廻る歯車-3
この国の第一王子であるというのに、馬鹿にされたような扱いを受けることが多いのはなぜだろうか。年配者に笑われたときは自分が未熟なのだと思えば済むが、同年代やあからさまに年下の者にまで同じ対応をされるのは問題な気がする。
薄赤く染まった道を歩きながら、ガルシアはしみじみと嘆息した。
自覚はある。頭はけっして良くない。馬鹿の範疇に余裕で入るだろう。読み書き計算は人並みにできるが、記憶系の勉強がどうしても肌に合わない。机にかじりついてひたすら本を読んだり書いたり講義を聞いたりというのが苦痛なのだ。しかも、なんとか根性を出して長時間やったとしても、物覚えがあまりよろしくないという結果に終わるから悲しい。
もちろんガルシアにも得意なものはある。護身術の稽古と、意外だと言われるけれど礼節がその代表だ。どうやら頭でなく体や感覚で覚えるタイプのものは身につきやすいようで、師に合格点をもらっている。護身術として始めた格闘術は、師を追い抜き、いまや国最強とまで言われるくらいだ。だが、それらを差し引いても苦手分野が多すぎた。というか、頭で覚えなければならない学問がほとんどだから、必然的に点が下がってしまう。
知識量が自慢できないレベルにあり、かつ、感情を抑えることが苦手なうえに考える前に行動してしまいがちだというガルシアの直情的性格が、結果的に「馬鹿だ」と言われる現状を引き起こしているのだろう。自覚はあるのだから理解も早い。だからといって納得できるかというと、それはまた別問題であるわけで。
そんなことを思いながらしばし黙考し──ガルシアは腕を解いた。
(まぁ、怖がられてたりとか、変によそよそしかったり壊れ物扱うみてぇにされるよりはずっといっか)
何はともあれ気を取り直したガルシアは、一直線に王城へと向けていた足を横にずらした。町の中心部、商店街に通じる方向へと進路を変える。もちろんミューイへの土産を買うためだ。
土産はいらないといつも言うが、渡したら喜んでくれる。どんなに他愛無いものでも、むしろ庶民が手に取るような何気ないものをあげると、無邪気な笑みを見せてくれるのだ。
(今日は何にしようかなぁ)
新鮮な果物か、王宮内には咲いていない花か。細工物や人形もいい。綺麗な色の刺繍糸もいいアイディアだ。裁縫好きの彼女は喜んで使ってくれるだろう。
うきうきと考えながら、食材の買い出しや仕事場から帰宅する人などで多くなってきた道を難なく歩いていく。
「──あ、ガルシア様っ」
「ん?」
呼び声が聞こえてきた方角に顔を動かすと、街警備兵が二人、通りの向こう側で手を振っていた。
商店街の入り口が見えるところまで近づいたため、道は人通りが多い。だが平均身長より頭ひとつ抜けている男を見つけることは容易だ。誰でも顔を知っている有名人ならばなおさらだろう。だからガルシアは、突然声をかけられたことに驚きもせず、小走りで近寄ってくる彼らを立ち止まって迎えた。
「おう、ティドにサージスじゃん。ひさしぶり」
すると青年らは敬礼もそこそこに人好きのする笑顔を見せた。
「おひさしぶりっす」
「最近お顔を見ないから、ミューイ様に怒られてへこんでるんじゃないかって、ちょうど噂してたとこだったんですよー?」
軽く笑われ、めげる。
二人ともひとつしか年が変わらないのに。しかも年下なのに。軽い敬語で話してくれてはいるものの、なぜからかわれなければならないのだろう。王子なのに。
ガルシアは落とした肩を吊り上げると、まだ笑っているサージスの背後に一息で移動した。回した右腕で首を絞める。
「おっまえ、俺様のこと馬鹿にしてンのかー!」
「くくくくくるじいぃ~……っ」
「うわぁぁ、ガルシア様落ち着いてっ」
ティドが慌てて腕にすがりつく。
「サージスだけじゃないっす! みんな言ってることなんすから~!」
「つまりお前もかっ」
サージスを離すと同時に足を真上に跳ね上げた。
しかしつま先に顎をひっかけただけ。言ってみれば足で小突いた程度だ。それでも予想だにしなかった攻撃は精神的ダメージが大きく、実際より痛みが倍化されて感じるもの。
ティドが顎を押さえてしゃがみこんだ。息の荒いサージスと一緒になって、情けない目で見上げてくる。
「もう、勘弁してくださいよ~。ガルシア様に実力行使で来られたら、俺たち、かなうわけないじゃないっすかーっ」
「そ、そうですよ……しかも手加減して、くれないし……っ」
「何言ってんだ。手ェ抜きまくってンぞ?」
「ガルシア様基準にして考えないでくださいっ!」
「そうっす! はっきりいって化け物並みなんすからっ!」
渾身の力で断言され、ガルシアはそこはかとない疲労感に包まれた。二人を見下ろしたまま半眼で肩を落とす。
「お前ら、ほんっとに俺のこと何だと思ってるわけ?」
問いに対する回答は、ほぼ即座。
「格闘術使わせたら右に出る者はいないほど戦闘センス抜群。でもそのぶん頭はちょっと足りない猪突猛進な王子殿下です」
「民思いだからみんなに好かれてるんだけど、自信家でちょっとばかり唯我独尊なとこがある未来の国王様っす」
いつの間にか周囲に集まっていた野次馬たちが、一斉に頷いて同意した。
へこむ。
思わず耳もぴたりと寝てしまう。尻尾も落ちる。
「うぅぅ」
「拗ねないでくださいよ、ガルシア様ー」
「そうっすよ。本当のことじゃないっすか」
「ううぅぅぅ」
ガルシアはしゃがみこみ、抱えた膝の間でうめき声を漏らした。
「俺ってもしかして、王子向いてねえ?」
「そんなことないですって」
「国王やンの、無理?」
「むしろ早くなってほしいっす」
「……マジ?」
ティドとサージスが強く頷く。
「強くて優しい国王なんて、誇りっす。自慢っすよっ」
「ガルシア様が王位を継ぐの、みんな楽しみに待ってるんですからっ」
「ほんとか?」
周囲を見たら、見物人がこれまた大きく頷いた。
「そっか……」
思いをじっくりと噛みしめ、ガルシアは立ち上がる。
「ぐだぐだ悩むなんざ、俺らしくねえよなっ。そうだよな!」
拳を振り上げる。
「っし! 俺はやるぜっ。馬鹿親父引きずり下ろして国王になったら、ぜってぇ獣人族を人間族から解放してみせるっ!」
頑張ってくださいね! 期待してますよ! と口々に送られる言葉を、ガルシアはしっかりと受け止めた。殿下ってほんとに単純だよなぁとかいう声は小声だったから聞かなかったことにして、さまざまな声援と拍手に鷹揚な笑顔で手を振り、応える。
──と、そのとき、耳の端に違和感を感じた。
「………………?」
「ガルシア様、どうかしました?」
サージスの疑問はそのままにして集中する。
軋みとざわめき。さまざまな物音、気配。それらが急速にこちらに近づいてきている。
首の後ろの産毛が、ちり、と刺激を発すると同時だ。商店街の向こう、道の角から巨大な影が飛び出した。
考える前に体が動く。
「散れぇぇぇぇーっ!!」
窓ガラスを震わす大音声。
ガルシアの命令に、向かってくる暴走同然の馬車に気づいた通行人たちが悲鳴を上げて走り出す。だがパニックはない。素早く道の中央が開けた。そこを、通行人をはねるかかはねないか、ぎりぎりのタイミングで馬車が駆け抜ける。
御者は人間だった。路上の獣人たちには目もくれずに手綱を操っている。
ティドとサージスに両脇から押さえられてしまい──王子の安全を確保するのが優先事項であることを考えれば、彼らの判断はこれで正解なのだが──身動きが取れないガルシアは見送ることしかできない。だが、すれ違う瞬間、ガルシアの目は馬車に描かれているものを捉えていた。真紅の地に黄金の絵。──紋章だ。
(っ?)
声を発する間もなく馬車が猛然と過ぎ去っていく。それを目で追いながら、ガルシアは生唾を飲み込んだ。
(ちょっと待てよ。今の……見たことねえか、俺……?)
血の気が引く。意思を無視して。
馬車の姿はもうすっかり小さくなってしまった。あのスピードならすぐに首都の正門を抜けるだろう。しかし今ならまだ、獣化して追えば間に合うはずだ。
──理性とは違う部分が発した決断に遅れて気づき、戸惑う。
なぜ追わなければならないのだろう。
獣人族の国であるこのリンディア王国で人間の御者が操る馬車が走った。それも街の外へ向けて。それの意味するところは明らかだ。わかる。しかし恐怖すら感じるほどの危機感を覚える理由にはならないはず。なのに胸がひどく騒ぐのだ。まさか馬車に描かれていた紋章に関係があるとでもいうのだろうか────
「なぁ、今の馬車、城のほうから来なかったか?」
「あぁそういえば……」
不意に聞こえた民衆の言葉。
届いた瞬間、心臓が跳ねた。そしてそれを待っていたかのように紋章が記憶のものと一致する。してしまった。
喉が引きつる。
「なんで、こんなとこに出てくンだよ……っ」
「ガルシア様? ……まさかどこかお怪我でもっ?」
ティドたちが兵士の顔で問いかけてきた。
見なくとも声だけで彼らの表情はわかる。ならば王子である自分がすべき対応は、落ち着いて応え、安心させることだ。それもわかる。けれど心が痛いほどざわめいていて、即座に反応できない。
ガルシアはいつの間にか解放されていた腕を上げ、胸元を掴んだ。首を振る。
「それよりティド、サージス」
目蓋を下ろし、深呼吸して、再び目を開けた。ガルシアは、鋭い表情で言葉を待つ二人の街警備兵を見やる。
「警備兵全員に連絡とって被害状況を確認しろ。怪我人がいたら報告は後回しでいい。救援に回れ。俺は城に戻る。……頼んだぞ」
「はっ」
敬礼ののち、すぐさま駆け出した青年らを見送るとガルシアは、暑くもないのに流れる汗を乱暴にぬぐった。奥歯を強く噛む。
(ありえねえ。ンなわけねえさ)
ガルシアは馬車を追いたい衝動を無理やりはねのけ、踵を返した。
あの紋章のついた馬車を最後に見たのは三年前。双子の弟がハルメシオンに連れていかれた日。その前は、今は亡き姉が連れていかれた日。そう、あれは人間族の国ハルメシオン王国の君主、ハルメシオス家の紋章だ。そこから導き出される可能性は最悪なものしかない。最悪なものしか見つけられない。
(頼む……ミューイ、無事でいてくれっ!)
大切な笑顔が迎えてくれることを祈りながら、全速力で走り出した。




