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「……!」
ビシッとフィオナが固まる。
まさか名前を聞かれるとは思わず、すぐに言葉を返すことができなかった。
しかし、ここで素直に「エリオットです」と答えたら、不審に思われる可能性が出てくるし、適当に偽名でも名乗ってやり過ごすほうがいいだろうか。
色々と頭の中でぐるぐると考えて沈黙していると、ふっとグレンが笑った。
視界いっぱいに広がったその笑顔に、フィオナが大きく目を見開いた。
——わ、笑った……!
この人が笑うところなんて初めて見た。
びっくりしている間に、グレンはフィオナがかぶっているウィッグの髪を一房手に取り、素然な動作で口づける。
「美しい人。どうか、この俺に美しいあなたの名前を教えてはもらえませんか?」
「————ッ!」
こんなことを言う人だとはまったく思っていなかったので、フィオナは驚きで息を呑む。
美しいと言われた経験もなく、恥ずかしくなって心臓が大きく高鳴り、顔が赤くなってしまうのを止められない。真正面からグレンの整った顔に見つめられ、目を合わせることができずにつっと逸らす。
それを拒否だと受け取ったのだろうか。少しだけグレンが悲しそうな顔をした。
そういうわけじゃないのに……!
本当に、この状況をどうすればいいのかがわからない。頭の中が軽いパニックだ。
そんなフィオナの状況も知らずに、紅蓮は言葉を重ねた。
「あなたの名前を知りたいのです。どうか、この哀れな俺にあなたの名前をお聞かせください」
にこり、と再び笑う。その笑みは、甘さを含んでいるように見えた。
笑うとこんなに魅力的な男性になるのだ。どうしてこの人は普段から笑わないのだろう。もったいない。そんなことを思ってしまった。
けれど、これは名前を教えるまで解放してくれない雰囲気だ。
グレンが笑ったという驚くべき現実と、この姿を見られて正体がバレるのではないかという不安で、頭がごちゃ混ぜになっていたフィオナは————
「……フィオナ」
と、素直に自分の名前を口にしてしまう。
グレンは再びとろけるような笑みを浮かべて、「フィオナですね? 見た目どおり、美しい名前です」と言ってくる。
それでやっとフィオナは自分が本当の名前を口にしてしまったことに気づいて、口を右手で押さえる。
——しまった……!
偽名でもなんでも言えばよかったのに、混乱しているせいで普通に本名を告げてしまった。
大きく目を見開いてグレンを見ると、彼の大きな手がフィオナの顔に向かって伸ばされているところだった。
近づいてくる手に、びくりと肩を震わせる。
それを見たグレンが近づけていた手を止めた。
しかし、すぐにフィオナの手を取り、手の甲に軽くキスをする。
「もう少し、俺と話をしてもらえませんか?」
いつも聞かないような、甘い空気を含んだ声。
ダメだ。
これ以上は耐えられない。
そう思ったフィオナは、バッとグレンの手から逃れるように後ろへ身を引いた。
「ごめんなさい!」
そのまま身体を反転させ、廊下を走り出す。背後から「お待ちください」とグレンが言っているのが聞こえたが、足を止めることなく走り続けた。
ばたん、と着替えに使っていた部屋に入り、扉に背中を預けて大きく息を吐く。
「どうしよう……」
もしかしたら、気づかれたかもしれない。
そしたら今までやってきたことが、全部水の泡になってしまう。
いつも首から下げているロケットの中の家族写真を見つめ、それを両手で包むように握り締めて胸元に持っていく。
「大丈夫だよ、エリオット。お姉ちゃんが絶対に守ってあげるから」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、フィオナは自分の両頬を軽く叩く。
大丈夫。団長の反応を見る限り、バレている様子はなかった。だから大丈夫。このまま何食わぬ顔で過ごせば、絶対にバレることはない。
その時、午後の訓練が近づいている鐘が鳴り、フィオナは慌てて着替えに取りかかった。




