第7話 対処という名の迷走
王宮の会議室は、朝から騒がしかった。
重厚な机を囲む貴族たちの声は大きく、誰もが「正しいこと」を主張している。
だが、そのどれもが微妙に噛み合っていなかった。
「まずは市場の混乱を抑えるべきです」
「いや、軍への補給が優先だ」
「教会への寄付が減れば、民心が離れますぞ」
言葉だけを聞けば、もっともだ。
だが――決定的に欠けているものがある。
決める者だ。
王太子レオンハルト・アルヴェインは、席の中央で黙り込んでいた。
視線は資料の上を彷徨い、誰かと目が合うと、すぐに逸らす。
「……一つずつ、整理しよう」
そう言った声は弱く、誰かを黙らせる力を持たなかった。
改革派貴族クラウス・ヴァイツが、苛立ちを隠さず口を開く。
「殿下、整理している時間はありません。
商会が融資を止めています。このままでは――」
「だからこそ、軽率な決断はできないだろう」
守旧派の老貴族が被せる。
「前例を無視すれば、さらなる混乱を招く」
「前例、前例と……!」
声が荒くなる。
誰もが“責任を負わない正解”を探している。
それが、この場の最大の問題だった。
レオンハルトは、額に手を当てる。
――なぜ、こんなにも決められない。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは、ある女の姿だった。
断罪裁判の場で、何も言わずに立っていたアリシア。
彼女なら、どうしただろうか。
――いや。
思考を振り払う。
彼女は、もういない。
「殿下」
控えめに声をかけたのは、補佐官だった。
「とりあえず、暫定措置として……」
「暫定、か」
レオンハルトは呟く。
暫定。
それは決断を先送りにする、最も便利な言葉だ。
「……よし」
彼は顔を上げた。
「市場への直接介入は見送る。
軍への補給は、既存契約の範囲で維持。
商会には、改めて協力を要請する」
沈黙。
誰も反対しない。
だが、誰も安心もしない。
――何も変わらない決定。
それが、この会議の結論だった。
一方、王都の商会区画。
「王宮から、再度要請が来ています」
番頭の報告に、セリーヌ・アーベントは小さく息を吐いた。
「内容は?」
「“国家のために協力を”と」
「具体的な条件は?」
「……ありません」
セリーヌは、窓の外を見た。
市場は動いているようで、どこか鈍い。
「条件のない要請は、お願いとは呼ばないのよ」
彼女は静かに言う。
「不安の押し付け、ね」
番頭が口をつぐむ。
「返事は?」
「同じよ。
前例がありません、って」
その言葉が、王都の至る所で繰り返されていることを、彼女は知っている。
前例がない。
判断できない。
責任が取れない。
それらはすべて、同じ意味だ。
その頃、教会では。
「……祈りが足りないのです」
聖女エリス・ルミナリアは、集まった司祭たちにそう告げていた。
「人々の不安は、信仰が揺らいでいるから……」
司祭たちは頷く。
だが、その顔には迷いがあった。
祈りは心を救う。
だが、空になった倉庫を満たすことはできない。
王都は今、
それぞれが“自分の正義”で動き始めている。
――だが、正義同士は噛み合わない。
一日の終わり。
王太子の私室で、レオンハルトは一人、椅子に沈み込んでいた。
「……何が、間違っている」
答えは、誰も教えてくれない。
その頃、地方都市の宿。
アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、マティアスから届いた短い報告書に目を通していた。
書かれているのは、事実だけ。
判断の先送り。
暫定措置。
具体性のない要請。
彼女は、それを読み終え、紙を畳む。
「予想通り」
紅茶を一口。
「“対処”を始めた時点で、もう遅いのよ」
彼女は窓の外を見た。
王都の灯りは、ここからは見えない。
だが、その揺らぎは、確実に伝わってくる。
決められない者たちが、必死に動こうとしている。
それは前進ではない。
――ただの迷走だ。
「次は、恐怖の番ね」
アリシアは、そう静かに告げた。
王国は今、
“何もしない”という選択肢を、もう失っている。




