第30話 悪役令嬢の噂
噂は、いつも現実よりも速い。
南部の町が救われなかったこと。
ヴァレンシュタイン公爵令嬢が、条件を突きつけ、見捨てたこと。
そのすべてが、少しずつ形を変えながら王国中に広がっていった。
「……聞いたか」
「南部は、あの女に切られたらしい」
王都の酒場で、男たちが声を潜めて話す。
「条件を飲まなかったからだと?」
「そんなもの、飲めるわけがない」
誰かが、鼻で笑った。
「やっぱり、悪役令嬢だな」
「人の命を秤にかける女だ」
言葉は軽い。
責任を伴わないからだ。
その噂を、ミレイア・ロウは黙って聞いていた。
王都の片隅。
かつて地方行政に携わっていた彼女は、今は雑用で日銭を稼いでいる。
「……悪役令嬢」
その言葉を、ゆっくりと反芻する。
南部が切られた理由を、
彼女は頭では理解していた。
条件を飲まなかった。
責任を引き受けなかった。
――それでも。
「だからって……」
彼女は、拳を握る。
「人を、見捨てていい理由にはならない」
怒りは、純粋だった。
王都では、噂が別の形で利用され始めていた。
「ヴァレンシュタインは、危険だ」
「関われば、何を差し出させられるか分からない」
その評価は、便利だった。
彼女を避ければ、
決断を迫られずに済む。
王太子レオンハルト・アルヴェインも、その噂を耳にしていた。
「……悪役、か」
彼は、苦く笑う。
彼女が何をしているのか、
誰よりも分かっているつもりだった。
それでも、
彼女を擁護する言葉を口にすることはできない。
自分には、その資格がない。
一方、地方都市の宿。
アリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、
マティアスから噂の広がりを聞き、静かに頷いた。
「順調ね」
「……順調、ですか」
マティアスの声には、困惑が滲む。
「悪評ですよ」
「ええ」
アリシアは、あっさりと認める。
「だからいい」
彼女は、窓の外を見る。
「好かれる政治家は、
何も変えられない」
嫌われる覚悟を持つ者だけが、
切る決断を下せる。
「噂は、盾になる」
マティアスは、息を呑む。
「彼らは、私を“悪”として扱うことで、
自分たちの選択を正当化できる」
それでいい。
そうしなければ、
次の決断に進めないのだから。
「でも……」
マティアスは、言葉を探す。
「それで、救われる人は……」
「増えるわ」
アリシアは、静かに言った。
「“選ばなければ救われない”と、
全員が学ぶから」
それは、残酷な学習だ。
だが、
王都も地方も、
すでに別の道を選べなくなっている。
夜。
ミレイア・ロウは、安宿の一室で、
南部の町から流れてきた人々の話を聞いていた。
「……何も、してくれなかった」
「王都も、あの女も」
その言葉に、彼女は唇を噛む。
「違う……」
だが、その先が続かない。
説明できないからだ。
翌朝。
王都の掲示板に、落書きが増えた。
――悪役令嬢
――血も涙もない
――人殺し
誰も消さない。
誰も責任を取らない。
アリシアは、その報告を聞き、微笑みもしなかった。
「……いいわ」
ただ、そう言う。
「これで、
“条件を飲める者”だけが、
私の前に来る」
悪役令嬢の噂は、
彼女の足を引っ張るためのものではない。
――**選別のための看板**だった。
そして、その看板を見てなお、
足を運ぶ者が現れるかどうか。
それが、
この国が次へ進めるかどうかの、
分かれ目だった。
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