Ⅰ ⅱ
少年の足が空中を蹴る。まるで見えない階段を渡るように。かなりの段飛ばしで掛け降りる姿には、強い焦りが滲み出ていた。
とんっ、と足が地面を叩く。軽やかな着陸を終え、シオンは顔を上げた。
「ここは……公陸か」
辺りを見回しながら呟く。辿りついたのはのどかな田園地帯の一角だった。緑の麦穂が揺れる畑に澄んだ小川。ぽつぽつとある林の向こう側には街の影が見える。この公陸の中心都市だろう。
穏やかな風がシオンの横を吹き抜ける。空からいきなり駆け降りて来たシオンだったが、彼を見て騒ぐ人物は一人もいなかった。降り立ったこの場所には人っ子ひとりいない。
「何でアベルはこんな所に来たんだろう」
使用人をしていた屋敷から飛び出した事は知っている。彼女の雇い主である女主人が「あたしの渡空船で逃げたのよ」と迷惑そうな顔で教えてくれた。そのせいで都市陸に買い物に行けなくて困っているらしい。
陸を一つ買い取って丸々屋敷にしてしまう趣味は、どの時代の金持ちも同じだ。そして彼らはより高い所にある陸を求めている。だから女主人は、シオンがアベルを捜している理由を知ると、目の色を変えて「次の御芯体はあたしにしなさいよ」とかじりついて来た。
御芯体が何なのか、聖地が何なのか、この人は理解しているんだろうか。シオンは辟易を隠しながら、丁重にお断りした。
「……空の上で、日がな一日を過ごすだけじゃないのに」
空を見上げ、ため息をつく。
「とにかく、早くアベルを見つけないと」
再び前に向き直る。屋敷のある陸から辿って来たポッドの磁場波紋は、この小道の奥へと続いている。葉を茂らせた雑木林に遮られて先は見通せない。陽が高いうちに辿りつけてよかったと思った。
シオンはベストの胸ポケットから懐中時計を取り出した。ボタンを押して蓋を開け、文字盤を一瞥する。そこに浮かんだ時間に胸の奥がキリリと軋んだ。
まなじりを下げ、ふっと息をついて蓋を閉じた。
時計をポケットに滑らせ、雑木林の道を前進する。
凡庸な人間には決して感じ取れない磁場波紋。この、少女の行方を掴む唯一の術を辿り始めてからと言うものの、シオンは彼女に何と切り出そうか悩み続けていた。
僕の聖地の御芯体になってほしい。今の御芯体である君のお兄さん――アレックスが、君を後継者にと願っているんだ。
これで頷いてくれればいいけれど。
ただ、不安があった。
『妹は俺を、きっと世界で一番嫌ってる』
棺に入る前、アレックスが自嘲と共に呟いた一言。淡い笑いとこのセリフが、シオンに言い知れない不安をもたらしていた。
アレックスはどういう意図で妹を後継者に選んだんだろう。そうまで自覚しているのなら、いっそ別の人を指名してくれればよかったのに。
ただ、シオンにアレックスの願いを拒む権利は無かった。
御芯体の継代の際、後継者が指名された場合はそれが最優先される。千年前から守られ続けてきた聖地のしきたりだった。
まぁ、継代の時は大なり小なりもめるからな……
「一年前の第一聖地より酷くならなければいいけれど……」
無意識に歩く速度が遅くなっていく。はっと気づき、慌てて早歩きに切り替える。あわただしい足音が林に響き、驚いた鳥が梢から飛び立った。
砂利混じりの道は次第に細くなっていく。行く手にポッドの地場波紋は感じるが、本当にこんな所に女の子がいるのかと自信が無くなってくる。
しかし唐突に開けた景色が、シオンの疑念を一発でなぎ払った。




