沈没船
最近フラフラとした性格になった気がしています
泳げない。
海に潜るにあたり、真っ先に羽月が危惧したのはその一点だった。
「うわわっ……!」
空に抱きかかえられながら、ゆっくり碇の鎖に沿って降下していく。その間ずっと水中なのを忘れ、空の胸にしがみついていた。
「は、羽月ちゃん……大丈夫だよ。怖くないし、私もいるから……」
「でも、ここでいきなり海流が吹いて、私が投げ出されたら、永遠に漂流されるかも……」
「羽月ちゃん、レプスのエンシェントでしょ? 水中でもジャンプできるでしょ?」
「そして、泳げない私はそのままサメに食べられるんです……」
「どうすればそこまでの発想ができるのか、すごいよ羽月ちゃん……」
「そして冷たいサメのお腹の中で、永遠に消化されるんです……」
「もう少しポジティブに考えようよ……。はい、着地」
途端に、浮遊感がなくなった。恐る恐る目を開けてみると、白い砂地の上に、泰吾たちが並んでいた。
「羽月ちゃん。もう着いたよ」
「は、はい……」
ちょんちょんと、つま先で足場を確認してみる。白い砂が、まるで羽毛のようにふわふわで、物体感がなかった。
「……私が立った瞬間落とし穴に……」
「ならないならない」
空の苦笑を横目に、羽月はようやく海底の砂を踏む。
「海の底……魚さんもいない……」
「ここは珊瑚礁じゃねえからな。外洋にポンポン魚なんざいねえよ」
「そうですか……」
エクウスの指摘に肩を落とし、改めて沈没船を探す。
「えっと……あ、あれ?」
船の碇のから少し離れたところに、確かに沈没船と呼ぶべきものが横たわっていた。
全体が緑の海藻で覆われており、近くならばきっと気付けないだろう。まるで家のような建物が甲板から突き出ており、その大きさを助長していた。色は落ちてわからないが、帆先には恐竜のような巨大な動物の顔が彫り込まれているのが特徴だ。
多くの情報はここからでは読み取れない。しかし、羽月はこの船について、一言だけ口にできた。
「この船、最近の船なのかな?」
「最近?」
羽月の独り言に反応したのは、空だった。
「まさか、この船が最近のものなの? ……確かに、大航海時代よりも近代的かも……」
「いや」
しかし、空の考えを泰吾が否定した。
「これが最近のものとはとても思えないな」
「なぜです?」
「落水したときも思ったけど、このサイズの船の沈没なら、ニュースにならないはずがない。世界中のどこの国だろうと、船が沈めば全世界に流れるはずだ」
「そう……ですか?」
「見てみろ。このサイズ」
泰吾は、船を端から端まで指さす。羽月はその動きを目で追いながら、自然とその大きさを計っていた。そうして、彼女が出した結論は、
「……三百メートルはある……」
「過去にも今にも、そこまでの大きさの船はそう多くない。同時に、それらが持つ経済的価値も計り知れない。失われれば、報道機関だって黙るはずがないだろう。だからこれは、記録が付く前の時代のものだと思う」
「だとしたら少しデカすぎんだろ」
今度はエクウスが、泰吾の考えを否定した。
「記録付く前……戦前と仮定すっか。それ以前にこれを作ったとしたら、少し無理あんぜ」
エクウスは全員に合図し、歩みだす。羽月も彼の後ろを歩きながら、彼の持論に耳を傾けた。
「大航海時代なら、こんなデケェもん海賊の餌でしかねえし、積み荷を運ぶにしても、この大きさにどれだけの船員が必要になんだか。効率性ってもんがねえ」
「じゃあ、あんたの結論は何なのよ」
水中に来てから、マイはずっと頭を抱えている。彼女は、ついでに「前置きはいいからさっさと結論頂戴よ」とも付け加えた。
エクウスは、
「こいつは、オーパーツ、と呼べるんじゃねえか」
と言った。
興奮で、羽月の全身が震えた。
「確かに、最近のものより、オーパーツのほうがしっくりくるわね」
マイは適当な船室の扉にハウリングエッジを走らせた。
金の刃の剣は、数瞬蒸気を迸らせるが、結局鉄の塊のまま金属製の扉を切り破った。
船室に入った彼女に続き、泰吾も警戒しながら扉の残骸を跨ぐ。
「そうだな」
部屋に入る前にと、泰吾はきれいに切り刻まれた扉の一部を掴む。白い籠手を通して、プラスチックのような手触りが伝わってくる。
すでにエクウスたちとはバラバラになり、手分けしてこの沈没船の探索を行うことになった。すでに船室を訪れるのも十回を超えているが、そのすべてのドアを開けることは、エンシェントの力抜きでは叶わぬことだった。
「この扉、なにでできているんだ?」
「金属とかじゃないの?」
「イニシャルフィストでは握りつぶせない金属か」
これまで泰吾のオーパーツ、イニシャルフィストはその実力を遺憾なく見せつけてきた。古代の怪物ゴーレムを砕き、変質した学校やドームの壁を貫くこともできた。
それが、たかが小さな金属片さえ壊せない。
泰吾は、戻ったら羽月に渡そうと決心し、それを持ち帰ることにした。
しかしマイはそのようなことは考えず、
「うわっ‼ なにこの部屋⁉」
長い間水に浸かっている事実を嘘だと主張する純白の外装、それを一望するこれまた純白の背の低い円形の机。壁には本らしきものが詰まれ、詳細はガラスの蓋に阻まれている。天井に照明器具はなく、まるで四角い箱の中のようだ。
「さすがに、乗っていた人は避難したあとか」
「ちょっと。怖いこと言わないでよ。いきなりここから死体が出てきたらあたしトラウマものよ」
「普段ゴーレムやらレリクスやらと戦い続けている人の言葉じゃないな。……ここは、子供部屋か?」
散らばっている動物のような人形からそう判断する。マイも頷いた。
「ここにエクウスが望んでいるようなものはなさそうね。価値もなさそうだし」
「わからないぞ。こういうものにとんでもない価値をつける人がいるかもな」
泰吾は犬型の人形を摘み上げる。海水の中にあったのに、それはまるで空気中にあるかのような触覚を覚えた。
「こういうのを可愛いっていう人もいるんだろ?」
「あたしは思わないわ。あんたは?」
マイに促されたとおりに、泰吾は少し犬を凝視してみる。どこの玩具屋に取り扱っているようなものだが、全身の毛はカビか海藻に覆われ、唯一無事な瞳が泰吾をじっと見返している。
「……俺も思わないな」
結局、この犬は船室の主としてまた未来もこの場にとどまることとなった。
色んな乗り物に酔う今日この頃




