その6 赤点確定
「どうして写真部の副部長さんが?」
「いやね、今日、作品批評会ってやつやるのよ。どうも苦手でさあ、あれ。そんで、入り口の所にいたら、廊下にアイツらしいのを見かけたもんで、思わず逃げ込んでしまった、というわけで」
「先輩、それって理由になっていないんですけど。それに、なんで逃げるんですか?」
わたしはカウンターに左手をついて、にらむようにして聞いてみる。
「部活、行かなきゃまずいんじゃないですか?」
別に責めているわけじゃないけれど、どうしてだか詰問調。もう少し、柔らかく聞ければいいのに、と今更ながらに自分の不器用さに嫌気がさしてくる。
先輩はいきなり左手を広げて、わたしの顔の前に突き出した。
「プリーズ、ストップ、ストップ。イエス、イエス。アイ、アンダスタン」
英語の成績、悪いでしょ、先輩。
絶対通じそうにない発音で、浮かんだ単語を並べ立てた先輩が、こめかみをおさえる仕草をする。
あら、本当におさえてる。
「だよなあ。やっぱり、行かんとまずいよなあ」
いきなり深刻そうになった先輩に、わたしはどう言葉をかければいいのかわからなくなり、そして、そのタイミングさえ失った。
(もしかして、地雷踏んだ?)
少しの間、沈黙がふたりの了解事項のように横たわる。
「いえ、先輩がいいなら、別に……。それに写真部のことはわたしにはわかりませんし……」
わたしもわたしで、つい弱気になる。ここらへんが中途半端なのよね。
そんなわたしを上目遣いで見ると、先輩はふっとなごんだような表情になって顔をあげた。
「そうやね、やっぱり行くか。気い重いけど」
「ため息つかないでくださいよお。そんなに嫌なんですか?」
「嫌というか……。まあ、嫌なんだな。批評しあうこと自体は別にいいんだけど、ほら、いまのアイツ? アイツがね、言葉きついのよ。オレに対してだけならいいんだけど、他のヤツのにも容赦ないから。的確な分だけね、いっつも、一触即発状態? そんでさ、最後はオレとケンカになっちゃうのよ」
「ケンカ?」
「まあ、いつも言い負かされんだけどね」
ふむ、わたしの第一印象は当たっていたというわけか。それにしても、この人が口ゲンカ? ちょっと想像できないなあ。飄々としていて、たいがいのことはのらりくらりとかわしそうなのに。
そして、わたしは、毎度毎度の悪い癖。先輩の憂鬱などそっちのけで、関係ないことに頭をめぐらせていた。
気付かなきゃいいのに、どうしてこう余計なことには、すぐ反応しちゃうんだろう?
会話の中からピックアップしてしまった一つの言葉。
(アイツ?)
けして嫌っているような感じじゃなくて、どちらかといえば親愛の情が込められているように感じるのは、わたしの気のせい?
「オレに対してだけならいい」とも言っていた。
ため息つきたいのはこっちですよ、先輩。
片や「ジン」と先輩を呼ぶ美人。
片や、その美人を「アイツ」と呼ぶ先輩。
もう、なんか決定的? 勘違いならいいんだけど。というか勘違いであってちょうだい。
(やっぱり、付き合っていたりするのかなあ?)
また、胃のあたりがしめつけられる。意地悪な何かが、いったりきたりして、わたしをからかっているみたい。
そんなわたしの表情を、先輩は自分のことを心配していると取り違えたらしい。
「今日は顧問の先生も来るし、大丈夫だとは思うんだよね。先生に仕切ってもらえば、アイツもあまり口出さないだろうし。まあ、なんとかなるっしょ。悪いね、変な心配させて」
やっぱりわかってないなあ、先輩って。わたしが気にしているのは、部活のことじゃなくて、お二人のことなんですけど。
(でも、なんか、らしくていいかも)
そんなふうに考えると、少し可笑しくなってくる。多分、それが顔に出たのだろう。先輩が怪訝そうにわたしを見る。わたしはわたしで、その顔を見て更に可笑しさが込み上げてきて、今度は笑いをこらえるのに必死になって、胃のあたりにまた苦しさを感じるのだった。
(まあ、いいや。そのうちわかるでしょ)
「先送り案」に二度目の同意をするわたし。なら今は、先輩との会話を楽しむのが「吉」なのかな。
「すみません。言い負かされた先輩を想像してました」
「ひどいなあ。頼むよ、応援してよ」
「でもここからじゃ、いくら応援しても届きそうにないんですけど」
肩をすくめるわたし。ため息ついて、肩を落とす先輩。込み上げてくる笑いをこらえ、バスガイドよろしく、わたしは入り口ドアを手で示す。
「はい、気をつけていってらっしゃいませ」
「はあ。はいはい、行ってきますかね」
ため息とともに答えながら、先輩が膝のあたりを手ではらう。
「がんばってくださいね」
中腰の体勢のまま、顔だけをわたしに向ける先輩。
「楽しんでるだろ」
「とんでもない。わたしはいつだって先輩の味方ですよ」
語尾の「よ」を少しだけのばして言う。
「ありがとさん。もう、涙出そうなくらいだよ」
「はい。出口はあちらになりまーす。健闘をお祈りしておりまーす」
気合をいれるかのように、少し低めの声で言う先輩。またまた、腰に手をあてて、伸びを一回。ほんと、オヤジくさい。両手で軽く顔を叩くと、カウンターから出てドアに向かった。
座りなおした椅子を回転させて、わたしは先輩の姿を追う。そのまま、図書室を出て行くかと思ったら、突然先輩が立ち止まった。
「あ、そうだ。これだ、これ。これ渡そうと思ってたんだ」
「?」
ワイシャツの胸ポケットから、一枚の紙を取り出した先輩は、カウンター越しにそれをわたしに差し出した。
(写真?)
「はい。アメなんかじゃなくてね、ほんとは、これ渡そうと思っていたのよ」
「なんです?」
渡された写真を見ると、写っていたのは図書室のカウンター。つまり、ここ。そして中に一人の女子生徒。
(わたし?)
それは、カウンターの中で、本を読んでいる、まぎれもなく私の横顔。大きくはないけれど、はっきり写っている。
「えっ?」
言葉になりきらない声を発しながら顔を上げるわたし。先輩は右人差し指をわたしの目の前で二、三度横に振りながら、「チッチッチッ」と舌を鳴らす。得意のポーズ。そして、いたずら好きの子供みたいな笑顔。
「悪いけど、先に撮らせてもらったんだ。もらってくれるかなあ。あとでネガも渡すから。アリガトね。自分でもいい出来だと思うんだよね」
(えっ?)
わたしは写真と先輩を交互に見ながら、うまく言葉が出せず、耳たぶが熱くなってくるのを感じていた。
「んじゃ、行ってきますかあ。そんじゃ、応援よろしくー」
(えっ?)
わたしの反応を愉しむかのように少し微笑むと、語尾をあげた挨拶を残し、先輩は駆け出すようにして図書室を出て行った。
半ば呆然としていたわたしは、もう一度写真に視線を移した後で、ここでの注意事項をみずから破る羽目になる。
「ええー?」
室内に響き渡る奇声を発し、両足を突っ張るようにしてのけぞったわたしは、ある貼紙を視界に捉え、あらためてその存在を知ることになったのだった。
『室内では静かにしましょう』
(うわっ、ごめんなさーい)
図書委員失格の烙印をおされても致し方なし。
いったいどのくらい経ったのだろう。一分?三分?それとも十秒?長かったのか、短かったのか?我に返ったわたしは、周囲を見回し、あわてて居ずまいを正す。
(ああ、よかった。誰もいなくて)
閑散というより閑古鳥の鳴いている今日の図書室。
それでもわたしは思わず閲覧スペースに向けて、縮こまるようにして頭を下げる。そして、先ほど見た貼紙にも。
(ふう……)
もともとわずかしか持ち合わせていない落ち着きというものを、なんとか取り戻したわたしは、両手で持った写真を膝におき、顔を近づけたり遠ざけたりしながら、見つめ直す。
(いったい、いつ撮られたんだろう?)
ネガと言っていたから、デジカメじゃなくて普通(?)のカメラなんだろうけど、そんなもの持った先輩に気付かなかったなんて、不覚としか言いようがない。そんなことを照れ隠しに考えながら、わたしは写真に問いかける。
(ねえ、先輩?)
(……)
もちろん、返事はない。だから、今はわたしの質問タイム。
(この写真、どういう意味ですか?どう受け取ればいいんですか?)
(……)
(期待しちゃっていいんですか?……というか、めいっぱい、しちゃいますよ)
(……)
(あの人のこと、聞きたかったんですけど、これが答えってことにしちゃいますから)
(……)
(あとで後悔しても知りませんからね)
(……)
(ねえ、先輩?)
(……)
一方的な宣言に少し気が咎めるけれど、こんな思わせぶりをされたらもう引き返せない。写真の端を指ではじいて、ふっと笑ってみるみるわたし。なんかすべてが可笑しく思えてきて。鏡で見たら、さぞかしだらしのない顔をしていそう。
「ときどき、どぎまぎ、ドッキドキ」
今の状況を例えて言うならば、と自分で名付けてみて自画自賛してしまう。
(わたしもゲンキン)
写真のおかげで、「あの人」のことがかなり遠くに行ってしまった。まあ、すぐに戻ってきちゃうんだろうけど。それにしても……。
(困ったなあ)
この写真のこと。「あの人」のこと。思考能力が限界を超えて、オーバーヒートしそう。この手の経験値が低すぎるわたしにとって、実際現在の状況は手に余りそう。というか手も足も出ないというのが正直なところ。
さきほど生じた渦潮の上空に、前代未聞の大型台風発生。上陸は確定的。だけど、避けるわけにもいかないし、どうやってやり過ごせばいいんだろう?直撃受けて、もみくちゃになってボロ雑巾、なんて嫌だなあ。
心躍らせればいいやら、悩みにふけるがいいやら。いきなりこんな難問を背負い込むことになるなんて。
(赤点確定?)
そう、なにより期末テストまであと一週間。
はてさて、どうする、わたし? どうなる、わたし?




