手慣れている。
あああああ!
どうして!
完全無欠の皇太子が、爆誕したと思ったのに。
そこには確かに呪いがある。
昨日のような重い呪いではない。あの呪いに比べたら塵のような軽さだが、そこに呪いは確かにあった。
こんな呪い、「リジェクター」があれば、簡単に跳ね返させたはずなのに。
完璧な盛り付けをしたお皿に、あやまってソースが一滴落ちている。
どうして!――まさにそんな気持ちだ。
「シャーリー、申し訳ないです。わたしの不注意で、呪いにかけられることになり……」
皇太子は心底申し訳ないと言う顔になり、彼の手に触れていた私の手を持ち上げ、甲に自身の唇を押し当てる。
これには驚き、心臓が止まりそうになった。
驚きはしたが、それは一瞬。
それよりも……。
甲に触れる皇太子の唇の柔らかさ、温かさ、ほのかに感じる潤いに、体の芯が痺れそうになる。
唇だけで、ここまでの破壊力! さすがヒロインのお相手だ。恐るべし。
「こ、皇太子殿下、呪いは確認できました。中にお入りください」
「よろしいのですか?」
よろしくない! もう一度甲にその唇を……。
ではない!
「よろしいのです!」
顔を真っ赤にし、体の向きを変えると、皇太子がクスクスと笑う声が聞こえる。
耳が熱い。
案内するまでもなく、皇太子はソファへ向かってくれるので、飲み物を用意すると告げ、ティーセットを置いた棚へと向かう。
ティーポットにケトルのお湯を入れ、ポットをしっかり温めることにした。
その間に茶葉の用意だ。
一度店の裏に戻り、茶葉の缶をキッチンの棚から取り出す。
皇太子にもらった茶葉を、使うことにした。
店に戻り、ティーポットのお湯を捨てる。
茶葉と一緒にもらうことになった、シルバー製のキャディスプーンで、茶葉をすくおうとすると……。
茶葉の香りではない。
マグノリアの甘い香りを感じたと思ったら、皇太子が私の背後にいた。
しかも……。
「二人分の紅茶をいれる時、この茶葉であれば、量はこれぐらいが適切です」
すぐ耳元で囁かれた皇太子の声、息遣い、微妙に感じられる体温に、腰が砕けそうになる。
さらに彼の手が、キャディスプーンを持つ私の手を包み込み、ゆっくりと動かす。
心臓が爆発しそうだった。
「いいティーポットですね。紅茶を入れる時は、この丸いティーポットがいいのですよ。理由はご存知ですか、シャーリー?」
皇太子は私の手を動かし、ティーポットにキャディスプーンから茶葉をいれ、耳元でそんな質問をするが……。
甘い香りを漂わせ、こんな近い距離で囁き、手に触れられているこの状態で。そんな質問をされ、答えられるわけがない! いや……そうではなくても、ティーポットが丸い理由は……知らなかった。
「ティーポットが丸いと、ジャンピングがうまくできると、皇室付きのティーマスターから教えていただきました。乾燥した茶葉にお湯を加えると、茶葉は浮き上がり、やがて沈みます。この循環が、茶葉を蒸らす間、この丸いティーポットで起きているそうです。ジャンピングがうまくいけば、茶葉から美味しさを引き出すことが可能です」
ようやく皇太子が、私の手から、自身の手を離した。さらに体も離れたので、大騒ぎしていた心臓も、ようやく落ち着き始める。
ティーマスターなんて、そんな役職があること、知らなかったわ。しかもジャンピング? 初めて聞いた。
「ただ紅茶を入れる際、ジャンピングがすべて、というわけではありません。良質で鮮度のいい茶葉を使うこと。適量な茶葉をティーポットにいれること。酸素を含んだ新鮮な水を使い、それを沸かしたての状態で注ぐことも、重要です」
そう言うと皇太子はミトンをつけ、ケトルを持つと、ティーポットにお湯を注ぐ。
ミトンをつけた皇太子は、なんだか可愛らしい。
それにしても紅茶をいれることを楽しんでいると言っていたけれど、それは本当のようね。いろいろ知識も仕入れている。
「シャーリー、砂時計を」
澄んだ碧眼の瞳を向けられ、ドキッとして一瞬、動きが止まる。
慌てて砂時計をひっくり返す。
「これは三分ですか?」
「そうです」
私が返事をすると、その間に皇太子は、ティーカップにも、お湯をいれている。ちゃんとカップも温めていた。さらに茶葉の缶の蓋をしめ、蜂蜜の用意もしてくれる。そうしているうちに、三分が経った。
皇太子はティーポットの蓋を少しだけずらし、中を確認すると「いいと思います」と微笑み、ティーストレイナーを使い、ティーカップに紅茶を注いだ。
本当に何度も紅茶を入れているのだろう。手慣れている。
それに完成した紅茶は、とんでもなく素晴らしいものに思えた。それは、皇太子が手ずからいれたということもそうだが、丁寧かつ論理的にいれたことで、きっと美味しいに違いないという期待が高まったせいもあるだろう。
「あ、シャーリー、勝手に手を出してしまい、すみません。……茶葉の缶を見た時、わたしがよく飲む紅茶の銘柄ものと分かったので、つい……。せっかくなら美味しい紅茶を、シャーリーに飲んでいただきたいと思ったのです」
「そうなのですね。ありがとうございます。とても勉強になりました」
「決してこの入れ方で、シャーリーに紅茶を入れて欲しい――ということではありません。男なんて、こだわりの生き物ですが、それを強制されると、女性は窮屈に感じるでしょう。そんな思いはさせたくないので……。わたしが紅茶をいれる時は、このやり方ですが、シャーリーがいれる時は、あなたのやりたい入れ方で大丈夫ですよ」
皇太子は……なんて柔軟なのだろう。
男性脳、女性脳と言われるぐらい、男女で物事の考え方は、大きく違う。MFTの私に対し、前世では男女間の相談を持ち掛ける顧客も多くいたが、その原因は、ここに起因することがほとんど。
男性は、ルーティンを好み、変化を嫌う。対する女性は、新しい物や味に挑戦することに、抵抗が少ない。この違いが、男女の間で摩擦を生む。
男性は、一度決めた味や物にこだわるため、パートナーに対しても「これはこの味で」と要求する。結果として相手は、その味を再現するための作り方を、強要されることになるのだ。
そのこだわりが味付けだけにとどまらず、洗濯物の畳み方、クッションを置く位置と、日常の些末なことにまで広がると……。相手はストレスを溜めていく。
でもこの皇太子となら、そんなストレスとは無縁だろう。
「シャーリー……?」
「! 今回教えていただいた紅茶の入れ方は、とても勉強になりました。指図された、なんて思っていません。せっかくいれてくださったのです。冷めないうちに、いただきましょう。そして……その呪いについて、ヒアリングさせてください」
私の言葉に、皇太子の顔が、分かりやすくぱあっと輝く。
こんな笑顔、ヒロインのタマラにしか見せてはダメですよ、と思ってしまう。
一目見ただけで、見た相手を魅了してしまう、素敵過ぎる笑顔なのだから。
ともかくソファへ移動し、皇太子のいれた完璧な紅茶を飲みながら、かけられた呪いについて、ヒアリングすることになった。
皇太子にヒアリングした結果、分かったことは……。
皇太子は宿で入浴のため、服や下着を脱ぎ、バスローブだけになった。その時、いつもの癖で「リジェクター」もつい、はずしてしまったのだという。
いつもの癖。
皇太子が普段暮らす皇宮は、厳重な警備体制が敷かれている。皇宮エリアの入退室管理は厳密で、内通者がいないか、密偵による監視も常時行われているという。特に浴室は無防備になる場所であることから、警備は特に念入り。入浴だけは、従者は使わず、一人で行うのが慣例だった。
つまり広い浴室には、自身しかいない。
よって皇宮にいると、入浴の際、体の洗いやすさを優先してしまう。つまり「リジェクター」を、ついはずしてしまうというのだ。
そこはもう、愛する人と結ばれると即死するという厄介な呪いをかけられていたのに、無警戒過ぎるのでは!?と思ってしまう。しかし皇宮の浴室の警備は、相当なものらしい。何しろ服を脱ぎ、最も無防備な姿になるのだから。さらにこれまでの十八年間で、入浴中に呪いをかけられたことは、ないと言うのだけど……。
ともかく宿で、すぐ入浴するつもりでいたが、急ぎの連絡を受け、対応していた。すると思いがけず、時間がかかってしまった。その間、部屋には宿の従業員も出入りしている。
どうやらその時、呪いをかけられてしまったようなのだ。
「ようなのだ」という曖昧な言い方になるぐらいだから、誰が呪いをかけたのか、また呪いの内容も不明だった。
呪いをかけた相手は分からないが、呪いの内容は案外判明することも多い。理由は呪いが脅しとして使われるためだ。「××するなら、馬車で事故にあう」「××すれば、お前は一文無しになる!」と言った具合に。
「××」の部分が、呪った相手に制限したい内容だ。
抑止が目的の場合、呪いを明かさないと、意味がない。よってそう言った場合は、匿名で手紙が届いたりするのだ。
よくあるのは、その手紙により、呪った相手が判明することだ。筆跡で分かる場合もあるが、「××」をされることを嫌がっている人物が、おのずと限定され、特定されることがあった。
だが今回、呪いの内容は不明。手紙は届いていない。
「まさか、愛する人と結ばれると即死するという呪いが、解呪されたとバレたわけではないですよね……?」
「それはないと思います。呪いが解けたことは、誰にも話していません。知っているのはシャーリー、あなたお一人です」
自身の近衛騎士にも明かしていなければ、皇帝陛下にも知らせていないのね……。そうであれば、呪いが解かれたことを知り、新たに呪いをかけた線は、除外される。それに、あの重い呪いの代わりにかけられた呪いにしては、軽すぎると思う。
それにしても。皇太子との間に“二人だけの秘密”があるなんて。これは……いろいろな意味で厄介! だって私が皇太子に関する秘密を何か知っているらしい……ということがバレるだけでも、何か私に仕掛けてくるかもしれないのだ。皇太子を敵認定している人物や、それこそ呪いの黒幕が。
これは私の中で、不安を喚起する。加えて“二人だけの秘密”。これにはドキドキした気持ちが誘発される。
つまり私は、不安とドキドキ状態。まさに吊り橋効果が発動中だ。
さらに投資詐欺でもお馴染みの“特別にあなただけに”というハード・トゥ・ゲットも、多少なりとも作用していると思う。つまり特別であること(二人だけの秘密)を意識させ、承認欲求(あなただけが知っている)を満たす。その上で二人の間には、特別な何かがあると思わせる。特別な何かがあるから打ち明けた――というわけだ。自分にだけ打ち明けてくれた――それが相手への信頼度と好感度を上げることにつながる。
しかも秘密を共有する相手は、完全無欠の皇太子なのだ。元々、小説読んでいる時に、自分をヒロインに置き換え、皇太子に疑似恋愛している状態。さらにお断りしたものの、皇太子は私にプロポーズをしたのだ。そんな皇太子に対し、吊り橋効果とハード・トゥ・ゲットまでが発揮されては……。
いや、今は余計なことは考えるのは止めよう。
「呪った相手が分からないのであれば『呪詛返し』は使えません。でも私の見立てでは、呪いは軽いものです。死の呪いなどではありません。よって今からその呪いを吸収し、すぐに夢で疑似体験を行い、解呪することができます」
「そうですか。ありがとうございます。ではぜひお願いしてもいいですか?」
「承知いたしました」と答えると、彼は上衣の胸ポケットから何かを取り出した。
お読みいただき、ありがとうございます!
【新作公開】
『転生したらモブだった!
異世界で恋愛相談カフェを始めました』
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大好きな乙女ゲームに転生した! と思ったら、名もなきモブ。
ちなみに前世では、結婚相談所のコーディネーターをしていた私。自分の恋より他人の恋に奔走していた。悪役令嬢やヒロインに転生したわけではない。ならばこの世界では、自分の恋愛を楽しもうと思ったら……。政略結婚なんて勘弁して! 自活のために恋愛相談カフェを始めた結果。恋愛はおろか他人に興味なし令息から、かまってちゃん令嬢まで、様々な悩みを聞いてアドバイス。すると意外な人物たちまで、カフェへ来るようになり……。
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