第6話 藤牙父娘の日常、周りの人々の非日常
綾瀬駅から徒歩五分くらいのところに、個人経営の小さな美容室がある。白を基調にしてあえて木目調のペイントを施した外観で、中に入ると店内もやはり真っ白な壁に木製の床で構成されている。清潔感があっておしゃれだ。
ここの店主は若くて陽気な青年だ。長く伸ばしてパーマをかけた髪をひとつにくくり、ブルーのダメージジーンズにグレーのシンプルなシャツを合わせていたが、スタイルがいいので妙にかっこよく見える。
彼は祥子の前髪を切り揃えながらげらげら笑った。
「いやー、この顔はひとを狂わせるでしょ。ひとを、つうか、人間じゃないものもさ。こんな美少女、生霊ホイホイっすよ」
特に髪をいじってもらうわけでもないのに隣の席に座っている晃が、雑誌を表示しているタブレットをいじりながら「だよなあ」と顔をしかめた。
この美容師の青年は、名前を山岸大翔というらしい。美容院を求めて放浪していた晃がようやく出会った美容師である。
晃はひとに職業を聞かれるのが嫌いだ。日常生活についても、美容師にあれこれ聞かれるのが本当に嫌だったらしい。けれど彼は自分のしゃれた外見に強いこだわりを持っているので、それなりのサロンで手入れしてもらわないと我慢できない。
そうして五年ほどかけて見つけ出したのが、この山岸青年である。
実は、この山岸氏も霊感が強いそうだ。悪霊を見たり、強いパワーを持つ生き物ではないものを感じたりするようなのだ。五年前、晃が入店してすぐ晃がとても強い能力者であることを察して、「お客さん、ヤバいもの見えるタイプの人間でしょ」と話し掛けてきた。晃はその一言で彼が美容師を続ける限りこの店に通うことに決めた。
今日は偶然夕方の予約が入っていなかったそうで、カットを受け付ける最終時刻に祥子を受け入れてくれた。山岸いわく、「こういう偶然って結構あるんすよね」とのことである。
「学校はね、人間が多いですからね、ヤバいのが紛れ込んだりするんですよね。ましてや十代の不安定なメンタルの人間なんて、悪いものからしたらやりたい放題じゃないすか」
山岸は晃とまったく同じことを言った。祥子は彼の力が本物であることを確信した。
霊能力者は意外とそのへんにいるものだ。山岸は日本陽キャ代表みたいな男だが、ピンポイントに超常現象の話をする。といっても妖魔を祓う能力ではないらしく、あくまで見えるだけなので、対魔協に勧誘することはできない、とは晃の談だ。
「それにしても、可愛いな、祥子ちゃん。話には聞いてたけど、これはまた……ていうか顔もオーラもマジ父親似じゃないすか、単為生殖っすか?」
「え、そう? 顔はともかく、オーラは母親に似てると思ってたけど」
「それは惚れた男のひいき目っすよ、男親は娘に愛妻の面影を見出そうとするもんなんすよ」
まだ三十歳らしいが、この世の真理みたいなことを語る男である。一日中客としゃべっている美容師という職業の連中はみんなこんな感じなのだろうか。
「マジでヤバいよなあ」
晃の声に疲れがにじんでいる。
「このままじゃ怖くて学校通わせられない。でも休ませて勉強が遅れたり友達関係が気まずくなったりするのも嫌だし。どうしたらいいんだ」
祥子はしょんぼりした。自分が後先考えずに封印を解いてしまったせいで、晃の悩みを増やしている。今回の事件で自分が本当に危ないことをしでかしたことを痛感したので、口答えはできない。
「オーラを抑えたりする霊能力者みたいなのいないんすか?」
「探してるんだけどなかなか……。職場の骨髄バンクみたいなやつで条件に合う人を探してもらってるんだけど、病気じゃないんだから条件全部に適合する必要ないんだし、何か妥協しなきゃだめかも」
「そんなものあるんすか。全国の霊能力者が登録してるんすか?」
「関係者はな。任意だから漏れはあると思うし、職場が把握してない能力者だってごまんといるから完全じゃない。かといって、関係者じゃない人間に一から俺がいつどこで誰と子供を作ってどうやって育てたのか説明するの、ダルすぎる」
「わかる。オレと晃さんが五年間毎月一時間おしゃべりして築き上げてきたものを数分で理解できる人間そういないと思うし」
「妥協、妥協、妥協……」
山岸は前髪だけでなく、後ろ髪もカットしてくれた。といってもばっさり切り落としたわけではなく、傷みぎみだった毛先と重たかった内側の一部を取り除いて揃えてくれた程度である。しかしそれだけでもちょっぴり垢抜けたような気もする。
改めて眼鏡をかけて鏡に映る自分を見て、祥子は溜息をついた。眉上二センチほどしかない極端に短い前髪、顎と肩の中間くらいで揃えたサイド、背中を覆うほど極端に長い後ろ髪の姫カットである。ラノベのヒロインみたいだ。
「明日からモテモテ」
満足げに頷く山岸に、晃が「やめてくれ」と言った。
「マジすごくないすか、可憐って。どんな鋼メンタルなら父親の前でそんなこと言えるのかって感じ。そもそも可憐とか普段使わない語彙じゃないすか。オレの中で流行りそう。祥子ちゃんは、可憐」
「あまりにもツボすぎて俺の中でも流行りそうだけど、あんまり認めたくない……」
「わたしも流行ってほしくない……」
クロスをはずすと、切った黒髪がはらはらと床に落ちた。
「明日からどんな顔で学校に行けばいいんだろう。恥ずかしすぎるよ。宮前さんとも同じクラスだから絶対会わなきゃいけないし。小宮山くんも。関係者みんなクラスメートなんて、最悪だよ」
「ごめんな、祥子。お父さんの娘に生まれたばっかりに……」
「こんなに顔を出して学校に行ったら、また髪の毛切られちゃう……」
山岸が「美人も大変だね」と他人事のように言った。
「やっぱりしばらく休む? お父さんとしてはそれも悪くないと思うよ。むしろ、心配だから、自宅か対魔協のオフィスにいてくれたら助かる。自宅はさ、ほら、対魔協の持ち物だから住民ほぼ全員関係者で安心」
特に隣の部屋の透視能力がある主婦と一階に住む巫女経験者のおばあさんは祥子を可愛がってくれている。
「でも、それもなあ。宮前さん、かえって気にしないかな……」
彼女の感情が暴走したきっかけは、妖魔に取りつかれたことだ。その妖魔について把握しているのは祥子と古春だけである。しかし髪を切られた被害者も祥子だ。友達が突然髪を切られたとなれば古春もあまりいい気はしていないだろう。
そもそも、妖魔につけ入る隙を与えたのも、恵茉が祥子への恋情をこじらせたことが原因だった。恵茉が蓮に嫉妬することがなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。
「お父さん、昔登場人物全員男の刃傷沙汰があったって言ってた?」
「歴史は繰り返されるな……」
肩を落とした祥子を気遣いつつ、晃がカット代を山岸に支払った。レジカウンターの向こう側の山岸が「祥子ちゃん、元気出して」と太陽のような顔で微笑む。
こうして、祥子と晃はようやく帰路についたのだった。夏も近づいてきて日没はだいぶ遅くなったが、今日はもうとっぷり日が暮れていた。
翌日学校に行ったところ、教室に恵茉の姿はなかった。どうやら欠席らしい。昨日の事件のせいでショックを受けたのではないか、と思うが、加害者の恵茉がショックで休んで被害者の祥子が昨日よりしゃれた姿かたちで登校しているというのは、同級生たちの妄想を掻き立てるところになってしまった。
昼休み、恵茉が職員室に姿を見せた、という噂が流れた。退学届を提出しに来たらしい。今度こそショックで立ち直れなくなった祥子は、五時間目で早退した。




