あの夜の続き
夜は、静かだった。
城の中庭は人の気配も少なく、風の音だけがゆっくりと流れている。
リゼはひとり、石のベンチに腰を下ろしていた。
(……落ち着かない)
手を見つめる。
昼間、繋がれていた感触が、まだ残っている気がした。
あの言葉も。
あの距離も。
全部、はっきりと思い出せる。
(……“俺のものだ”って)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
嬉しい。
でも、それだけじゃない。
どうしても、意識してしまう。
関係が変わったことを。
「……ここにいたか」
「っ……!」
低い声に、びくっと肩が揺れる。
振り返ると、そこにはノクスが立っていた。
「ノクス様……」
「探した」
短い一言。
それだけなのに、胸が跳ねる。
(……探してくれた)
それが、こんなにも嬉しいなんて。
「どうした」
近づいてくる。
自然な足取りで。
迷いなく。
「えっと……」
言葉に詰まる。
本当は、ただ。
(……会いたかった)
それだけなのに。
うまく言えない。
「……顔に出ている」
ぽつりと言われる。
「え……」
「考えていることがあるときの顔だ」
いつもの指摘。
でも、少しだけやわらかい。
「……何を考えていた」
問いかけられる。
逃げられない。
でも。
(……もう、隠したくない)
そう思った。
「……ノクス様のこと、です」
小さく答える。
ノクスの視線が、少しだけ深くなる。
「この前のお昼に言ってくれた……」
そこまで言って、少しだけ迷う。
でも。
「……っ」
顔が熱くなる。
それでも、目を逸らさない。
「ノクス様のものになった実感がほしくてっ」
沈黙が落ちる。
風の音だけが響く。
その中で。
ノクスが、一歩近づいた。
距離が、なくなる。
「……もう少し待とうと思ってたんだがな」
低い声。
でも、それだけでは終わらない。
「他のやつに触れさせるつもりはない」
はっきりとした言葉。
迷いがない。
隠していない。
「お前は――」
ほんの一瞬、間があって。
でも、今度は止まらない。
「俺のものだ」
昼間と同じ言葉。
でも。
今は、全然違う。
逃げ場のない距離で。
まっすぐに、言われる。
胸の奥が、大きく揺れる。
「……はい」
自然に、声が出た。
拒否じゃない。
否定でもない。
受け入れる声。
その瞬間。
ノクスの手が、そっと頬に触れた。
「っ……」
息が止まる。
指先が、やわらかくなぞる。
前よりも、はっきりと。
確かめるみたいに。
「……逃げるな」
低く、ささやく。
前にも言われた言葉。
でも、今は意味が違う。
「……逃げません」
小さく答える。
自分でも驚くくらい、迷いはなかった。
その言葉を聞いた瞬間。
ノクスの指が、ほんのわずかに強くなる。
そして。
距離が、さらに縮まる。
息がかかるほど近い。
視線が、落ちる。
唇へ。
(……今度は)
わかる。
止まらない。
逃げない。
逃げたくない。
ゆっくりと、目を閉じる。
次の瞬間――
やわらかい感触が、触れた。
「……っ」
一瞬。
ほんの一瞬だけの接触。
でも。
確かに、重なった。
離れる。
わずかな距離。
息が触れる。
心臓が、うるさい。
「……リゼ」
名前を呼ばれる。
声が、少しだけ低い。
少しだけ、近い。
もう一度。
今度は、迷いなく。
再び唇が重なる。
さっきよりも、少し長く。
少しだけ深く。
指先が、頬から後ろへ回る。
逃がさないように。
でも、強すぎない。
やさしく。
ゆっくりと離れる。
呼吸が乱れる。
うまく息ができない。
「……伝わったか」
低く、問われる。
でも、それは確認じゃない。
答えは、もう決まっているみたいに。
「……はい」
小さく頷く。
顔が熱い。
でも、視線は逸らさない。
そのとき。
ノクスの指が、再び頬に触れた。
今度は、軽く。
「……もう、隠さない」
ぽつりと落ちる言葉。
それは宣言みたいに。
静かで、でも確かな強さを持っていた。
その意味が、胸に広がる。
(……これからは)
もう、曖昧じゃない。
もう、迷わない。
この距離も。
この関係も。
すべてが――
はっきりと、形になっていた。




