姫君と下僕と夜会の結末
またしても本家から呼び出しをくらった。嫌な予感しかしない。大体にして、ミゼルが隣にいない時の俺は無力で嫌なことを押しつけられそうになっても身を守る術を持たないのだ。もはや予感ではなく確信に近い推測である。
多忙な当主は出払っていて家令が待ち受けていた。
「ミゼルにしばらく夜会への出席を禁じるって、な、なんで?」
いつものように無理難題を吹っかけられると思っていたら想像をはるかに超える無茶振りに目を白黒させる。なんなの、お前、地獄を見たいの?
「俺だってどうかと思いましたよ。あの方を拘束したら敵味方問わず反発を食らいます。当主だってそれくらい分かってるはずなんですけど」
でも命令には逆らえないんで、とお手上げ状態だ。
「兄上と直接話せないか?」
「登城しないと無理っすね。名目としては、ミゼル様の夜会での行き過ぎた振る舞いを咎めるためだそうです」
相変わらず領地から姿を消すのが早い。登城したところで俺ごときのために時間を割いてくれるかも怪しい。それより名目が気になる。なんかあったっけ? 頭を巡らせるが元からあまり記憶力が良くない。罰を受けるほどの失態をミゼルが犯すか?
「心当たりある?」
「ありまくりなんですよねえ」
意味深な視線を寄越される。察しは良くないのでさっさと教えて欲しい。
最近の話だ。ミゼルは夜会で自分に嫌味を言ってきた令嬢への報復に、周りの貴族を巻きこんで家ごと排除しようと働きかけたことがある。たかが女同士の喧嘩を家の問題に発展させようとしたのがやりすぎだというのだ。
「でもそれは大した問題にならなかっただろ」
ミゼルの怒りを収めるためにキリストアがわざわざツァイト家の人間を動かしたのだ。
「確かにミゼル様は矛を収めてくれましたね。ですが周囲の目が多すぎた。悪目立ちしすぎたんです」
「だとしても、先に喧嘩売ってきたのはあっちだろ?」
なんだか腑に落ちない内容だ。
「うちの当主の考えでは、夜会の主催者であるツァイト家が売られた喧嘩を軽がるしく買ったのが駄目みたいです」
「はああ!? あちこちで喧嘩の売り買いしまくってる兄上に言われたくないんだけど!?」
食い気味に身を乗り出すとカーシェンはすました顔でその主張を受け入れる。
「今ここで当主の人格を議論しても不毛なんでやめましょう。あの方は、ああいう方なんで」
「で、謹慎しろって? 嫌だ。ミゼルに伝えたくない」
自分が納得してないのに彼女を説得出来るわけがない。
「お願いしますよ」
「お前さあ、どんだけ不条理なこと言ってるか分かってんの?」
「なんとかしないと、うちの当主、直接ミゼル様を呼びつけますよ。あの二人を引き合わせたらヤバいの分かるでしょ」
「直接戦ってもらった方が良くない? ここまできたら」
「笑えない冗談やめてくれませんかね!」
下手したらラオフ領とノエンナ領の喧嘩に発展しますよと脅されると流石にぞっとする。本来ならそこまで愚かじゃないだろと笑い飛ばす話なのに、あの二人なら、「ラオフ領(ノエンナ領)の力なんてなくてもどうにでもなる」とか言い出しかねないからだ。振り回される領民をもっと思いやってあげて欲しい。
「……じゃあミゼルを連れてくるからお前が言え」
「無理っす」
無言の攻防が続いた。つくづく思う。カーシェンはもちろん俺も割と(都合の良い時だけとはいえ)平民目線だ。兄上やミゼルと比べたらよっぽど情があって、だから互いにこの問題を投げ捨てることが出来ない。俺たちだって誰かに思いやられたいんですけど。
深呼吸を繰り返し、ミゼルの部屋の前を行ったり来たりすること数十分、偶然中から出てきた使用人に怪訝な顔をされてミゼルの前まで連行される。
「大事な話があるんだ」
「でしょうね」
俺が本家に呼び出される度に問題を持ち帰ってくるものだから、反応はもはや淡白だった。
「……君にとってはすごく嫌な話だと思う」
「もったいぶらなくて良いから」
往生際悪くもごもごしていると早く話せと催促される。
「お腹空かない? 先にご飯でも」
「また同じこと言わせたいの?」
心臓をきゅっと絞られる。寿命を縮める前に腹を括るしかない。
ひと通り話し終えるとミゼルは意外にも激昂するでもなく、愛用の扇を広げて考えこむ。本心や感情を隠したい時に彼女が良くする仕草だ。隠すまでもない相手と認識してるはずの俺に対してするのは珍しい。やがて、ぽつりと呟いた。
「……なるほどねえ」
怖ぁ。
当たり散らされるのを覚悟していただけに軽く混乱する。え、アウトでしょ? アウトじゃないの? どっち?? いや、アウトでしょ?
「期間はどのくらい?」
「え……っと。しばらくとしか」
夜会を禁じられるなんて、彼女にとっては翼をもぎ取られるようなものだ。しかし扇を閉じた向こう側にはいつもの愛らしい笑顔があった。
「そ。じゃ、“しばらく”ね」
「いいの!?」
ミゼルが兄上の命令に素直に従うこと自体、今までなら有り得ない出来事だった。しかも夜会における彼女の価値を考えたら第三者から見ても不当な要求。異議を申し立てれば今回ばかりはツァイト家の人間でも彼女に加勢するはずだ。
「どうせ長くは続かないわよ。それに悪い話でもないから」
「大人しく従ったら自分が悪かったって認めるようなもんだよ!? それを悪い話じゃないだなんて!」
「ダスト様ったら。ふふ。私に言うこと聞かせたいの、聞かせたくないの、どっち?」
不意に甘ったるい声で囁かれてどぎまぎする。挑発的な瞳、なめらかな曲線を描く腰つき。いつも彼女は俺の理性を狂わせる。
「テーゼ様はハスニカ家が同盟を結ぶに相応しいと決めた相手ですもの、馬鹿じゃないわよ。私を閉じこめたらどうなるかくらい分かってる。それでもそうせざるを得ないなら建前上どんな名目をあげつらっても、私の動きを封じる理由は大きく分けて二つあるわ。ハスニカ家がツァイト家を上回る力を持ってしまうこと、もう一つはツァイト家の女主人である正夫人が私の影響力の陰に隠れてしまうこと」
いきなり話が壮大になった。狂いかけた理性を正されて、理解が追いつかない俺を置き去りにしてミゼルは続ける。
「実はね、そうなると私にとっても都合が悪いの。ツァイト家が矢面に立って憎悪も嫉妬も浴びてくれるから、キリアが人格者として慕われてハスニカ家の重要度が上がる。あの夜は冷静さを欠いたって反省してるのよ? 私が力を見せつけてしまうとあの子の邪魔になってしまうもの。横暴な命令も“あの”テーゼ様が下されたならちっとも不自然じゃないし、ハスニカ家はツァイト家に逆らえないことも同時に演出が出来る。合理的でしょ」
「そりゃ兄上に思惑があっても不思議じゃないけど、君が思っているのとは違う考えかもしれないよ?」
俺はツァイト家とハスニカ家の力関係がどうあるべきかなんて考えたこともなかったし、ミゼルの言ってることが正しいかどうかの判断も出来ない。でも兄上は違う。昔から考えを明かさない人だから深慮遠謀があったとしても、どう転がるかはその時にならないと誰にも分からないのだ。
「その時はまた考えるわ。言ったでしょ? 私にとって悪い話じゃないのよ」
せいぜい利用させてもらうわね、なんて可愛い顔でえぐいことを言う。いつもなら絶対に怒り出すような話なのに、自分が悪役にされることなんて気にもかけていなかった。
ミゼルに喧嘩を売った令嬢も自分の行為がまさかこんな風に利用されるなんて思いも寄らないだろうし、永遠に気づかないかもしれない。勘違いして再び増長しないことを祈るばかりだ。ミゼルの怒りに触れる前に、彼女に力を使わせないために、まず間違いなく誰かが手を汚す。
……怖い話は考えないことにしよう。
「話は終わり? 今日は外出なさるんでしょ。私も午後からセフィと約束があるから。あの子たちにも説明しておかないとね」
本家から呼び出された時点で予定は中止だと諦めていたので言われて思い出す。着替えたいからと背中を押され部屋を出ようとして、ふと気になったことを聞いてみる。
「あのさ、どうして俺と結婚したの?」
背中に触れる彼女の手がぴくりと反応した。
「対等になる必要がないんなら、ツァイト家よりレフガルト家の方が上だし、君ならシルファニー家みたいな大貴族を選ぶことだって出来たよね」
俺は俺なりに、ハスニカ家がツァイト家を選んだのは対等な協力者を得たいからなのだと思っていた。力の差がありすぎたらそれは叶わないが、彼女はツァイト家の窮地を救ってしっかり恩を売ってから結婚の話を有利に進めていた。
「ダスト様は後悔なさってるの? 私と結婚したこと」
返ってきたのは質問に対する答えではなく、想定外の問いかけだった。
「してないよ、そんなの……!」
するわけがない。どうしてそんなことを聞かれるのか分からない。
「良かった」
良かった、ってどういうこと?
後悔するのは君の方じゃないのか。俺みたいな地位も権力もない男は役に立つどころか足枷にしかならないのに。
「ミゼルはどう思っ」
彼女の瞳が視界を奪い、その唇で言葉を奪った。
「……そうね。本当は利用してから裏切るつもりだったの、なんてね」
冗談だか本気だか分からない態度で惑わせて、本心を教えてはくれない。後悔してるのか、してないのかさえも。
俺を部屋から追い出して扉を閉じる際にミゼルは微笑む。
「私は私のことを一番大切にしてくれる人の側にいたいだけよ。地位や権力を守らなければいけない男にはそれが出来ないから」
ちっとも合理的じゃないし君らしくもないけれど、俺を喜ばせることにかけては天才的な回答だなと思った。
【終】




