高崎到着
高崎到着
県境の長いジャングルを越えるとグンマーであった。夜の底が白くなった。井戸端にランドクルーザーが止まった。運転席からコマが手を伸ばして、天井のタレットハッチを開いた。砂漠の冷気が流れ込んだ。コマはいっぱいに身を乗り出して、
「族長さあん、族長さあん」
松明を掲げてゆっくり砂を踏んできた女は、生きた鼬で鼻の上まで包み、耳に兎を縛り付けていた。
もうそんな寒さかと浅井は外を眺めると、村の家々らしいバラックが荒野に寒々と散らばっているだけで、砂の色はそこまでいかぬうちに闇に呑まれていた。
「おいアサイ、タカサーキに着いたぞ。ぼっとしてねぇで降りろバカチン。族長が来るだろ」
「あ、申し訳ありません」
文学的な感慨さえ許されない。タカサーキ族の族長が、一人だけでブラブラとやってくる。余人の姿は、まだ見えぬ。どうやら族長は、村の外にて、待っていてくれたらしい。
「ほれほれッ」
浅井に代わって運転していたコマは、「シッシッ!」と手をヒラヒラさせて追い立てた。ぷりぷりと怒っている。6時間近く運転して、もう完全に飽きたらしい。
そこはかとない寂寥感を覚えつつ、浅井は彼女にペコリ頭を下げて、ランドクルーザーから降りたった。砂漠、あるいは土漠と言うべきだろうか、地面はガチガチに締まっていて、硬い。表面に砂礫が薄くかぶって、ざらざらとコンバットビジネスシューズの底を削った。
群馬南部では砂漠や土漠、サバンナや熱帯雨林がモザイク状に散在する。理由は誰にもわからない。グンマーだからとしか言いようがない。
今は四月下旬。この地の平均最高気温は57度、平均最低気温はマイナス18度。過酷である。まだ日の上がりきらない朝の空気はギンギンに冷えて、37式機動装甲背広の体温調節機能が発揮されるまで、浅井の肌を否応なく苛んだ。
浅井はコマと並んで、族長の方に歩きだした。伊勢崎を出発してから12時間。その間、夜っぴいて移動していた為に、腰が重い。先日食ったSYUMAIの効果が僅かに残っているので耐えられるが、正直言って、心身ともにクタクタだ。三日寝ないと人は死ぬ、という伝説があるが、アレは嘘である。状況によっては二日で死ねる。断言する。
実際、疲労が疲れすぎていた為、玉村町ことタマムーラに入ったところで、コマに運転を代わってもらった。彼女から言いだした事だ。
半信半疑で運転を教えてみると、彼女はあっという間に体得してしまった。たった三十分で四輪ドリフトから片輪走行まで習得したのである。
ワイの十年の運転経験なんて無駄だったんや……そしてコマには疲れた様子も見えない。このグンマー人め……
おかげで目をつぶって休むことが出来たので、本当にありがたいが……女の運転する車で男が休むなど、真に唾棄すべき愚行である。お勤めが無ければ腹を切るべきであろう。
「この辺は砂漠なんですね」
浅井は恥辱と倦怠感を押し殺し、静かに話しかけた。
「ん、今年は、ね」
コマはつまらなそうに返答すると、伸びあがって大きく手を振り、
「たむたむ族長ぉー、これがアレのソレだよぉー」
歩み寄って来た族長殿に、端的に浅井を紹介した。
タカサーキ族長たむたむ氏は四十がらみ。小股の切れ上がった美しい蛮族艶女であった。前述したように、彼女の首には大人しい鼬が巻かれ、両の耳には一匹ずつ哀れな兎が縛り付けられていた。防寒としては理にかなっている。常人には真似出来ない。鼬の臭腺をどうしているのか、まったく謎だ。
腰にはコマと同じようになめし皮パンツをはき、パレオを巻いていたが、一方でその胸は大らかに大自然に解放されていた。OPIである。大OPI。それはそれは見事と言うほかは無く、年齢を感じさせない張りと、年齢相応の優しさを同時に実現した奇跡のF-Cupは、抗いようも無く男心のやわらかい場所を鷲掴みにしてくる。
浅井は禅の不動心を励起、危うい所で精神攻撃をのがれた。改めて表情筋を制すると、ほのかに曖昧なサムライスマイルを浮べて、族長の前に進み出た。
「はじめまして。お会いできて光栄です、たむたむ族長。わたくし、ネオ日本商事、浅井忠吾と申します。このたび、ここタカサーキ担当となりました。どうぞお見知りおきを」
訓練された所作で、ギラギラと輝く金属製のサムライ名刺をとり出す。
サムライ名刺、それはビジネスサムライが人生をかけた勝負時に提示するスペシャルな名刺。まさに彼らのイコンである。十年に一度この名刺を使う事が出来れば、超一流のサムライと言ってよいだろう。浅井にとっては、もちろん初めての経験だ。
浅井の名刺は長岡の東氏というサイボーグ鋸職人一族が手作りした一品物で、厚さ0.25ミリのカーボンナノチューブ分散強化安来鋼から成り、表面は硬質クロームメッキを施した上で、走査型プローブ顕微鏡でしか測定できないオングストロームオーダーまで磨き抜かれている。
刻まれた文字は、ネオ日本有数の書家である第六代境莫山が手掛け、一枚一枚ことなるオリジナルデザインを、レーザーマーカーで寸分の狂いも無く縮小転写する。
もちろん完璧な焼きいれが成されており、名刺の上端は刃付けされている。斬れる。「剃刀とかwww何それ美味しいの?www」というくらいに、斬れる。
つまり、「この邂逅が気に入らなければ、今すぐこの刃で私を殺して結構」というメッセージなのである。出会いに賭ける、ビジネスサムライのKAKUGOを象徴しているのだッ!
たむたむ族長はコマに向かって一つ頷き、
「御苦労、戦士コマ。カチヤ婆の占い通りの帰りだったな。――で、サイターマ人のテメェ、さっさと出すもん出しやがれ」
そう言って浅井のサムライ名刺を取り上げ、無造作にビリリと引き裂いた。
「…………ギャッ!」
浅井の喉から変な音が出た。
「あ? うるさい、出すもん出せ」
族長は哀れな名刺の残骸をポイと投げ捨て、浅井の腹を蹴り上げた。浅井はキリキリと宙を舞い、ランドローバーのタイヤにぶち当たった。37式機動装甲背広が無ければ、即死だ。
「ううぅ……」
腹と背中を抑えて呻く浅井。痛い。さすがに哀れである。彼の傍に、コマがしゃがみ込んで耳打ちした。
「おいアサイ、族長にジューマンゴクマンジュー出せよ」
「は、はい……」
痛みに耐えてノロノロと荷台を開け、十万石まんじゅう十五個入りパックを取り出した。脇からコマが奪い取って「族長、食ってみ?」と差し出す。
「なんだこりゃ……美味い、美味すぎる!!」
たむたむ族長は大絶叫。頭の横のリアル兎耳がひょこひょこと動く。愛い。
「十万石まんじゅうです。サイターマは行田の名産であります」
「よし、後でギョーダを攻めよう」
さようなら、行田。やっぱりダメみたいだ。
「たむたむ族長、よろしければ私がいくらでも持ってまいりますが……」
浅井は勇気を振り絞って一応の外交的努力をしてみるものの、
「テメェなんぞ、どうせすぐに死ぬんだろう?」
真正面から一刀両断、玉砕である。浅井自身、生をあきらめ、死を完全KAKUGOしている以上、申し開きのしようが無い。所詮、力の裏付け無き外交など屁のツッパリにしかならぬ。
まあ、落ち込んでいても仕方がない。
「族長、これがお約束の商品です」
浅井は何とか気合いで再起動すると、一抱えもある巨大な段ボール箱をランドクルーザーの荷台から取り出した。コマとたむたむ族長の前にボスンと置き、「ご確認を」と御開帳。
たむたむ族長は冷たい地べたに尻を付けて座り込み、段ボールの中身を掴み出した。
「おお! よしよし、たっぷりあるな!」
族長、たちまち破顔。頭の両側に縛られた兎達も、嬉しそうに手足と耳をばたつかせる。首に巻いた鼬も尻尾を振る。愛い。
「すっげぇ……」
コマが息を飲み、ぷっくりした頬を真っ赤に染めた。もっと愛い。
彼女らが大歓喜した商品。それはタオルである。各所で無料で下られる、くっだらない粗品的アレである。浅井が族長に渡したタオルにも、「粗品」と書かれた熨斗が巻いてある。なぜ粗品タオルなのか。その理由は誰にもわからない。百八個あるといわれる群馬の謎の一つだ。
群馬学の権威、TOKYO大学の山本市太郎教授によれば、一種の宗教的儀式に用いられる可能性が高いとの事。どういう儀式かは不明である。それを探るフィールドワークの最中、山本教授は「かゆ……うま……」と訳の分からない言葉を書き残し、消息を絶った。南無阿弥陀仏。
いずれにしてもグンマーではこの粗品タオルが大人気で、一種の戦略物資とも言える価値を有する。時には部族間交易において、通貨としての役割も担っているのだ。
あらゆるグンマー人は、この粗品タオルを他県民から奪い取ったりしない。グンマー人同士も、タオルを奪う為に殺し合ったりはしない。殺した相手のタオルを好敵手の魂として引き継ぐ事はあるが、タオルを奪う為に殺す事は無い。あくまで対等で誠実な対価としてのみ、この戦略物資は授受される。
過去には粗品タオルを通貨として、群馬の名産を買い取ろうという傲慢で独善的なギロッポン企業人達の計画もあったが、その計画はONIWABANによって未然に潰された。グンマーへの安易な手だしは亡国への片道切符となりかねないからだ。
もちろん浅井のタオル持ち込みに関しては、グンマー特別法の範疇で、幕府が許可を出している。
たむたむ族長は深く頷き、自分の後ろにタオルの段ボールを回して言った。
「よし、サイターマ人。テメェはちゃんと約束を守った。どうやら良い奴のようだ。……で、名前は?」
「……浅井忠吾と申します」
浅井の全霊をかけたサムライ名刺には何の意味も無かったようだ。ショック。もう涙が出そう。
そんな内心の慟哭などたむたむ族長には全く関係ない。興味もない。首に巻いた鼬の耳をコリコリと掻きつつ、
「じゃアサイ、改めて戦士コマをテメェの案内に付ける。それをもってタカサーキ族の支援とする。……ま、その他なんだかんだで、テメェが死ぬまでは手伝ってやろう。これだけの心意気を見せられちゃ、こっちもしっかり返さなきゃいけねぇかんな」
「私が死ぬまで、と言う事ですね?」
「そうだ。テメェが死ぬまでだ」
グンマー人は企業と言う概念を持たない。外部との取引は、あくまで個人相手の取引として成される。
「KONNYAKUを手に入れるのは楽じゃねぇ。他のものならともかく、KONNYAKUには全部族の承認がいるぞ。ケノの掟だ」
「存じております」
ケノの掟、と言う単語を出されたら、それ以上議論の余地は無い。素直に受け入れるしかないのだ。ネオ日本における予定調和、イギリスにおける伝統のようなものだ。そうだから、そうであり、外人が四の五の言ってもどうにもならぬ。
「たむたむ族長、ご協力感謝いたします。先走りかとも思いましたが、すでにイセサーキ族とタテ・バヤーシ族の了解は得ております。今後の動きについては、コマさんと話し合いの上で決めたいと存じます」
「イセサーキとかタテ・バヤーシとか、右下の奴らは、あんまりKONNYAKUを意識しねぇからな。問題は左の方と上の方の奴らだ。あと……マエバーシの糞虫どもだな」
マエバーシ族とタカサーキ族は、ケノの代表権を巡って、恒常的な戦闘状態にある。グンマーにおいて延々と繰り返されてきた流血の歴史だ。
「族長、マエバーシ族とは……話し合いの余地がありますでしょうか?」
「うん、最後はこけしを交えて話し合う事になるんじゃね?」
絶望である。
「ま、ゆっくりやれ。KONNYAKUを急ぐな。急ぐと死ぬぞ?……さあ、付いてこい。後で部族の仲間に紹介すんからよ」
族長は言い捨て、スタスタと集落の方に歩いていく。ワンマンオーナー社長めいて勝手な女だ。こういうリーダーの下で働くのは大変だが、分かりやすくて浅井は嫌いじゃない。
「あ、族長お待ちください、私のクルマは如何すればよろしいでしょうか?」
「あー、そうか、ここに置いておけよ。書くもん出しな」
浅井が助手席のダッシュボードから油性マジックペンを渡すと、族長はボンネットとサイドウィンドウに、直に上毛文字を書きはじめた。焦げ茶色の車体に黒い字だから浅井の目には目立たないが、グンマーアイから見れば一目瞭然らしい。
族長の文字はコマのそれより随分と流麗で、年齢に裏打ちされた色気がムンムンであった。言葉の意味はわからずとも、美しいものは美しい。美的感覚は人類に共通したフォーマットであるようだ。
「コマさん、族長は何と書いているんです?」
「このクルマ、触った者は、焼ダルマ、たむ^2」
どうやらこれで安心である。
^^^^^
遠方には山々が峨々として連なっている。朝日は徐々に強くなり、山塊の色を青く浮かび上がらせた。
たむたむ族長は悠然と西の集落に歩き出した。浅井とコマは、彼女の10m後ろを付いて行く。族長の歩みは緩やかで急がない。
「コマさん、どうしました?」
「ん、気にすんな」
浅井としては族長と雑談でもしながら距離を縮めたいが、コマが何故か遠慮して近づかない。このお勤めではコマこそがキーパーソンなので、浅井は彼女に付き合って、互いのパーソナルスペースギリギリを半ば友人のようにして歩く。あえて、事情を聴いたりはしない。
――とりあえず、雑談でもするか
「コマさん、寒いですね」
「気持ちいいよ?」
群馬人は暑さ寒さを感じない。
「族長は何故私の名刺を破ったんですかね?」
「だって、アンタらの字、読めねぇじゃん。グンマーには上毛文字しかねぇもんよ」
「ああ……大変な失礼をしてしまった……知っていたのに……」
「つか、寝た方が良いね」
移動中は助手席で目をつぶっていたので、脳はそれなりに回復している。ただ、所詮はそれなり。普段でもアホなのに、現状の浅井は輪をかけてアホになっている。ぶっちゃけ、殆んどビジネスサムライ的反射で活動しているに過ぎない。これでは、下手に族長と話さない方が良いかもしれない。
「そう言えば、コマさんは私の名刺を受取られましたが、読めるのですか?」
「んん、読めるよ。お母さんに習ったから。てか、今さらだけどさ、あのメーシってのは何だい?」
「そうですね、自己紹介の時に使うモノで……まあ我々ビジネスサムライの魂みたいなものですね」
「へー、そりゃすげー」
コマはピュウと下品に口笛を吹いて嘯き、ふと気が付いて、上目遣いで浅井を覗き見た。
「いえいえ、癖は中々なおりませんからね。こちらこそ、偉そうなこと言ってすみませんでした」
「ん、うん」
アヒルのように口を尖がらせて、恥ずかしそうに、でも悪戯っぽく彼女は笑った。
それから少しの間、二人とも黙った。
到着した時は曖昧だった陽の光は、気付かぬうちに徐々に強くなっていて、今は斜め前に影法師を作っている。
浅井は斜め後ろに動いて、自分の影と彼女の影を、少しだけ重ね合わせた。
「何やってんの?」
「いいえ? なんでも」
女学生のような自分の振る舞いに恥ずかしくなって、元の場所に戻った。影法師はまた二つに分かれ、一歩一歩、律動的に上下した。
「アサイ」
コマは前を向いたまま呼びかける。
「はい」
「たむたむ族長はアンタがすぐ死ぬって言ったけどね、アンタを護るのがアタシの仕事だよ。」
彼女の声は落ちついていて、プロフェッショナルな責任感を感じさせた。
「コマさん」
浅井の瞳が僅かに揺れた。
「まあ、安心……されると困るけど、そんなに怖がることはねぇよ。あきらめる必要もねぇよ。ん」
「すみません、どうぞよろしくお願いします」
浅井は彼女の顔を見ないまま、曖昧に微笑して応えた。
コマに守ってもらわなければ、外も歩けない。彼女がいなければ、あっという間に死んでしまう。それは良い。そんな事は、はじめからわかっている。グンマーは強く、己は弱い。
ただ、問題はプロ戦士である彼女に、このような寂しい慰めを言わせている事である。何という惰弱さだろうか。それでもビジネスサムライか。恥だ。
「頑張りましょう、コマさん!」
溌剌と浅井は言った。この言い方もまた、卑怯である。自覚はしている。
「ん、がんばる。そんで、がんばれ」
彼女は少し両眉の端を下げて、軽くささやくように言った。有り難く、優しい言葉であった。胸に沁みて、痛い。
浅井は天を向いた。ビジネスサムライの訓練を経ていなければ、余りの情けなさと悔しさに、涙が噴きこぼれていたかもしれない。
ただ、その情けなさと悔しさの中に、ほんの少しだけ彼女の優しさを嬉しいと感じる自分がいるのも確かであって、本当に情けないのは、そんな己の浅ましさなのだ。
長岡の鋸職人は現実存在。
実際スゴイ。




