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第57話 民意の揺れ

 期限まで、あと二日。王都の市場は、見た目こそ平穏だったが、空気は重い。


「また上がるらしい」

「帝国と揉めてるんだろ?」


 穀物価格は、さらに一割上昇した。暴動は起きていない。だが、店先で交わされる視線が変わっている。


 王女セレナは、民意調整局の報告を手に、王宮へ向かっていた。


「不安は確実に広がっています」


 執務室で、彼女は静かに言う。報告書は開かないまま、膝の上に伏せてあった。


「再編への不満ではありません」


「では何だ」


 レオンハルトが問う。声に、いつもの余裕がない。


「戦への恐れです」


 部屋が、一度静まった。窓の外では、衛兵の交代の足音が遠ざかっていく。


「帝国は戦争を望んでいない」


 レオンハルトが言う。


「民は、理屈ではなく空気で判断します」


 セレナは穏やかに続けた。


「穀物が上がれば、戦を想像する」


 それが現実だった。アリシアは、資料を見たまま言う。


「帝国は戦を仕掛けない」


「ですが圧力はかけている」


 セレナの目は真剣だった。兄を諫めるのではなく、局長として報告している目だ。


「民はそれを感じ取っています」


 王宮の中での議論と、街の空気は違う。同じ数字を見ても、届く場所が違う。


「協定を結べば、価格は落ち着く」


 セレナは続ける。


「短期でも、安心が必要です」


 レオンハルトは、黙った。軍は反対、財務は慎重、民は安定を望む。どの声も、それぞれの持ち場では正しい。


 アリシアが、ゆっくりと顔を上げる。


「安心は、依存と引き換えになる」


「それでも、今は安心がいる」


 セレナは即答した。


「国は、民があってこそです」


 鋭い言葉ではない。だが真実だった。アリシアは、わずかに目を細める。


「王女殿下は、帝国案を受けるべきと?」


「修正案を」


 セレナは言う。


「全面拒否は不安を増幅します」


 レオンハルトは、静かに息を吐いた。王は、軍だけを見てはいけない。財政だけでもない。民意も、同じ重さで卓に載っている。


「民は、戦を望まない」


 セレナが、もう一度言う。


「帝国との協調を、悪とは見ていません」


 その言葉は、重い。アリシアは、短く答える。


「悪ではない」


「ならば」


「だが構造が問題」


 譲らない。声を荒らげずに譲らないのが、この人のやり方だった。


「港湾監査は拒否する」


「そこは私も同意です」


 セレナは頷いた。彼女もそこだけは、最初から動かしていない。


「主権は渡さない」


 共通点はある。二人が同じ線を引いたのは、これが初めてだった。


「では残るは期間と条件」


 レオンハルトが、静かにまとめる。


 室内は、少しだけ落ち着いた。だが王宮の外では、空気がさらに揺れていた。


 ――


 酒場。


「帝国と手を結べば安定する」

「だが属国になるんじゃないか?」


 意見は割れている。それでも共通しているのは、不安だった。再編で“未来”を信じ始めた民が、今度は“外”を恐れている。


 ――


 帝国宿舎。


「民意は安定を求めています」


 ユリアンが報告する。


「当然だ」


 カイゼルは静かに答えた。驚きも、喜びもない。


「揺らせば、安定が価値になる」


「強めますか」


「やりすぎるな」


 即答だった。


「王国が北方連合へ傾く可能性がある」


 合理の均衡。押す力と、逃がす余地を同時に測っている。


「彼らは修正案を出す」


 カイゼルは、ほぼ確信している。


「そこが交渉の中心だ」


 ――


 王宮の回廊。レオンハルトは、一人で立ち止まっていた。


 軍の声。民の声。設計者の声。すべてが、正しい。


「……王は、誰の声を優先する」


 自問だった。背後から、アリシアの声が届く。


「優先しない」


 振り返る。柱の影から、彼女が歩み出てきた。


「均衡を取る」


「それが王か」


「ええ」


 彼女は静かに言う。答えを用意していたのではない。同じ問いを、彼女もどこかで抱えている。


「誰か一人を選べば、国は割れる」


 期限まで二日。民意は揺れ、軍は警戒し、帝国は待つ。


 王は、選ばなければならない。


 回廊には、二人分の足音が残っていた。


 どちらも、先に立ち去らなかった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました。


軍は反対、財務は慎重、民は安定を望む。

全員が正しくて、全員が違うことを言っています。


王がここで何を選ぶのか、見届けていただけましたら幸いです。

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