第83話 解任動議
帝国宰相来訪の翌朝、王都の新聞はさらに一段踏み込んだ見出しを打った。
『帝国宰相、自ら王国訪問』
『三日以内に回答』
そして、その下に小さく。
『均衡政策、見直し論高まる』
市場は微妙に持ち直していた。理由は単純だ。――帝国が本気で関与する。それだけで“安心感”が生まれている。それが、何よりも危険だった。
――
王宮・上級貴族会。重苦しい空気の中、グレイザック侯爵が立ち上がる。
「国家の安定が最優先である」
低く、よく通る声だった。
「現在の混乱は、均衡政策の無理が原因」
誰も即座には否定しない。半年前なら、この一文に十人が立ち上がっていた。
「帝国案を拒めば、市場はさらに崩れる」
「拒否の責任は誰が負うのか」
視線が、暗に示していた。アリシア。
「私は提案する」
侯爵は続ける。
「再編政策の一時凍結」
「帝国案受諾」
「そして財務統括責任者の交代」
静まり返る。言葉は柔らかく、名前は一度も出ていない。だが意味は明確だった。――アリシア解任。
数名の貴族が頷く。通貨暴落で資産を失った者、再編で利権を削られた者、帝国と密かに繋がる者。
「国家のためだ」
侯爵は言う。
「個人の理念ではない」
その言葉は正論の形をしている。だから厄介だった。
――
王宮。報告を受けたレオンハルトは、長く沈黙した。
「動議は」
「正式提出されれば、議会審議に入ります」
財務官の声は硬い。読み上げる紙を、机に置かないまま持っている。
「支持は」
「四割を超えました」
過半数目前だった。アリシアは静かに言う。
「当然です」
驚きはない。動議の文面よりも先に、彼女は自分でその結論に着いていた。
「通貨暴落の責任は私にあります」
レオンハルトが鋭く見た。
「お前だけではない」
「決断は私がしました」
冷静な事実だった。だが政治は事実では動かない。
「私は退いても構いません」
静かな言葉に、空気が止まる。
「退けば、帝国案は通る」
「市場は安定する」
「貴族は納得する」
セレナが思わず言った。
「それでいいのですか」
アリシアは視線を落とさない。
「国家が持つなら」
その言葉に、レオンハルトの表情が変わった。
「それは逃げだ」
声は低い。だが、この日いちばん強い言い方だった。
「均衡を掲げたのは誰だ」
「退いて帝国に委ねるのか」
一瞬、沈黙が落ちる。
「私は」
アリシアは言う。
「国家のためにいる」
「私自身のためではない」
「国家のためなら、残れ」
レオンハルトははっきりと言った。
「帝国案を拒否し、勝つ道を示せ」
重い命令だった。だが信頼でもある。
――
夜、アリシアは一人、資料を広げた。王国債。通貨流通量。帝国銀行の動き。貴族資産の流出先。
アルヴェインの顔が脳裏に浮かぶ。
『均衡は遅延死だ』
彼は正しい。均衡が遅く死ぬのなら、速く死なない方法を探せばいい。だが。
「……まだ終わっていない」
小さく呟いた。
帝国は市場を揺らした。だが帝国もまた、市場に依存している。王国市場は帝国商会にとっても利益源であり、完全撤退は長期的損失になる。そこに、隙がある。
彼女は、ある数字に目を止めた。
「……そうか」
小さな光だった。まだ仮説にすぎない。だが賭ける価値はある。
――
翌朝、貴族会は正式に解任動議を提出した。審議は明日。市場は再び揺れ、王宮は緊張に包まれる。均衡国家は、崖の縁にいる。
だがアリシアは、静かに立ち上がった。まだ負けていない。そして初めて、彼女は“攻める”側へ回る。
最初に呼び出す名を、紙の端に書く。
――エドガー・ラウル。
削られる側にいた男の名だった。
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