第8話 逆鱗
浅い眠りからの目覚めは唐突だった。
まだ空が白みきらない時間。
コンクリートの廊下には、人の気配も音もない。
その静寂を破ったのは――
突然、天井のスピーカーから流れた電子音だった。
『――皆様、おはようございます』
無機質な声が施設全体に響く。
蒼真は一瞬息を止めた。
『現在時刻は午前六時です』
『食堂にて朝食の用意が整いました』
淡々とした声が続く。
『順次、食堂へ移動してください』
『なお、今回のお食事には生存に必要な最低限の栄養が確保されています』
『お召し上がりになるかどうかは自由ですが――』
『体力の低下は、ゲームの生存率に大きく影響します』
ザッ、とノイズ。
そして最後に一言。
『それでは、良い一日を』
スピーカーが静まり返る。
部屋には再び静寂が戻った。
蒼真は小さく息を吐く。
「……良い一日、ね」
この狂った状況下で、
そんな言葉を聞くとは思わなかった。
空腹を感じる余裕もない。
だが――
『弱った奴から死ぬ』
昨日の神崎の声が脳裏に蘇った。
蒼真は食堂へ向かうことにした。
ドアの隙間からの様子をうかがうと、
数人が廊下の突き当りを曲がっていくのが見えた。
倣って歩いて行くと、確かに社員食堂のような大部屋があった。
廊下や自室に比べてひときわ白い蛍光灯の光が、
食堂の長い金属のテーブルや床を、
明るく照らしている。
しかしそこに集められた者たちは、
誰もが無言で、飲み込みにくそうに食事を取っていた。
スプーンが皿に当たる乾いた音だけが、静かに響く。
おそらく残った人数分の食事がテーブルの上に用意されている。
桐生蒼真は、食事のトレーをひとつ取り、適当な席に着いた。
その時、いくつかの視線が蒼真へ向く。
理由は単純だった。
蒼真本人にはその自覚がほとんどないが、
実は桐生蒼真の顔立ちは、
神崎の鋭すぎる美貌とはまた違う方向性で――、
驚くほど整っていた。
すっと通った鼻筋、伏せれば影が落ちるほど長い睫毛、
薄く色づいた唇。
一瞬だけ見れば、女と見間違えるほどの顔立ちだ。
だが近くで見れば分かる。
喉仏の線や、骨格の輪郭。
それは間違いなく男のものだった。
それでも。
この場にいる男たちが思わず視線を向けてしまうのは、
仕方のないことだった。
昔から何故か周りに見られることには慣れていたし、
今はそれどころではない。
蒼真は特に気にする様子もなく、食事を始めた。
神崎の姿はない。
ここへは来ていないらしい。
気づけば背後にいるくせに、いない時は本当にいない。
(――さっさと終わらせて出よう)
食事は簡素だった。
パンと、薄いスープ。
味なんてほとんどしない。
(ひょっとして、毒入ってたりとか……。でも、
またあんなのに巻きまれちまうんなら……、
いっそ毒で死ぬ方がいいかもな)
それでも、食べないと体がもたない。
機械的にスプーンを口に運んでいる、その時だった。
「隣、いいか?」
低い声がした。
顔を上げると、男が立っていた。
短く刈り上げた髪。
筋肉質の体。
どこか荒っぽい雰囲気の男だ。
蒼真は嫌なものを感じて、
断ってそのまま席を立とうとした。
「悪いけど、」
ガタン!
言葉の途中でわざと音を立てて強引に、
男は蒼真の隣に座った。
距離が妙に近い。
(なんだよこいつ……)
男は粘っこい視線でじろじろと蒼真を見ている。
「お前、桐生だよな」
「……そうだけど」
「神崎と組んでる」
「……まあね」
男は笑った。
だがその笑みは、どこか品がない。
「いいよなぁ」
男は肘をテーブルについた。
蒼真の方へ体を寄せる。
「お姫様は、いつでも守られてるってか?」
蒼真は眉をひそめた。
「別にそんなわけじゃ――」
「嘘つけ」
男の声が少し低くなる。
「昨夜廊下で、見てた」
蒼真の背筋に冷たいものが走った。
男はさらに近づいた。
蒼真の肩に、指が触れる。
「……っ」
「なあ」
男は蒼真の耳元に顔を寄せた。
息がかかる距離。
「お前さ」
声が低く囁く。
「気に入られてるんだろ?」
蒼真は椅子を蹴って立ち上がろうとした。
だが男の手が強引に肩を掴む。
ぞっとして、蒼真は強く言った。
「離してくれ」
男はにやにやと笑った。
「そんな警戒すんなよ」
その手が、蒼真の肩から腕へ滑る。
「俺とも組もうぜ」
蒼真の胸の奥がざわつく。
この男の目は――
獲物を見る目だ。
「あんな細身の優男、いつ死ぬか分からねえだろ」
男は言った。
「だったらさ」
蒼真の腕を掴む力が強くなる。
「俺の方がいいぜ」
その瞬間だった。
ガンッ!!
突然、2人のすぐ前にあるテーブルが激しく揺れた。
金属音が響く。
周囲の者が一斉に振り向く。
蒼真も驚いて顔を上げた。
そこにいたのは――
神崎だった。
神崎の拳が、テーブルに叩きつけられていた。
金属製のテーブルが――、なんと、
拳の形にべっこりとへこんでいる。
(――――こいつの腕力どうなってんの……)
男に腕を掴まれたまま、蒼真の目が点になった。
殴ったその手には薄く血が滲んでいる。
痛がるそぶりもなく、
神崎の視線は、男に向いていた。
冷たい。
いや。
それは冷たいというより――
明確な殺意だった。
食堂の空気が一瞬で凍る。
足音が静かに響く。
そして。
蒼真の腕を掴んでいる男の手を見た。
神崎の目が細くなる。
「……その手を離せ」
低い声だった。
男は顔を青ざめさせつつも肩をいからせる。
「……っ!なんだよ、そんなキレんなって」
でも、手は離さない。
むしろ蒼真を引き寄せる。
「いた……っ」
その瞬間。
神崎の手が動いた。
ガンッ!!
男の腕を掴み、へこんだテーブルに叩きつける。
凄まじい音が響いた。
「っ!?!?」
男の顔がみにくく歪む。
神崎はそのままその腕を捻って押さえつける。
手の甲に、血管が浮いた。
骨が軋む音がする。
神崎の顔は無表情だった。
でも。
その目だけが、異常にぎらついていた。
(こいつ……怒ってる……?なんで……)
蒼真は顔を上げて呆然と神崎を見た。
「……触るな」
神崎が言う。
声は静かだった。
しかし、
誰もが凍りつくほど冷たい。
「そいつに触るな」
男が痛みに顔をしかめる。
「ぐぅ……っ!離せェ!」
神崎の指に力が入る。
ゴキっという音が鳴った
「ぎあっ……!」
「聞こえなかったか」
神崎は男の顔を見た。
睨むその目は真っ黒なくらい穴のようで、
完全に狂気じみていた。
「今度、そいつに触ったら」
一瞬、沈黙。
そして神崎は言った。
「殺す」
その言葉だけで、芯まで冷えるような冷気と、
重い沈黙が辺りに落ちた。
筋肉な刈り上げクンの名字は藤堂といいます。
どうでも良~w




