エピソード12
学園祭当日
「準備できた?」
「うん、こっちは完了!」
朝の空気は、ほんの少しだけ甘かった。いつもより軽く感じる靴音――今日は年に一度の学園祭、その初日。
教室の飾り付けは完璧、衣装も揃っている。あとは客を迎えるだけ。
「いらっしゃいませーっ!」
その第一声と同時に、教室の前で突如悲鳴が上がった。
「きゃあああっ……!」
「……うそでしょ……」
「もう無理……尊い……」
女子生徒たちがバタバタと倒れていく。その先に立っていたのは――
「……澪、何それ」
呆然と呟いた朱莉の視線の先には、銀髪を低く結い、黒の執事服を見事に着こなした澪の姿があった。
凛とした青い瞳。右耳には、艶やかな蒼のピアスが揺れている。
その中性的な容貌と衣装の相乗効果は、もはや犯罪級だった。
「具合悪いの?」
澪が手を差し伸べると、それだけで再び女子たちは崩れ落ちた。
朱莉は思わず目を背ける。
「……もう一周まわってホラーなんだけど」
シフトを終えた澪と朱莉は、宣伝も兼ねて屋台巡りへ。イカ焼き、焼きそば、かき氷にチュロス。どこも大盛況だ。
「ふぅ……食べすぎた……」
寮に戻った朱莉は、ベッドに倒れ込みお腹をさすった。
「そう? まだ余裕あるけど」
澪は相変わらず無表情で、チュロスをもう一本かじっている。
「それ、どこに入ってんのよ……化け物め……」
「でも、美味しかった」
その何気ない一言に、朱莉は不意に笑った。
澪が「美味しい」と言ったのは――たぶん、初めてだったから。
2日目は予想以上の盛況で、クラスの店は予定より早く完売。午後からは自由時間となった。
「もう売り切れたのか、早いな」
現れたのは翔教官。私服姿は思いのほか砕けて見える。
「先生! そうなんですよ、俺たちめっちゃ頑張ったんで!」
「それはよかった。……ところで、澪を見なかったか?」
「澪ちゃんなら朱莉ちゃんと、お化け屋敷のほうに行ったよ!」
「助かった。ありがとう」
「……今の先生、ちょっとカッコよくなかった?」
「えっ、惚れた?」
「惚れてないっ!」
教室の奥で、華那が耳まで真っ赤になっていた。
「澪、話がある」
翔は澪を人気のない場所へ連れていった。保健室裏の、使われなくなった資料室。ドアを閉めると、空気がひんやりと変わった。
「朱莉に、最近異常はないか?」
「……ありません。少なくとも、私の知る限りでは」
翔は腕を組み、しばし考えるように黙った。
「……朱莉は感情の波で暴走した前歴がある。最近、周囲に妙な“揺らぎ”を感じる。……念のため、だ」
「了解しました」
澪は素直に頷いたが、その瞳は鋭く、何かを読み取ろうとしているようにも見えた。
「……もうひとつ。これは“上”からの指示だ」
翔が差し出したのは、小さな包み。
「中身は知らん。ただ、“澪に渡せ”とだけ言われた。」
澪はそれを受け取り、そっと開いた。
中には、深い青――毒々しくも神秘的な光を帯びたピアスがひとつ、静かに収まっていた。
「……これが、“上”の意図……」
その一瞬、澪の手がわずかに震えた。だが、表情は変わらない。
朱莉が噴水の前に立っていると、澪がやってきた。
右耳には、あのピアスがつけられていた。
「……なんか、雰囲気ちがわない?」
(存在感が薄くなったような…?)
「そう?」
朱莉は目を細めて、しばらく澪を見つめた。
「……いや、気のせい。よし、花火行こっ!」
「うん」
ふたりは並んで歩き出す。背後で、ピアスが夜の灯に微かに煌めいた。
会場は騒がしく、生徒たちのざわめきが夜気に溶けていた。
「もうすぐ始まるね」
「うん。……花火、初めて見る」
「じゃあ、しっかり目に焼き付けておきなさい。来年、もっと楽しみになるよ」
朱莉の言葉に澪が何か返そうとした瞬間、夜空に最初の光が咲いた。
「……綺麗だね」
「でしょ?でもね、これ――」
朱莉は少しだけ視線を落とした。
「亡くなった仲間たちに向けた、追悼の意味もあるの」
「……そう」
「うん。だから私は、祈るの。みんなが、ちゃんと天国に辿り着けるように」
澪は静かに目を閉じた。
花火の音が遠くなり、闇に浮かぶ顔だけが、心に焼き付いた。
――雫先輩。
私は今、あなたが見ていた景色を少しだけ知りました。
風が過ぎ、夜空に咲いた光のひとつが、澪のピアスを青白く照らした。




