その8 やっぱり変!
「あれっ……、うーん、ま、いっかあ」
先輩だ。もういいかげん慣れたけど、ここに来るたび入り口で大声だすのは、さすがにやめてほしいと思う。
本来図書室というものは、その独特の静寂さをもって、他の教室とは存在を異にする空間なのだから。
かくいうわたしも騒乱の元になることたびたびなので、あまり強くは言えないのだけれど。
ほら、あそこに貼紙あるでしょ。お互いここでの第一ルールは守りましょうね、先輩。
「どうしたんですか?」
頭をかきながらカウンターの前に登場した先輩に聞いてみる。
「今日返すはずの本、忘れた」
「全然よくないじゃないですか! もう」
いきなり第二のルールまで破ってくれた。非難の視線を向けるわたし。そしていつものように顔の真ん中にもってきた手を縦に振ることで謝罪の意を示す先輩。この人には図書委員としての自覚はないな、絶対。
「ねえ」
「はい?」
「今日からもういいんじゃなかったっけ?」
わたしの叱咤を回避するためか、先手をうって話題をかえてきた。馬耳東風? ホント、困ったちゃん。
期末考査三日前。準備期間ということで、部活動、委員会活動は全面休止になる。先輩はそのことを言っているのだけれど、すでに日課となっている図書室通いを、その程度の理由でやめるほど、わたしは素直でもなければ、勉強熱心でもない。簡単に言えば「試験勉強なんかやってられるかあ!」という現実逃避。おおっぴらには言えないけれど……。
そして今日も当然のごとくカウンターを自分のテリトリーにしていたところ、その質問が自分にも当てはまるということに気付いていない先輩が現れた、という場面。
とりあえずは聞き返してみよう。
「先輩こそどうしたんですか、部活もナシですよね?」
「いや、だから本を返そうと思ってさ」
次に口にするであろう言い訳は容易に想像がつく。もう先に言ってしまえ。
「で、なんやかんやあったもんだから忘れてしまった、と」
わが意を得たりとわたしに向かってサムズアップ。
「そのとおり。テヘペロ」
あ、なんだろうう、この脱力感。この人ってやっぱり変!
(わたしに会いに来てくれた……なんてことはないんだろうなあ)
淡い期待を自ら否定したわたしは、昨日の持ち越し案件に裁決を下す。つまり写真のお礼。「先輩の気持ち」とか「あの人」のことについては、今日は見送ろう。
そういう気分になれないというか、エネルギーが足りないというか。
(ほんと、思うようにいかないね)
ちょっと自嘲気味にそう考えたわたしは、
(じゃなくて)
と、すぐに先輩に対する謝辞のことに頭を切り替えた。どう言ったら可愛く見えるかな、少し顔を赤らめて、もじもじしながらお礼を言ってみるのも一つの手だな、とかいろいろ考えてはみるのだけれど、やっている自分を想像したら、あまりに不似合いだったので、思い直していつもの掛け合いの中で言うことにしたお礼の言葉。だいたい、本当にやろうと思っても、絶対無理! キャラが違いすぎ。
「あ、そうだ、先輩。写真、ありがとうございました」
できるだけ他意を含まないように気を付けて言ってみたけど、そのせいか少し棒読み気味になってしまった。少し間をおいて、拍子抜けしたような表情をみせる先輩。
「うん?ああ、いやいや、どういたしまして」
わたしからみれば、してやったり?いつも先輩に振り回されてばかりだから、たまには優位に立たないと。
そう、せめて今日くらい。
「よかった。黙って撮ったやつだったからさあ、怒っているんじゃないかとヒヤヒヤもんだったんだ。ふう、よかったよかった」
「盗撮?」
「いや、それは人聞き悪すぎ」
「冗談ですよお。……でも先輩?」
さて、ささやかな仕返しをさせていただきますか。
「うん?」
「あれ、構図がいまいちでしたよ。もう少しわたしを右に寄せて撮らないと。奥行きをもっとうまく出したほうがいいですよ」
「えっ?」
何を言われたのかわからないといった表情で固まる先輩。
「カウンターが長いんですから、遠近感出すのにちょうどいいじゃないですか? なんか中途半端でしたよ。平面的っていうんですか?」
おお、目が点。硬直してるし。ちょっと意地悪がすぎたかしら。
(怒るかな?)
小心者の悲しさか、つい相手の反応をうかがってしまう。
(ごめんね、先輩)
謝るくらいなら最初からやんなきゃいいのに、わたしもバカ。
すると、ようやく我に返ったという感じで先輩が口を開く。
「もしかして、写真とか詳しい?」
眉をひそめている。本気モードみたい。動揺している?
「いえ、全然。でも、絵を見たりするのは好きですね」
そっけなく答えるわたし。
「あいたあ!」
天井を仰ぐと同時に、右手で額を叩く先輩。おおきな音がした。かなり強く叩いたみたい。手のあとが残っているんじゃないかしら。
「まいったなあ。うわっ、ショックー。……たしかにそうだなあ」
わたしを見据えるように顔をもどす。右手をはずした額が赤くなっていた。
「君を真ん中でとらえることしか考えてなかったよ。……はあ、きっついわあ」
(えっ?)
わたしはわたしで、予想以上の反応に少々戸惑っていた。地雷どころかミサイル打ち込んじゃった?
先輩はいつも以上の勢いで髪をかきだすと、舌打ちのあとに唸り声をあげ始める。
「そうだよなあ、写真部なのになあ。見合った写真撮らなきゃいけんよなあ」
(マズッ!)
雲行きが怪しいどころじゃない。意外な反応。反省モードに入られるとは思っていなかった。わたしはあわててフォローに入る。
「いえ、先輩、そこまで思い詰めなくても。ちょっと生意気言ってみたかっただけですから。気にしないでください。それに写真撮って貰って、嬉しいのはホントですから」
「でもさあ、正直いうとあれ、結構いい出来だって思ってたんだよ。だからあげたのに、あーあ」
頭をかく指の動きが少し緩んだ。視線もカウンターについた左手に移っている。
(……)
「しょぼーん」という表現がもっとも適切かと思えるような落ち込みよう。軽く流してくれると思い、いつもの夫婦漫才のボケを期待していたわたしは自分の浅はかさを思い知る。からかい半分の批評は、先輩の自尊心を傷つけてしまったのかもしれない。あてずっぽうというわけではないけれど、「わたしだったら」と思っていたことを、安易に口にしたことが、ここまで先輩を痛めつけることになるなんて思いもしなかった。
「ごめんなさい」
どうしていいかわからないわたしは、真意がどこにあるのか自分でも疑わしい言葉で、その場の雰囲気の転換をはかるしかできなかった。
(これってサイテー)
先輩は何も言わない。これ以上わたしから何かを言うことは出来ない。わたしは黙って先輩が口を開いてくれるのを待つしかできなかった。
長く重い、望んでいたはずの静寂がわたしの軽挙をたしなめるようにのしかかる。
「……」
と突然、置いた左手でカウンターを一回叩いた先輩が、頭を掻いていた右手をおろし、わたしに体ごと向き直った。
「いや、ごめん。君のこと、ちょっと軽く見ていたかもしんない。写真あげれば、ただ喜んでくれるもんだばっかり思ってた。ほんと、ごめん」
「はい?」
何を言われるのかとちょっとドキドキしていたわたしは、先輩から謝罪の言葉が出てきたことに、少なからず面食らってしまった。
「バカにしてたわけじゃないんだけど、そんなふうに見てくれるとは正直思ってなかったんだ。ちょっとオレも勘違い。しょうもない写真あげちゃって悪かったね。嫌な思いさせたかな?」
慎重に言葉を選んでいるのか、区切り部分でゆっくりと一呼吸をはさみながら言う。そして、カウンターの縁に両手をおくと、いきなりわたしに頭を下げたのだった。
「ごめん」
!
「うわ、ちょっと先輩!やめてくださいってば。そんな、わたしのいうことなんか気にしないでくださいってば」
(うわあ、こういう受け取り方するんだあ)
自分では考えられない。あわてたわたしは、両の手を開いて意味もなく横に振るしかできず。
「んじゃ、勘弁してもらえる?」
顔を少しあげた先輩が、わたしをうかがうようにして聞いてくる。
「勘弁も何も……、こっちこそ生意気言っちゃって……すみません」
今度はわたしが頭を下げる番。かなりあせっていたせいか、もう少しで先輩に頭突きをくらわしてしまうところだった。ぎりぎり当たらなかったけれど。
そして、はからずもおなじタイミングで顔をあげた先輩とわたしは、お互いに肩をすくめ、数秒の沈黙の後、照れかくしの笑みを浮かべることで、この一件の落着を了解しあうのだった。
これもアイコンタクト? 通じているのが、ある意味スゴイ。
でも、さすがにこれ以上見詰め合っていては、気恥ずかしくなるばかりなので、わたしは椅子に座りなおすことで視線をはずすことにする。考えることは一緒ということか、先輩は先輩で指を組み、その両手を頭の上にあげながら、わたしに背を向ける。
大きな背中。がっしりとした肩幅。ワイシャツがつくりだす直、曲の入り混じった線が男の人の身体を強調している。
(やっぱり先輩の背中って……いいなあ)
なぜだかわからないけれど、つい飛びつきたくなるような先輩の背を見ながら、最初のいたずら心はどこへやら、今日は蓋をしていたはずの感情が、滔々と湧き出してきているのを感じていた。
(ああ、わたし、やっぱり……)
最後までは言葉では考えない。一言で表現するには複雑すぎるような気がするし、なにより恥ずかしい。そして、その恥ずかしさが、噴き出てくるこの思いに拍車をかけている。とても抑えきれそうにない。
不思議。なんでこのシチュエーションで、こんな気持ちになっちゃうんだろう?
ころころ、ころころ。自分でも驚くくらいの転がりよう。
(でも、いいの。これがわたしだもの)
ここでようやく、わたしはあらためて自分というものを知ることになる。
なによりこんな先輩とのこうした時間を「わずらいの放課後」などと名付けて悦にひたっているんだもの。
そう、わたしもやっぱり変!!