第59話 直接交渉
交渉は、公式の大広間ではなく、小会議室で行われた。立ち会うのは最小限。レオンハルト、アリシア、ヴァルク将軍。対面に、カイゼルと宰相ユリアン。余計な視線を排した空間で、ここで決まる。
カイゼルが先に口を開いた。
「期限だ」
淡々とした声だった。
「王国の回答を聞こう」
レオンハルトは、一瞬だけ視線を伏せ、そして上げた。
「修正案を提示する」
机上に書面が置かれる。ユリアンが手に取り、目を通す。カイゼルは書面を見ない。読む横顔のほうを観察している。
「港湾監査権は拒否」
ユリアンが読み上げる。
「鉄・穀物契約は三年」
「供給停止時の違約条項を明文化」
静かな沈黙。カイゼルが、ゆっくりと書面を受け取った。
「違約条項か」
「供給が一方的に停止された場合、
王国は北方連合との自由契約を即時発効」
レオンハルトが言う。
「帝国はそれに干渉しない」
カイゼルの視線が、わずかに動いた。
「干渉しない、と?」
「契約違反時に限る」
アリシアが、静かに補足する。目が合った。
「合理的な条項だ」
カイゼルが言う。
「合理でなければ出さない」
アリシアは即答した。部屋の空気が張り詰める。カイゼルは、椅子に深く背を預けた。
「港湾監査を拒否する理由は」
「主権」
レオンハルトが答える。
「王国の動脈は、王国が握る」
「感情的だ」
カイゼルの声は変わらない。
「合理ではない」
「合理だ」
今度は、アリシアが言う。
「港湾監査を認めれば、
王国の交渉余地が消える」
カイゼルは、目を細めた。
「余地を残すための拒否か」
「ええ」
「あなたは、依存を嫌う」
「構造的依存を」
沈黙。ユリアンが、静かに口を開いた。
「三年契約では、帝国の利益が減る」
「五年では、王国の選択肢が消える」
アリシアは、即座に返す。理と理。どちらも正しく、どちらも譲らない。
カイゼルが、ゆっくりと前に身を乗り出した。
「あなたは、国を守る」
視線が、真っ直ぐにアリシアへ向く。
「私は、国を増やす」
静かな宣言だった。
「守る者は、縮む」
「増やす者は、歪む」
アリシアは、瞬時に返した。ヴァルクが息を呑む。レオンハルトは、黙って見守っている。
「利益を最大化すれば、周囲は資源になる」
アリシアは続ける。
「帝国は、そうではないと?」
「帝国は合理だ」
カイゼルは言う。
「合理は、感情を切る」
「感情を切った国は、長く続かない」
静かな衝突だった。剣はない。だが一歩も引かない。
「あなたは、嫌われる役を選んだ」
カイゼルが言う。
「はい」
「なぜだ」
「必要だったから」
変わらない答えだった。
「王になる気はないのか」
再びその問い。レオンハルトの指が、卓の上でわずかに動く。
「王は、象徴」
アリシアは言う。
「私は、構造」
「構造が象徴になれば」
「崩れた時、国も崩れる」
即答だった。カイゼルは、ほんのわずか笑う。
「面白い」
沈黙の後、彼は書面を机に置いた。
「三年」
短く言う。
「違約条項も受け入れる」
ヴァルクの目が見開かれた。
「ただし」
当然、続きがある。
「価格は市場平均の下限ではなく、中位固定」
利益は確保する。
「そして帝国商会の常設拠点は二港」
港湾監査は拒否された。その代替として、王国内に足場を置く。取り下げたのではなく、置き換えただけだ。
レオンハルトは、静かに考える。完全ではない。だが屈してもいない。
「受ける」
彼は言った。短い沈黙のあと、カイゼルが立ち上がる。
「契約成立だ」
手が差し出される。レオンハルトが握る。握手は、固かった。その横で、カイゼルがアリシアを見る。
「美しい国だ」
低い声だった。
「だが脆い」
アリシアは、視線を逸らさない。
「脆さを知っている国は、強い」
静かな応酬だった。交渉は終わった。王国は、完全には飲まれなかった。だが完全勝利でもない。
理の帝国と、契約の王国。均衡は保たれた。だが均衡は、常に揺れる。
カイゼルは、部屋を出る前に一度だけ振り返った。
「また会おう」
敵意ではない。
約束でもない。
ただ、未来の可能性。
王国は、内側を整えた。
今、外側の試練を一つ越えた。
だがこれは始まりにすぎない。
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