プロポーズ
これにて終了
ロイ達と別れ、町を出た二月後、リオの姿は魔王の前にあった。
あの町を出たリオはその足でまっすぐ北上したのだ。向かったのはかつての故郷であったノルテ国。現在は魔族によって制圧され、美しかった王城はすっかり様変わりしてしまっている。
わかりやすく権力の象徴を破壊し、作り替えるのは、魔王がよくやる手段だ。お前たちはすでに負けたのだと、誰の支配下にあるのかをこの町に住むニンゲンは毎日のように思い知るだろう。
町もあちらこちらの建物が崩れ落ちてはいるが、人が住んでいないわけではないだろう。武装した魔族が周囲を警戒し、肌の白い人間がそれにおびえたようにしているが、理不尽な暴力が振るわれている様子はない。
――なかなかの統率力だな。
そんな風に今代の魔王を評価して、リオは変わり果てた王城へと向かった。城の周囲には瘴気が満ちており、ニンゲンが容易く近づくことはできない状態だった。それでも、リオはためらうことなく足を進める。
そうしてうまい具合に城へと潜り込み、魔王のもとへとたどり着いたのだ。
魔王は背の高い男だった。褐色の肌に、鳥のくちばしのようにとがった鼻。ギラギラと野望に燃える瞳は金色で、髪は赤かった。
本で読んだ通りの、魔族の特徴を持った男だ。
美男子というわけではなかったが、屈強な肉体と覇気を持つ益荒男であることは間違いない。リオはただ目の前に立っているだけだというのに、男が纏う覇気と魔力に圧倒されそうだった。
魔王はたった一人でやって来たリオを見て、目を見開き、そして笑った。
待ち望んでいた存在が目の前にやって来たという、歓喜と、そして嘲笑に満ちた笑い声だ。
「フハハハハ、よく来たな勇者よ。貴様は必ず来ると思っておったわ!
貴様と俺は、戦う運命なのだとな!」
「いや、違うし」
「は?」
リオが首を振って魔王の言葉を否定した。哄笑を上げていた魔王が思わず動きを止める。
それからまじまじと目の前の小さな存在を見下ろした。
屈強な肉体を持つ魔王からすると大体の魔族もニンゲンも小柄なので比較はできないが、おそらくだいぶ幼いだろう。
とはいえ、魔王が知っている勇者というのは十代の少年であったので違和感はない。そう、魔王には今とは別の記憶があった。別段歴代の魔王の記憶というわけでもない。ニンゲンは自身らを魔族と呼ぶが、創造主が違う別の種だというだけで、実際のところはニンゲンと変わらない。
ただ、資源の乏しい砂漠に追いやられた恨みつらみと、豊かな大地を求める当然の欲求に従って南下しているだけに過ぎないのだ。だから、魔王と言う存在は強大な魔力を持って生まれてはくるが、特殊な能力があるわけでもない。
そんな魔王の別の記憶は、かつて別の世界でも自身は魔王となり、魔物を率いてとある国に侵攻したものだ。だがそこでも神に選ばれたという勇者が魔王の前に立ちはだかり、魔王は勇者に敗れて死んだのである。
魔王は死んだと思っていたのだが、気が付けばこの世界でやはり魔王として生まれていたのだ。世界が違ったとしてもやることは同じだった。
結局のところ、ここでも自らが生まれた種族は自分たち以外の種族によって迫害され北へと追いやられていた。ならば自身のするべきことはただ一つと、大陸制覇に向けて動いたのだ。
そして同時に、あの勇者が再び自身の前に現れることを常に警戒もしていたのである。
しばらく前に勇者と聖女を名乗る雑魚が現れたという話だが、自身の前にたどり着くことなく死んだというから、きっと偽物だったのだろう。
そしてようやく、勇者は現れた。目の前の少年は間違いなくあの勇者と同じ魂の持ち主だ。
だがそんな彼は、魔王を前にして剣を抜くことなく懐かしむような表情で言う。
「やっぱり、魔王アブラムってお前のことだったんだな。
名前を聞いてもしかして、と思ったんだけど。記憶があるのもびっくりした。……僕だけじゃなかったんだな」
「たわけたことを、貴様は勇者だろう」
「だから違うって。僕は勇者じゃない」
勇者ではない。と、かたくなに否定する勇者に、魔王は苛立ちを隠せない口調で問う。
「ではなぜここに来た」
「……アブラムに会いに来た」
魔王の問う言葉に、リオはぽつりとそう返した。思わず魔王が言葉に詰まったように口を閉ざす。らしくなく戸惑うような気配を前方から感じながら、リオは肩をすくめた。
「正直さ、子どものころから勇者の記憶があって、頭おかしいのかと思ってた。
そういうの口に出せる環境でもなかったしさ。でも、あんたの名前を聞いて会ってみたくなった。本当にそれだけだよ」
「そのために、この城を攻略しに来たと」
この魔王の城と呼ばれるような場所に。周囲にニンゲンが瘴気と呼ぶ彼らにとって毒となる空気が満ち、魔物が跋扈するような場所に、わざわざ来たというのか。普通の人間ならば十分もたたないうちに昏倒するほどの瘴気である。
彼は神からの加護でもあるのか、彼の周囲は清廉な空気が彼を包み込み瘴気を中和しているようだった。そう、呆れたように言う魔王に、リオは苦笑いを浮かべた。
「うん、まぁ。もうちょっと鍛えておいた方がいいと思うよ。勇者じゃない僕でも侵入できるぐらいだし」
「…………考慮しよう」
リオの言葉に魔王はため息をつきながらそう返すしかなかった。勇者ではないとは言いながらも、目の前の彼は確かに自身の知っている勇者に間違いはないのだ。
そんな魔王に、リオが尋ねる。
「アブラムは、なんでぼくが勇者になったと思ってる?」
「神にそう告げられたからだろう」
「違うよ」
わかってないなぁ。と、リオは物分かりの悪い生徒を前にした教師のように肩をすくめる。
そんな態度に魔王は顔をしかめた。
「姫様や賢者のみんなが僕を勇者だって認めてくれて、期待してくれたからだ。
そして僕自身が、あの美しい世界を、そこに住まう人々救いたいと思ったからだ。だから僕は勇者になった。
……顔を知らない誰かのためじゃない。僕が知っている人たちのために、僕は勇者としてアブラムと戦ったんだ」
言葉の端々に見える言葉のとげに、魔王は少しばかり沈黙を返した。確かに彼の表情によぎる陰は、自身が知る勇者にはなかったものだ。
「この世界は誰も僕を知らない。僕を勇者だって認めてない。そんな世界のために戦うなんて嫌だ。痛いのは嫌だし、生きるため以上に生き物を殺すようなことは僕だってしたくはないんだよ」
とこか不貞腐れるようなリオの表情に、魔王は喉の奥で嗤う。自分が生き残るために他人の財産を、命を侵すことは珍しいことではないというのに。
「甘いことを」
「いいんだよ。僕は勇者じゃないんだから」
またリオがそう言う。どこか突き放したような口調は、彼を勇者として知る魔王に少しばかりの寂寥感をもたらした。
そんな魔王にリオは内緒話を囁くように声を潜めて告げる。
「それにね、たぶん勇者は死んだよ」
「ん?」
告げられた言葉が信じられず、思わず聞き返した魔王。リオはクスクスと艶やかな笑みを浮かべて嗤う。
だがその表情はすぐさま何かを悼む表情へと変わった。
「記憶があるんだ。生まれる前の記憶。勇者とは別の記憶。
僕はたぶん双子だったはず。でも片割れはいないんだ。この世界のどこにも感じられない」
「……クッくはははは、なんと愚かな。人が勇者を殺したか。何ともまぁ」
リオの言葉を咀嚼し、意味が分かった魔王が哄笑を上げる。最大の懸念事項であった勇者が、まさか目の前に現れる前に死んでいるなどとは、まさか魔王ですらも予想していなかったのだ。
ひとしきり嗤う魔王を、リオはぼんやりと見ていた。それを見下ろし、魔王はリオへと腕を伸ばす。
「勇者よ」
「だから、ぼくは勇者じゃないよ」
間違えないで。と言うリオに魔王は頷いた。そしてためらうことなく、勇者であった少年の名を呼んだ。
「ならばリオ。わが軍門に下れ」
「……人間相手に戦うのは無理だよ」
魔王の言葉にリオは眉を下げて困ったように首を振った。いくら勇者でなかったとしても、ヒトの敵に回りたいわけではないのだ。それに魔族だと言ってもリオには殺せるわけでもない。
ここに来るまでもできるだけ人目を避けて、昏倒だけで済ませてきたほどだ。
そんな手間暇をかけてまで来たのは、本当に魔王アブラムが自身の知る魔王であるかを確認するためだけで、それからのことは何も考えていなかった。
そんなリオに魔王は「かまわない」と告げる。
「かまわん。貴様は俺のそばにいればいい。いて、俺の覇道を見届けるがいい。一番いい席を用意してやる」
「なんだか、プロポーズみたいだね」
「プ、プロポーズ?!」
獰猛な笑みを浮かべる魔王に、リオは目を見開いた後にはにかんだような笑みを浮かべてそう告げた。
魔王がぎょっとしたような顔になり、まじまじとリオを見つめる。その反応にリオは首をかしげた。
「あれ、魔族だと違う? 結婚の申し込み」
「それくらいわかるわ! 何をいきなり言い出すんだ貴様は」
ただ魔王に会いに来たと告げた時以上に怪訝な顔をする魔王に、リオは「あぁそういえば」という様に頷いた後に、あっさりと告げた。まるで明日の天気は晴れだね。とでもいうように。
まさかそれが、魔王にとって途方もない衝撃を与える言葉だと予想することもなく。
「あ、そっか。言い忘れてたけど。僕、いま女の子なんだ」
「は?」
「女の子」
「はぁぁぁぁぁぁ?!」
その日、魔王の驚愕した叫び声は魔王城を突き抜け、元ノルテ国王都中に響き渡ったという話だが、真相は不明である。そして、その日以来魔王の隣には寄り添うように金髪碧眼の小柄な少女の姿が見られることになるのだった。
これが、この世界でもっとも偉大で、強大で、恐ろしい魔王と、その妻となるニンゲンの、最初の出会いであり、再会の話である。
なお、実際に魔王が彼女に手を出したのがこの十日後。妊娠の発覚とともに正式にプロポーズするのは二年後のことである。
その時のことを語るとき魔王はいつもこう言う。「十日理性が持ったことを誉めてほしい」と。




