騒がしい夜(三)
それ以外、あの場面でリッツがダウドに近寄らねばならない必要性が、ヤバネには想像できない。魔法使いであるリッツには、遠方から攻撃をする手段がいくらでもあるはずで……と、続けようとしたところで、
「……おにーさまのっ! ばかぁっ!」
突如、どたどたと足音も荒く乱入してきた少女に、ヤバネはいきなり首を絞められた。
「またいきなり何日も姿を消していたと思ったら今度はい魔法実験なんて危険そうなことに首をつっこんでっ! 万が一、おにーさまになにかあったら、フィリアナはっ! フィリアナはっ!」
「……娘御。
感情をいれているところすまぬのだが、さっきからそなたの腕がヤバネどのの頚に極わまっておるぞ。
みたところ、あと数秒で、オチる」
突然の乱入者に対して、シャルアリアラが冷静に指摘した。
その言葉通り、フィリアナと名乗った少女にうしろから抱きつかれたヤバネは、さかんにテーブルの上を手で叩いて何事かを訴えようとしていた。
「あらやだっ!」
フィリアナが慌てて腕を緩めてあとずさると、途端にヤバネはゲホゲホと盛大に咳込みはじめる。
「しばらく呼吸をするのに忙しい不肖の弟にかわりまして、みなさまにご紹介させていただきたいと思います」
それまで発言することのなかったヤバネの姉が立ちあがり、そんなことをいいだした。
「こちらのお嬢様は、お隣りのフィリアナ・ファアラリアリス様。
名前からも察することかと思いますが……」
「……ファアラリアリス宰相の……娘さん?」
うめくような声で、ダウドが言葉尻を引きとる。
「みなさま、はじめまして」
フィリアナ・ファアラリアリスは、その場で一礼して名乗った。
育ちのよさが自然に滲みでた、いかにも典雅な所作だった。
「ヤバネ・ジューロ様の許嫁、フィリアナ・ファアラリアリスと申します。
以後、おみしりおきを……」
「「「……ええーっ!」」」
ダウドとリッツとユンの声が、期せずして重なった。
シャルアリアラはというと、なにが楽しいのかからからと笑い声をあげている。
「……いや。
元、元だから……。
こどもの頃、親父が健在だった頃は、うちも羽振りよかったし……それに、うちの親父と宰相が仲良かったし……」
ヤバネは、掠れた声で慌ててそうつけ加えた。
ヤバネも、その昔、父親同志の間でそんな会話がなされていたとは聞いていたが……それは友人同士の他愛のない、冗談混じりの軽い口約束だった……と、思っている。
現実的に考えてみれば……なにが悲しくて、文官長の娘が目下没落中のジューロ家に嫁いで来なければならないのか。「宰相の娘」ともなれば引く手もあまた、もっとマシな嫁ぎ先は、それこそいくらでもあろう。
「それよりもおにーさまっ!
つい今し方、帰宅したお父様から何者かに襲われた聞きましたがっ!」
また、感情を露わにしたフィリアナが、ヤバネに詰め寄る。
「あー……。
その襲撃者、な。紹介しておこう。こちらのユン・ティ嬢だ」
「……へっ?」
「わたくし、感激しましたわっ!」
いつの間にかヤバネたちのそばにまで移動してきていたユンが、フィリアナの手をとってぶんぶんと大きく上下に振り回す。
「なんて素敵なんでしょう!
お隣りの幼なじみで許嫁で恋人同士だなんて!
そんな設定の小説はいっぱい読んできましたけど、現実にそういうことってあるのですねっ!」
どうやらユンは、恋愛小説マニアでもあったらしい。
「お、おにーさまっ! これはいったい……」
フィリアナは、ここにきてはじめて周囲のいた見慣れぬ人々に気づいた風で、狼狽した様子で視線をさまよわせた。
「うん。
ここにいる人たちと、あともうひとり、ここにはいないズジャルア王子って人も含めた六人で、魔法実験とかいうのをやることになったんだ。お上の発案だから、断るに断れない。
詳しいことは、この早刷りに書いてあるから……」
ヤバネはテーブルの上に置いたままだった号外をフィリアナの手に押しつける。
「若。
もう一組、若を訪ねてお客様がいらっしゃいましたが……」
そのとき、老家令が、ヤバネにある名前を耳打ちをした。
「ちょうどいいや。
この場に入ってきて貰って……」
隣家の令嬢であるフィリアナは、事実上顔パスで案内も乞わずに入ってくるのが常だった。
ジューロ家も昔は何人もの使用人をつかっていたのだが、今では一組の老夫婦だけを残している。敷地内にジューロ組の長屋があった往事はともかく、現在では仕事らしい仕事も、ほとんどありはしない。その夫婦には他に身寄りがなかったので、住居と食事をこちらで持つかわりに半端仕事をやってもらったり、顔なじみのジューロの母の話し相手をして貰ったりしている。
「やあ、どうも。夜分にすいませんね、ヤバネくん。
また師範が襲われたと聞いて、詳しい事情を聞きにきましたよ……」
老家令に案内され、ゲルタとメルタのドマニカ姉妹、それに、おそらく護衛代わりについてきたのだろう、レポック・ナスラタが、室内に入ってきた。
「どうせあとで治安維持隊にも報告書を提出しなければならないわけだし、詳しいはなしを聞かせてもらえれば、こちらの取材がてら、てきとうにまとめて提出しておく、けど……。
って、あれ? 今夜はずいぶん大勢のお客さんがいらして……」
「皆さまにご紹介します」
ヤバネは、こほん、とわざとらしい咳払いをしてから、ドマニカ姉妹を紹介した。
「こちらにいらしたのが、さきほど皆様にお見せした早刷りの執筆者、ゲルタ・ドマニカとメルタ・ドマニカの姉妹になります。
われわれの魔法実験が無駄に累を及ぼすことのないよう、他の王都の民に理解を求めるためにも、彼女たちの取材に協力してくださるとありがたいです」




