を尊ぶイセサーキにこそ適合した言語なのだろう。
「なんつーか悪りーんだけど、イセサーキ族の族長殿に会わせてくんね? ちょっと話みたいのがあるみたいな?」
「アサイはKONNYAKUを欲しがってんだよ」
戦士コマよ、毎回毎回、なぜお前は正直に全部ばらしてしまうのか……彼女には、脳を通して言葉を発してもらいたい浅井である。
「タックン族長ぉー、タックンおばーちゃーん~~こっち来てくんねぇぇ?」
ユックン若頭は気前よく、族長ことリアル祖母を呼んでくれた。彼女はすぐに現れた。――あの、芋売りババアであった。
「テメェかよ……なんで、さっき――」
激高するコマの肩に、浅井が手を置いて、止めた。
「族長、KONNYAKU欲しいみたいな~?」
クソガキDQNっぽくねだってみる浅井。
「良いんじゃね? KONNYAKUなんてどうでもよくね? ウチらに関係なくね?」
「あ、じゃーすんませんけど、一筆書いて頂けねっすかね?」
「めんどくさくね?」
ぶつくさ言いつつも、芋売りババアことタックン族長は、浅井の差し出した『KONNYAKUの県外搬出を承諾する覚書』に署名してくれた。夜中のうちに準備した書類。書式は『乙は甲に……』という塩梅で、日本語に上毛文字を併記して、雁字搦めに書いてある。サムライなれば、その辺の契約に抜かりは無い。
「もういいべ? 芋、うめぇべ? ――つか、おめーら祭りに戻れや? ユックン行くべ?」
「うん?」
タックン族長とユックン若頭は、仲良く手をつないで、焼き芋屋へと帰って行った。理想的な祖母と孫の姿である。
「なんか、簡単だったね、アサイ」
「ええ、こういう事もあるのでしょう」
コマと浅井、二人は顔を見合わせて苦笑した。
拍子抜けだが、えてして上手く行く時はそんなものだ。仕事に限って、しなくて良い苦労はしない方が良い。学生では無いからだ。
「ところでアサイさ、本気で皆殺しにするつもりだったんか?」
声を抑えてコマが聞いた。
「HAHAHA! そんなの出来るわけ無いでしょう? 私が死んだあと、コマさんには戦わずに逃げてもらいたかっただけですよ。死人の為に死ぬのは非合理的ですからね」
欧米人めいて肩をすくめて言うと、浅井は大急ぎでクルマの方に走って行った。
コマには彼の言葉が本当か嘘か全くわからなくて、口を曲げながら「んん……」としか言えない。
^^^^^^
ホチキスめいたスキンステープラーで裂傷を閉じ、外傷治療用癌細胞『木村ヨシ81-η株』を注入すれば傷の治療は完璧だ。無節操に増殖する癌細胞の力により、浅井の頭部裂傷くらいなら二日もすれば塞がる。
治療にはずいぶん手間がかかってしまった。慣れない事でもあるし、目で見えない頭部だからなおさらである。ただ、長休みを取れたという意味ではありがたい。
さて、装甲ランドクルーザーは乱闘の場所から動いていない。広場の片隅、タックン族長の焼き芋屋の真ん前に止まっている。客寄せパンダめいた機能を果たしているのである。
おかげかどうかわからないが、族長の焼き芋屋は大繁盛だ。タックンとユックン、祖母と孫が力を合わせて大車輪の物々交換に忙しい。
ところで、本日イセサーキの集落がにぎわっているのには理由があった。
「ん、そか。そういや今日は五月八日だったね」
コマが気づいて、ポンと膝を打った。
「おや? 四月二五日の筈ですよ?」
「グンマー歴だよ、アンタ等の暦とはちょっとずれてんじゃん? ま、こまけーこたぁいいんだよ」
「なるほど、はい」
良いなら良いのである。今の浅井は議論の必要性を感じない。すでにSYUMAIに乗ってきた神経伝達物質は消費しつくした。むしろ更なる反動で、感情は遠のき、情動は薄く、今の彼はオートマチックに駆動するだけの雑談AIになりつつある。先程までより遥かに酷い。
「五月八日には何があるのでしょう。皆さん弓を持っていらっしゃいますが、狩りにでも行かれるのですか?」
「どう見ても狩りじゃ無くね? 鏑矢祭りってヤツ? もうすぐ始まる系?」
AI浅井の定型的な問いに、芋を売りさばきながらユックン若頭が答えた。誇り高く胸を張って、ドヤ顔満面である。幾分かうざい。
そう、イセサーキは、新田義貞ことニターヨ・シュサドゥが挙兵した地なのである。ニターヨは上毛神聖語、日本語に訳すなら『烈士』というところ。
この英雄をたたえ、五月八日の新田義貞挙兵記念日には、生品神社にて鏑矢祭りがとりおこなわれる。
この祭りは、義貞が挙兵に際し、鎌倉攻めの吉凶を占って矢を放ったという故事に基づくものだ。
鏑矢祭りという名前の通りに、祭りのメインイベントでは、イセサーキ族の戦士見習いたちが鏑矢を射る。
「せっかくだし、屋根で見ようよ」
コマが言ったので、二人は装甲ランドクルーザーの屋根に上ることにした。出血と疲労でよたつく浅井をひょいと抱えあげて、コマは屋根に飛び乗った。
彼らに釣られたのか、ユックン若頭や近くにいたイセサーキ住人までも上ってくる。不躾!
「お? やっと来たみたいな?」
おりしも今、歓声がわき、少年少女たちが広場へと入場して来た。13歳から16歳ほどの見習い戦士。白い鳥の羽根で全身を飾り立て、長弓を肩にかけて中々凛々しい。人数は約70人というところか。
「んん、見習い、結構たくさんいるねぇ。さすがイセサーキ」
コマはピュゥ~と口笛を吹いて笑い、見習い戦士たちに激励の拍手を送った。
「口笛、あまり良い癖ではありませんよ。下品です。――見習い、随分と若いですね」
「ん? んん……そか、下品か……ごめん。――見習い、すげぇ弱そうだね」
見習い戦士の後ろには、呪師の十人が続いて入場する。呪師たちは赤い泥を身体に塗りたくり、真っ平らな木の面を付けて、静々とアンタッチャブルな雰囲気を撒き散らしている。彼らに対する歓声は無い。
「お、始まるね!」
70人が列を成して、一斉に矢を番えた。グンマー竹で拵えた恐るべき強弓である。目標はもちろん神奈川県鎌倉市、鶴岡天満宮。
ズラリと並び立った少年少女たちは、ギリギリと満月の如く長弓を引き絞り、
――バババババン!!
弓弦の音とも思えぬ轟音。大口径機関砲の斉射に等しい。
超音速に加速された矢はぐんぐんと高度を上げる。一キロほど上昇すると、グンマー名物からっ風に乗り、南の方にすっ飛んでいく。
「「「当たーれ当たれ当たーれ当たれー当たーれ当たーれ……」」」
十人のイセサーキ呪師が、孔雀の羽を振り回しながら祈る。幽玄なる神技により確率と因果に干渉し、ターゲットへと矢を送り届けるのである。オカルト式誘導弾だ。
「いくつ当たるかなぁ!」
コマはわくわくして叫んだ。
「まだまだ、どんどん撃っちゃうよ~?」
ユックン若頭の言葉通り、見習い戦士たちは次々と矢を放つ。もはや無差別砲撃である。
各人12本の矢を撃ち終わり、ジリジリとした時間を過ごしながら二分ほど待っていると……
「よーし、当たったかも?!」
「ああ、おしい、外れた系?!」
矢を放った本人には、命中したか否かわかるらしい。俗に言う、テゴタエ、である。
実際この日、鎌倉では752人が死亡し、イセサーキでは45人の戦士が誕生した。浅井もコマもあずかり知らぬところである。
もちろん、死んだのは鎌倉市民では無い。毎年の爆撃にさらされていて無防備でいられるほど、ネオ日本人たる鎌倉市民は平和ボケしていない。
おっ死んだのは、極秘裏に鶴岡天満宮に集められていた神奈川産DQNである。いくら矢を撃たれても、鎌倉市には何の支障も無い。
鎌倉を内に含む神奈川……人も街も崩壊する神奈川なのである。御多分に漏れず教育も崩壊しており、崩壊した教育からは、崩壊した人格しか生まれない。つまり、DQN的欠損人格である。
例えば厚木、綾瀬、横浜、川崎辺りで、プロ市民的革命派教師による人権教育を受けた少年少女は、ネオ日本国国歌すら歌えなくなる。教師の持つゲバ棒で執拗な総括をなされるので、成長中のデリケートな脳の一部に重篤な損傷を負うのである。中でも平塚で生まれ育った者は生活環境因子が付加される為に、必ずYAKUZAになる。ある意味でこれらの事象は、総合人格形成を目的とする義務教育の有効性を、逆説的に実証しているとも言えよう。
畢竟、栃木や茨城と同じく、神奈川もまた全国有数のDQN産地と成り果てており、海沿いのコンビニで網をかければ、無惨に改造されたZOKU車ごと、いくらでも獲ることができる。不健康に日焼けしたサーファー、陸サーファー、或いはサーファー喰われ系女子といったゲドウも共に水揚げされるが、それはそれで問題ない。まとめて一緒に鶴岡天満宮へLet's goである。
このDQN漁は神奈川県県民防衛戦線(K.C.D.L)の活動家たちが主催しており、県庁からも有形無形の全面支援を受けている。県民防衛戦線は法的には完全な犯罪者集団であり、一種のテロリストでもあるが、彼らがいなければ南関東の治安は守れない。DQNは適切に処理しないと、何処までも増えてしまうからだ。
現実とは、実にミゼラブルである。これもアナーキーな国際社会で苦闘するネオ日本社会の歪みと言えよう。
いずれにしても、DQNが減って神奈川県民は嬉しく、戦士のイニシエーションが出来てイセサーキ族も嬉しい。射る方、射られる方、共にWIN-WINの関係なのだ。死して悔い無し憂い無し、南無阿弥陀仏。
まあ、そんなこと新生イセサーキ戦士たちは関知しない。
もはやいっぱしの大人になった彼らは、家族や友人たちからの祝福を受けつつ、三々五々の帰途につく。デビュー戦を終えたのだ。
「よくやったぞー!」
コマはパチパチと手を叩いて祝福する。自分が戦士になった時を思い出し、懐かしかった。あの時はトツィギのアシカガーに攻め入って、「だいじ、だいじ」と逃げ叫ぶ黄色い頭の若いトツィギ人を狩りまくったものだ。
「戦士コマ!」
拍手するコマに向けて、突然一人の女戦士が呼びかけた。さっきまで弓を引いていた、ニュービー戦士だ。
「ん? 何だい」
ニュービー戦士はランドクルーザーのすぐそばまで歩いてくると、唇をゆがめながらコマと浅井を見つめ、
「お前らが、モッチャンを殺したんだね? 絶対に許さないから」
押し殺した声で、そう言った。
「アンタ、モッチャンの知り合いなん? アタシを憎みなよ。殺したのはアタシだ。悪いとは思ってねぇよ。アタシを殺したきゃ、挑戦しなよ。もうちょっと強くなったらね」
コマは淡々と彼女に言った。全部コマの本音で、飾った言葉は一つも無い。
殺すのなら、いつか全力で戦って、殺されてあげなければいけないのだ。そうしてあげないと、可哀想だから。戦士の心得が何かは知らないけれど、コマは自分勝手にそう信じている。
「先に手を出したのは戦士モッチャンです。我々ではありません。疑うなら、ユックン若頭や見ていた方々に聞いて下さい」
「トンチャンさ、戦士コマとアサイっちの言ってる事はホントっぽい感じよ? つか、モッチャンのヤツが弱かったのがいけなくね?」
浅井とユックン若頭が、横からコマを弁護した。
「絶対に許さない」
トンチャン、というニュービー戦士は更に繰り返した。
「あなたの気持は、理解できます。しかし、戦士コマはあなたから許されなければならない事はしていません。モッチャンは言い掛かりをつけて私に襲いかかり、私を守る戦士コマによって撃退され、死んだのです。我々に恥じるべき点は一切ありません」
浅井はガラス玉のような、感情の無い瞳で彼女に言う。殆んど喧嘩を売っているみたいだ。
「アサイ、やめなよ」
コマは彼の肩に手をかけて、強く揺さぶった。
「やめません。恨まれるのはどうにもなりませんが、復讐されるのは抑えが効きます。無駄に正義面と被害者面をさせてはいけません。理不尽さを助長するだけで、それこそ無駄です。世の中理不尽なものですが、理不尽で良いというわけではありません。……すみません何かペラペラと好き勝手に喋っていますね。抑制がまるで効きません。休んだ方が良いようです。俺は馬鹿です。何なんですかね、これ。二個目のSYUMAIはアウトですね。前頭葉がプリンになりました。あ、コマさんヤバイ可愛い。最高です」
「ホントにタチ悪いよ」
コマはため息をついて、浅井の後ろにまわり、彼の口を手で塞いだ。浅井がバタバタ暴れるので、コマは後ろからギュウと抱きしめて、クルマの屋根に座った。彼はすぐに脱力し、おとなしくなった。
トンチャンは相変わらず憎しみの目で、こっちを見ている。
「戦士コマ、サイターマ族のアサイ、アンタ達、絶対に殺してやるからね!」
もう一度彼女が言った時、穏やかに聞いていたユックン若頭が動いた。
若頭は装甲ランドクルーザーの屋根から滑り降りると、トンッと地面を蹴って一息で接近する。
「なに――」
トンチャンの抗議に若頭は応えない。
腰間のこけしを抜いた若頭は、トンチャンの全身を滅多打ちに殴りとばした。見事な強襲。二秒もかからない。
あっという間に新生女戦士は地に伏して、彼女の身体は全身打撲の重体である。
「ギギギギ……」
「トンチャン、きさま、弱い癖にグダグダうるせぇンだよ。人の喧嘩に、後から口出しすんじゃねぇ。言いたい事があるなら、相手這いつくばらしてから言え。……こういう風にな」
ユックン若頭は冷たく言うと、動けなくなったトンチャンの髪の毛を掴み、彼女を引きずって何処かに消えた。彼女は最後までコマと浅井を睨んでいた。
「トンチャンとモッチャン、可哀想だね」
浅井の口から手を離し、コマはぽつりとつぶやき漏らす。
「モッチャンは可哀想とは思いません。自分で墓穴を掘ったんですから」
コマに抱かれたまま、脳内の言葉を垂れ流す浅井。淡々として殆んど感情も無い。
「自分のせいで死んじゃったんでも、可哀想じゃねぇの? 可哀想じゃん」
「ああ、そうかもしれません。よくわかりません」
「可哀想だよ」
「はい、考えてみれば、その通りです。彼の自業自得ですが、確かに可哀想です。後頭部におっぱい柔らかいの最高です。もっとやってください。ギュウって」
「馬鹿っ!」
屋根から浅井を蹴り落とす。彼はころころと地面を転がって、すぐにびしりと立ち上がった。意外と元気だ。
コマはからり笑ってクルマの屋根から飛び降り、
「チョット我慢しな」
浅井の首筋に手をかけ、キュッと締め付けた。頸動脈の血流を断たれたサムライは0.5秒で気絶。他愛もない。
運転席に気絶した浅井をねじ込むと、コマはいつものように助手席に座った。気分転換にお気に入りのクラシカルテクノを聞こうとオーディオをいじくり回すが……車両本体の電源の入れ方がわからない。
「もうっ!」
仕方が無いので、背中のリュックから焼き芋を引っぱり出して頬張った。
「んんん!」
甘くておいしい。