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祥子とパパ  作者: 日崎アユム
第5章 みんなわたしの顔が好き

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第5話 周りの人と違うということ

 蓮と恵茉はにらみ合っており、恵茉に取りついている妖魔は二人の足元を真っ黒にするほど増えている。この状況を打開するためには妖魔が祓える晃に来てもらうしかないが、晃は祥子たちがどこにいるのか知らない。一応保護者で、担任も養護教諭も一部事務員も晃の顔を知っているので不審者として通報されることはないだろうが、何の用事かと問われて引き止められた時どう対応するのか。娘が妖魔を見て助けを求めている、というのは怪しすぎる。


 蓮とその母親が藤牙家を訪ねてきた時を思い出した。

 蓮の母親はグローバルな大企業に勤めていて、誰に名乗っても恥ずかしくない肩書を持っている。立ち居振る舞いから優秀な営業パーソンなのも伝わってきた。

 一方晃はあの時連の母親に自分の職業について説明できなかった。


 祥子の人生はそんなことばかりだった。

 三十二歳の晃の人生は、十六歳の祥子の人生よりもっとそんなことが続いているのだろう。


 普通の人に生まれたかった。


 けれど、普通の人に生まれていたら、恵茉の異常に気づかなかった。


 恵茉を救えるのは、藤牙家の自分たちだけなのだ。


 ちらちらと彼女たちの様子を窺いながら、晃にメッセージを送信しようとした。


 ちょうどその時、廊下からばたばたと走ってくる足音が聞こえてきた。


「こっちです!」


 そう叫ぶ声は聞き慣れた古春のものである。


「OK、ありがとう!」


 そして、応じる声もまた、祥子にとっては聞き慣れた父親の声だった。


 準備室のドアは開け放たれていた。サッカー部の男子たちは閉めなかったらしい。

 そこから、晃と古春が顔を出した。

 晃は仕事着なのだろうか、黒いチノパンに黒いTシャツを着ている。古春は先ほど別れた時のそのままだ。


 突然現れた二人に、その場にいた一同が驚いた顔を向けた。


「ちょっとごめんね、ちょっと見せてもらうからね」


 一同の間を掻き分けて、晃が準備室の中に入ってくる。


 彼は一瞬立ち止まって足元を見た。そこには小さな妖魔たちが大群でうごめいている。妖魔たちは予想外の展開に悲鳴を上げて晃から離れようとした。それを晃が踏み潰す。妖魔たちが断末魔の声を出しながら消滅する。そんな物理攻撃が効くのか、と祥子は驚いた。


「これはまた……」


 晃が恵茉と蓮の間に立ち、恵茉のほうを向いた。


「なに? ていうか、あんた誰」


 噛みつくような恵茉の態度にも何のその、晃は彼女の顔のほうに手の平を向けた。


 晃の手の平が青白く光った。


 直後、恵茉の口から巨大な蟻型の妖魔が出てきた。こいつが親玉か。


 巨大な、といっても人間の口を裂かずに出てこられる程度の大きさだ。晃の手の平ならば収まる。その妖魔は晃の手の平に引き寄せられた。


 晃はそれを握り潰した。


『ビエッ』


 黒い液体が飛び散った。


 途端、周りにいた小さな妖魔たちも消滅した。


『アアー』


 まばたきをして目を開けた時には、何もかもが元どおりの、静かな家庭科準備室があった。右隣からは小麦粉のいい匂いがする。左隣は静かになった。ドアから覗き込んでいる女子生徒が増えていることから察するに、怒鳴り声を聞いた手芸部員たちは野次馬に来たのだろう。


 恵茉がぱちぱちと長い睫毛を重ね合わせた。


「……なに、これ」


 震える声で呟く。


「え……なんで? あたし、何やってんの?」


 憑依していた妖魔が祓われたことにより、正気を取り戻したのだ。


 祥子は脱力した。これで恵茉はもとの快活なスポーツ少女に戻れる。


 そう思ったのは妖魔が見えていた祥子だけだ。


 サッカー部の男子たちが、「なんだよそれ」「とぼけるんじゃねえよ」と荒々しい声を出した。


 蓮は冷ややかな目をしていた。


「他人事みたいなリアクションするなよ。藤牙さんに謝れよ」


 晃の目がこちらを向いた。祥子と目が合った。祥子の前髪が無残に散ったことに気づいたらしく、ショックそうな顔をする。


「この子に切られちゃったの?」


 祥子はこくりと頷いた。晃が溜息をついた。


「悪いことを考えると悪いものが寄ってくるからな。つけ込む隙があったんでしょう」


 周りの一般人たちには理解できないようにぼやかしているが、この場合つけ込む隙を見つけてつけ込んできたのは、先ほどの妖魔が、恵茉に、だろう。しかし妖魔を主語にして話すと自分たち親子は変人確定である。


「何か揉めたの?」

「そんなことない、つもりだったんだけど……」


 恵茉のほうをちらりと見た。

 今度は恵茉と目が合った。


 恵茉の顔色が変わった。さあっと血の気が引いて、真っ青になった。自分の口元に手を当てて、肩を震わせ始める。


「あたし、どうしてこんなこと」


 晃が苦笑した。


「どうしてこんなこと、しちゃったのかなあ?」


 晃の恵茉に対するその話し掛け方はまるで保育士だ。この人も子供を育ててきたのだというのを感じる。


「……あたし、そんなつもりじゃなくて」


 恵茉の瞳が涙で潤んでいく。


「ただ、藤牙さんの顔が見たくて。藤牙さん、本当に綺麗だから……もっと見ていたくて」


 透明な雫が、ぽたりと頬に伝った。


「藤牙さんが好きで……それだけなんです」


 両手で顔を覆って、「ごめんなさい」と言った。小さな声だったが、確かに聞こえてきた。


「どうする? 祥子」


 晃に問われて、祥子は悩んだ。しくしくと泣く恵茉の肩を見る。どちらが被害者かわかったものではない。


 祥子の髪はいずれ伸びるだろう。切られたのは五、六センチだ。二ヵ月もあれば元に戻る。怪我をしたところもない。恵茉が本意ではなかったのもわかっている。彼女に理性を失わせた妖魔の存在を、祥子は知っている。


 けれど、恵茉はもう元に戻れないだろう。同級生の髪を勝手に切った危ない女のレッテルを貼られ、大勢の人間に不本意な形で同性愛者であることが知れ渡った。それはもう取り返しのつかないことだった。


「もういいよ。わたし、もう家に帰る。帰ろ」


 椅子から立ち上がって、晃にそう言った。晃はほんのり微笑んで、「わかった」と言った。


「一回先生にご挨拶してからな。俺が不審者になってしまうので」

「それはもう、もちろん」


 周りを囲んでいたサッカー部の少年たちに軽く会釈をして、晃と二人で歩き出した。周りは何も言わずに、藤牙親子の挙動を見つめていた。


 二人が完全に廊下に出たところで、背後から大きな声が聞こえてきた。


「藤牙さん!」


 振り向くと、蓮が準備室の前に立って、切ない顔をしていた。


「俺、藤牙さんの顔が好きなわけじゃないから。いや、綺麗だなとは思ってるけど、それだけじゃないから」


 胸が、ぎゅっと、締めつけられる。


「休み時間に本を読んでいる時の静かな感じとか。ふと本から目を上げて窓の外を見る時の無防備な感じとか。そういうの、か……、可憐だと思ってるから」


 祥子は顔が真っ赤になるのを感じた。恥ずかしくなってしまったのだ。晃のTシャツの裾をつまんで「もう行こう」と促した。晃が「え、いいの?」と呟く。みんなを無視して前を向く。


「祥子、ちょっと待って」


 晃が一歩準備室のほうに戻った。引っ張られる形になって、祥子もふたたび準備室のほうを見た。


 サッカー部の男子たちが群れて何かをしゃべっている、その輪からはずれたところに、古春が突っ立っていた。


「古春ちゃん、ちょっと」


 晃が古春を手招く。古春が、おそるおそる、という副詞が似合う足取りで近づいてきた。


「古春ちゃんにも、あの黒くて悪いものが見えてたんだよな」


 古春は少しためらった様子を見せたが、ややあって、頷いた。

 祥子は目を丸くした。


「だから、俺が近づいてきたのもわかったし、祥子やあの取りつかれていた子がどこにいるのかもわかったんだよな」


 彼女が晃をここまで案内したのだ、ということに、祥子はようやく気がついた。そうすればすべてつじつまが合う。


 どうして今まで気づかなかったのだろう。


 古春も、能力者だったのだ。


「すぐわかりました」


 古春が、ぽつりぽつりと、説明を始める。


「誰にも言えなくて。でも、すごく大きな何かが学校に近づいてきたのはわかったから。あ、祥子のお父さんだ、ってすぐ気づいたんです。祥子のお父さんを祥子がいるところに案内すれば、なんとかなるかも、って、思って……」


 しどろもどろの彼女に、晃が微笑みかけた。


「今までつらかったよな」


 古春の目にも、涙が浮かんだ。


「そうだよな、誰にも言えなかったよな。変なものを見たり、聞いたり、感じたり。他の人にはない力なんだと思ったら、怖かったよな」


 彼女が頷いた拍子に、涙がぽつりと落ちた。


「つらくなったらまたうちに遊びにおいで。俺でよかったら話を聞くし、感じなくなる方法や、逆に感じていても切り抜けられる方法を、一緒に探してやれるから」

「はい……」

「今までお疲れ様。もう大丈夫だから」

「はい」

「今日は本当にありがとう。お礼にケーキ焼くから、またうちにおいで」


 祥子は複雑な思いだ。


 晃はあくまで自分の霊感の強さに悩む娘の友達を励ましているだけのつもりなのだろうが、晃のビジュアルで、優しい声、優しい台詞、優しい表情をすると、年頃の女の子はどうなってしまうのか、祥子はなんとなく想像がついていた。


 世界の色が変わったのでないかというぐらい光り輝く目をした古春に、晃が「またね」と手を振って歩き出した。祥子は溜息をつきながら階段をおりた。




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