現実を知った。
「どうしました、エリス皇太子殿下」
「シャーリー、今日のデートはどうでしたか?」
「それは勿論、楽しかったです!」
「そう。それはよかったです。わたしもようやく君に会えて、共に時間を過ごせ、とても幸せを感じています……」
そうよね。この世界は全力で二人のゴールインを目指しているのだから。ちゃんと出会えてよかった。……名前だけ、シャーリーと呼ばれているが、この見た目はタマラ。つまりヒロインだ。よって何も問題はないはず。
「シャーリー」
「はい」
静かだった。湖の中央は、完璧な二人だけの世界。
「シャーリー、この国の皇太子であるエリス・R・バーリントンは、君にプロポーズします」
名前が……違う。でも湖面を見ても、そこに映るのはタマラだ。ヒロインで間違いない。些末なことは気にせず、ここはちゃんと返事をしよう。
「ありがとうございます。エリス皇太子殿下、謹んでそのプロポーズ、お受けします!」
幸せの絶頂。ここでエフェクトがかかるなら、鳩を飛ばし、白い薔薇の花びらを散らして欲しい。そう思った瞬間。
世界から光が消え、時が止まった。
空が赤黒く染まり、それを映した湖も、赤黒くなっている。目の前にいたはずの皇太子の姿はなく、ボードにいるのは私一人。しかもボードの中に、あの赤黒い水が溢れていく。
「エリス皇太子殿下、どこにいるのですか!?」
ボードの底に広がる赤黒い水が、どんどん広がっていく。
真っ白なドレスは、赤黒い水を吸い上げ、色が変わっていた。
広がった水は、粘着質のあるドロドロとした物質に変わり、その重みでボードがどんどん沈んでいく。
背中に汗が伝い、皇太子の名を、繰り返し叫んでいる。
どうして? 私はタマラなのに!
正しくエリス皇太子と結ばれ、ハッピーエンドではないの!?
名前が、名前が違うからダメだった……?
混乱し、そして湖面を見て、そこに映る自分の姿を見つける。
驚愕した。
この顔、この髪はタマラではない!
これは、これは……。
シャーリー・ジョーンズ!
「!!」
どぼんとはならず、排水溝に水が吸い込まれるように、ボードごと湖の中へと向かっていく。沈む直前に、思いっきり空気を吸い込んだが……。
まるで赤黒い、ドロドロのペンキの中に落ちたようだ。もう目も開けられず、粘着質な赤黒い液体が、耳や鼻に侵入してくれるのを防ぎようがない。身動きもとれず、心臓がバクバクして、理解する。
こうなるのだ。
小説のストーリーに反する行為をしたら。こうやって消されるんだ。
頭の芯がジンジン痺れ、閉じていた口が勝手に開いてしまい……。
目覚めた瞬間。
自分が泣いていると自覚した。
愛する人と結ばれると、即死するという厄介な呪い。この呪いを吸収した解呪師である私は、夢の中で呪いを疑似体験。これを持ってして、その呪いを解呪することができたのだが……。
なんて。なんて恐ろしい呪いだったのだろう。
愛する人と結ばれたら即死なんて。
まさに天国から地獄へ、猛スピードで落ちていくようなものだ。
心臓もバクバクと破裂しそうだった。
泣き叫び、心を震わせ、この絶望を吐き出したくなっていた。
これはもうカタルシス効果で、絶望を発散したい状態だった。
ところが。
それは……できない。
チラリと見ると、皇太子がまさかのすぐ横で眠っていたのだ。
私が眠るカウチのそばで、騎士のように跪き、きっと見守っていてくれたのだと思う。最期の瞬間に到るまでは、とても平和な夢を見ていた。その時の私は、きっと健やかな寝息を立て、寝ていたと思う。
それを見ていたら眠気に誘われ、皇太子も眠りに落ちたのだと思った。
その美しい寝顔を見ていると、粟立っていた恐怖が、収まって来た。
同時に。
手を握られている状態には、困ってしまう。これでは私だけ起き上がることもできない。
ただ、あの呪いはとても重かった。深い睡眠に引きずり込まれ、夢を見ることができないでいた。そこで感じた温もり。それは……この皇太子の手だったのだろう。この手の温もりのおかげで、夢を見ることができ、そして呪いを疑似体験し、目覚めることができた。
よってこの手について、文句は言っていけない。
でもこんな風に手を握られていたからだろうか。夢の中に、皇太子が登場したのは。いつもだったら、呪いをかけられた相手が、夢に出てくることはない。でもこんな風に手をつないでいたから、夢にまさかの皇太子が登場してしまった。
ああ、なるほど。
相手が皇太子だったから、私の無意識が勝手に反応してしまったのだ。皇太子はまだタマラのことを知らない。そのことを私の無意識が、夢に投影させていた。ゆえに見た目はタマラなのに、夢の中の皇太子は、シャーリーと呼ぶことになった。
それにしても、皇太子が夢の中に登場することで、この世界の恐ろしさを再認識することができた。さらに言えば、呪いのひどさが際立ったと思う。
こんな呪いはひどすぎる。この呪い考えた黒幕は、本当に鬼畜だと思った。
人の感情をなんだと思っているのだろう??
「愛=死」と考える黒幕の思考に、ついていけない。
黒幕。
結局小説の中で、黒幕の正体は、明かされていない。ただ黒幕は、ヒロインとエリス皇太子により追い詰められ、そして滝壺に身を投げるのだ。そのラストはまるで、テレビドラマのサスペンス劇場みたいだった。
ともかく呪いは解けた。
夢のラストは本当に悲惨だったが、あのプロポーズまでは、最高なものだった。
読んでいた小説に、名前さえ登場していないモブに転生した。ヒロインや皇太子とは、無縁で終わると思っていたのに。皇太子とは思いがけず出会い、夢の中ではあったが、プロポーズまでされた。
これで満足だ。いい思い出もできた。
思い出と……現実を知った。
皇太子とは、絶対にどうこうなってはいけない。タマラというヒロインがいるのだから、絶対に邪魔をしたり、余計なことはしたりしてはいけないのだ。それを身をもって知ることができた。
気持ちを改め、大きく深呼吸をしたところ。
「うん……」という、なんとも男性としては艶めかしい声が聞こえ、皇太子が目覚めた。
寝顔もとても美しかった。黄金色のサラサラの前髪の下の、閉じた瞼から見えた長い睫毛。きゅっと閉じられた口。とても無防備な顔。……いくらでも眺めていることができたが、目覚めてしまったのなら、仕方ない。
ゆっくり彼の手から自分の手を引っ張りだすと、皇太子は完全に目覚めたようだ。
私がカウチから起き上がるのにあわせ、皇太子も立ち上がった。
チラッと見ると、紅茶をいれた痕跡はない。
完全に私のそばで、一緒に昼寝をしていたようだ。
「……皇太子殿下、ご気分はどうですか?」
ソファの方に皇太子を誘導しながら尋ねる。彼は素直に従い、ソファへと戻っていく。
昼寝をするなら二十分ほどで。深い眠りまで落ちると、目覚めが悪くなる。でも皇太子の表情を見る限り。とてもフレッシュで生き生きとした顔をしている。それを見るだけでも、解呪を確信できた。
「シャーリー。わたしは今、かつてない爽快感を覚えています。心身共に、解き放たれた感覚を味わっています。この感動を、誰かと分かち合いたい気持ちでいっぱいです。解呪されたと、実感しました」
私を見る皇太子の碧眼の瞳は、眩しいぐらい、輝いている。
何か危険な予感を覚え、気を引き締めると。
美貌の皇太子は、極上の笑みを浮かべ、ソファに腰をおろす。
「わたしにかけられたこの呪いを解いてくれるなんて……月のように輝く銀髪とアメシストのような瞳を持つ君は、まさに地上に降り立った救済の女神。どうかこれからもわたしのそばにいて欲しい。シャーリー・ジョーンズ。この国の皇太子であるエリス・R・バーリントンは、君にプロポーズします」
◇
感極まってプロポーズをした皇太子は、なんとか追い返すことができた。
ただ彼は、もし呪いをかけられたらまた来ます……なんて不穏なことを言っていたが、そんなこと、ありえない。
呪いを跳ね返すアイテム「リジェクター」は、主に宝飾品として身に着けていることが多い。皇太子もきっと、身に着けているはず。それとは分からないようにして。しかもその「リジェクター」は粗悪品などではなく、一級品のはず。そこは金に糸目をつけず、最高級品を手に入れていると思う。
もう皇太子は呪いをかけられることはない。
ついにこの世界の主人公、小説のヒロインたるタマラと結ばれるにふさわしい、完全無欠の皇太子殿下が爆誕だ。
私はただモブとして、遠くから二人を見守るだけ。ここは田舎に思えるが、皇都の端。ニュースペーパーは手に入るし、そこに二人の婚約が、報じられるはずだ。
こうしてドキッとするような非日常は終り、モブである私の日常が始まる。
そう、思っていたのに。
「えっ、どうしてですか?」
「それが……わたしとしたことが、入浴中に呪いをかけられてしまいました……」
信じられなかった。
朝一番のお客は、まさかのエリス皇太子。
「リジェクター」は宝飾品だが、肌身離さず身につけられるものを、王侯貴族なら手に入れるはずだ。純金にダイヤなど、庶民では到底手にいられないようなものを。それは入浴時も、身に着けていると思うのに!
「……本当に、呪いをかけられたのですか?」
店の入口に立つ、皇太子の視線の動きを追う。
左上……記憶を確かめている。
「はい。せっかく呪いが解け、心身共に軽やかになったのに。再び、気分が落ち込み、体に重さを感じます……」
嘘は……ついていないのね。
これにはもう、ため息をつくしかない。
呪いをかけられても、体に印が現れると言った、分かりやすい変化はない。ただ、呪いをかけられた当事者は、実感する。体に微妙な重さを感じ、言い知れないわずかな不安を感じるのだ。最初は、体調不良と感じる人もいる。だが医者にかかっても、体に問題はない。一ヵ月、二ヵ月とこの状態が続くと、ようやく「呪いをかけられたのではないか?」となる。
解呪師であれば、呪いを感じ取ることができた。その感じ方はいろいろ。私の母親は、呪いをかけられた人間からは、黒い靄が見えたと言っていた。父親は、音が聞こえると言っている。私は相手の手に触れることで、呪いを感じ取れた。
見た感じは当然だが、皇太子が呪いをかけられたようには思えない。
ブロンドのサラサラの前髪は、今日は真ん中わけされていた。
それだけで雰囲気が変わり、男前度が上がっていると思う。
碧眼の瞳は澄んだ美しさ。陶器のような肌に、くすみはなく、健康的に感じる。
白シャツに紺色のタイ、シルバーと空色のストライプのベスト、紺色の上衣とズボン。上衣の襟元や裾の刺繍。宝石のカフス、タイを飾る黄金のピン。
本当に。
ラベンダーグレーのローブを着た私と比較すると、私は影で、皇太子はまさに光。
光の象徴のような皇太子に、呪いの気配は感じられないが、これは確かめてみるしかない。
「皇太子殿下、呪いを確認させてください。手を、よろしいですか」
「ええ、勿論です」
皇太子はいつもの白い手袋をはずし、私に手を差し出す。
その手を包み込むように両手で触れる。
手の平は硬く、甲はすべすべ。
細く長い指。桜貝のように形がよく美しい爪。
手さえ魅力的なので、つい見惚れてしまうが、呪いの有無の確認を……。
お読みいただき、ありがとうございます!
蕗野冬先生のお気に入りの解呪シーンでした。
表紙でシャーリーが涙絵になっているのは
この目覚めのシーンを彷彿させます☆彡
読者の皆様はいかがでしたか~?






















































