光降る丘で-1
そこは森の中の丘。さまざまな大きさと形の墓標が並ぶ、あの墓地。下草が広がっているだけの空いた場所で待っていたのは、一人の女天使だった。濡れているかのようにまっすぐなプラチナブロンドを揺らし、近寄ってくる。
「あぁテラーディオ、無事だったのですね」
心から安心したように微笑んだ彼女はふとGRに気づき、動きを止めた。驚きの表情はごくわずかだ。すぐ笑顔になって深々とお辞儀をする。
「初めてお目にかかる方ですね。初めまして、アクエリールと申します。お見知りおきくださいな」
つられてGRも頭を下げた。
「あ、ご丁寧にありがとう。俺はガルシア・リィズフェルト。でもあいつに────」
アッシュローズを親指で指し示す。
「気に食わねえからってンで、GRって名前にされてる。好きなほうで呼んでくれ」
するとアクエリールはきょとんと瞬きをして、アッシュローズを見やると口元を押さえた。訳知り顔の笑みを浮かべる。
「あらあら、やきもち焼きさんだこと」
彼女に倣ってアッシュローズを見ればなんと、おもいきりそっぽを向いたではないか。これはあからさまに拗ねた図だ。あの常に凛と──あるいは傲然と──していたアッシュローズが、である。
だがしかし、今は彼の態度よりアクエリールの言葉に対する疑問のほうが強い。GRは女天使に向き直った。
「どういうこった?」
が、彼女はにこにこと微笑むばかりだった。答えどころか何の言葉も言ってくれない。
「……アクエリール、本題に入りたいのだが」
割って入ってきたのはイグニスだ。アクエリールがすぐに彼を見て頷く。
「結界は万全です。テラーディオの精神に悪影響を及ぼすものは塵ひとつ見逃さず排除してあります。安心してくださいな」
どうやらイグニスが言っていた『別件』とはこれだったようだ。つまり、本当に最初からアッシュローズをテラーディオとして復活させ、ここに連れてくることが目的だったらしい。
白い天使が怒りの温度を上げていく。
「説明を、してもらおうか」
口を開いたのはイグニスだった。
「先ほども言った通り、これは神の願いだ。ファウラが助けを求めて戻ってきたとき、神が俺たちをお呼びになり、おっしゃったのだ。テラーディオの魂を器から解放するように、と」
「つまり……」
アッシュローズの声が硬い。
「つまりこれが、神が私にお与えになる罰だということか」
「それは違いますよ」
「何がだっ」
アクエリールの穏やかな否定に食ってかかる。
「私は人間として生きていくことを選んだっ。シアリィが生きたこの大地に留まり、彼女の願いをかなえることこそが今の私の望み! なのに神は、天使に戻れと……地上を捨てて天界に戻れとおっしゃったのだろうっ? これが罰でなくてなんだというのだっ!」
「だから、誤解だと言っている」
細いため息をついて首を振るイグニス。髪を乱して怒り狂うアッシュローズの眼光を受けても泰然自若としたままの彼は、生真面目な表情を崩さない。
「神の願いはただひとつ。……お前の魂がいつまでも穢れず、この世界に在ることだ」
アクエリールが微笑んで言を繋ぐ。
「気の済むまで地上に留まればいいのです。ただ、天に帰りたくなったとき帰れないのではあまりに不憫だと……。だからいつでも好きなときに帰れるように、翼を返してあげなさい、と。それが神のお言葉です」
アッシュローズの目が大きくなり、そして──揺らいだ。
「……神は、お赦しくださるのか? 大罪を犯した私を……?」
「神はこうもおっしゃってたよ」
ファウラが、慰めるように背中を撫でる。
「私が罰を与えなくとも、テラーディオは自ら重すぎる罰を充分に背負ってきた。これを見てさらに責めることができるだろうか、って。……神は今も変わらず、きみを慈しんでおいでだよ」
涙が白い頬を伝い、はらはらと零れ落ちていく。
言葉はなかった。ただ小さく頷いて袖の端で涙をぬぐう。そんな様子をアクエリールとファウラは嬉しげな笑顔で見守り、イグニスは真剣な表情で頷きを繰り返した。
どうやら誤解は解けたらしい。GRは安心して口を出す。
「んじゃあ結局、こいつはこのままここで好きなことできるってわけか」
「そうなる」
大きく頷いたイグニスが、なぜか手を差し出してきた。
ついうっかり条件反射で握り返したはいいが、
「よろしく頼む」
彼の言葉が理解できず、GRは眉を寄せる。
「何を?」
しかしイグニスは、これぞ堅物、といった真剣な目でまっすぐに見てくるのみだ。
「はっきり言って天界一の激情家だ。正確には感情の高低差が激しいのだがな」
「はぁ?」
「基本的には冷静で我慢強いから、普段はおとなしい。しかし一度感情が爆発すると抑えが利かんうえに利かす気もないときている。苦労すると思うが、おおらかな気持ちで受け止めてやってくれ」
「って、だから何をだよっ」
「あまりにひどいようなら俺たちを呼べ。名を呼べばいい。特に精神に影響を及ぼす魔法が得意なアクエリールが有効だ。あと、できれば俺は呼ぶな。火に油だからな。なぜか」
「……人の話聞いてっか?」
問うも、イグニスは空いた手でGRの肩を激励の素振りで何度も叩いてくるだけだ。
「お前はいい眼をしている。体も丈夫だし、何より根性がある。あいつのどうしようもない暴走にも耐えられると信じているぞ」
「っだあぁぁもうっ、勝手に話進めて勝手に納得すンなっ! ──っとォ……」
怒鳴ったあとで我に返った。緊急事態ということもあってアッシュローズの体のことをすっかり忘れていた。
「悪ィっ。か、体、大丈夫か?」
慌てて振り向くと、返ってきたのは沈黙だった。
それからゆっくりとアッシュローズの表情がいぶかしげなそれに変わっていく。
「何の話だ」
この反応は予想していなかった。GRも疑問で声を低くする。
「何って……俺みてぇにすぐカッカするような感情の荒い奴が傍にいると、お前、悪影響なんだろ? 体壊しちまうくらい」
「………………」
「……力を制御できてねえって……傍にいるだけで相手の感情が流れ込んできちまうから防ぎようが……って、違うのかっ?」
同時に振り返る。相手はもちろんファウラだ。
ふわふわと微笑む彼は、GRたちの視線を受けるなり小首を傾げた。
両頬に人差し指を当てて。
「えー? 何の話ー?」
かなりむかつく。
アッシュローズが体ごとファウラに向き直った。
「お前、納得させた上でGRを国に帰したと言ったよな。……まさか、とは思うが、GRが納得せざるを得ない理由をでっち上げて説明したのではあるまいな」
さすがのGRもここまで言われれば気づく。
「じゃあ、もしかしてあれ全部嘘────」
「違うよっ!」
ファウラが勢いよく手を下ろした。頬を膨らませる。
「ほんとのこともちゃんと入ってたよっ!」
「……も……?」
二人同時の突っ込みに、さすがの彼も引きつった。あさっての方向に視線を泳がす。
「えっとぉ、だからぁ」
ごまかしの気配を察知し、GRも一歩詰め寄る。
「どっからどこまでが嘘だったんだよっ」
「だ、だぁってさ、テラーディオの状態はかなり危なかったんだもん。GRのせいじゃないけどGRが原因ではあったわけだし、一時的だろうがなんだろうが離れたほうがいいのは明白、っていうの?」
話すうちに落ち着いたか、ファウラは再び膨れ面になった。
「それに、言っておくけど嘘ばっかりじゃないからね。本当のことのほうが多いくらいなんだから」
「じゃあ何が嘘だったんだっ」
「大きなところでは、発作が起きる理由かな。発作自体はテラーディオの癖みたいなもので、人間の器に入ってるせいじゃないんだ。まぁ、力が器を突き破ってうんぬんは本当だけど。あとはきみが一緒にいちゃいけない理由だね。きみの熱さはかなり同類だから、むしろ薬────」
「なるほどな」
言葉尻を奪っての相槌はアッシュローズ。
「何をどう口走ったのかは知らんが、詐欺の常套手段を用いたということはわかった」
またも引きつったファウラを見据えて、拳にした右手を鳴らす。
「GR。ひとついいことを教えてやろう。……こいつは天界一のペテン師だっ!」
ファウラが唇を尖らせた。
「えー、ペテン師だなんて人聞き悪いなぁ。言葉巧みだと言ってよ。情報を司る天使の真骨頂って感じ?」
えへん。などと胸を張られても怒りが増すだけである。
GRは勢いよく飛び出した。ファウラの背後に回りこむ。
逃げようと体の向きを変えたときにはすでに、彼の真正面はアッシュローズだ。
驚愕で固まった一瞬の隙を逃さず背後から右腕をひねり上げる。
直後に決まったアッシュローズの足払い。
ファウラが腰から地面に落ちた。その頭を二人同時に殴る。
「いったぁぁぁいっ!」
泣き声を上げる彼を見下ろし、GRは腰に手を当てた。
「おもいっきり手加減してやったぞっ。ありがたく思え!」
横で手をはたくのはアッシュローズだ。
「これに懲りたら、二度とたばかろうなどと考えるな」
鼻から息を吐いた彼と目が合った。
GRは右手を拳にする。そして同じく握って持ち上げた彼の拳と真ん中で軽くぶつけあった。
互いの健闘を讃えあう無言の会話。
ファウラが頭をさすりながらぼやく。
「やっぱりきみたち、似た者同士だ」
後ろでアクエリールがころころと笑う。
「うふふ、仲良しさん」
アッシュローズが瞬時に振り返って睨んだが、彼女の笑顔は崩れない。隣のイグニスを見上げる。
「テラーディオのことは彼に任せるのが正解のようですね。私たちはそろそろ戻りましょうか」
「そうだな」
頷いたイグニスがファウラの背後に回り、彼の襟首をしっかりと掴んだ。手の先に視線を落とし、眉間にしわを寄せる。
「下界にばかりいないで、お前もたまには戻ってこい」
今度はアクエリールが横に立ち、ファウラの腕を抱えた。
「そうですよ。副官たちに仕事を任せっぱなしではかわいそうでしょう」
浮かび上がる。本気で強制連行するつもりらしい。
「え、えぇ~っ? ちょっと、僕の言い分は聞く耳なしっ? 決定事項っ?」
そんなファウラの文句を聞き流してイグニスが、こちらを見て小さく唇の端を上げた。
「テラーディオ、GR。くれぐれも体に気をつけてな」
アクエリールもまた微笑む。
「失礼いたします。ごきげんよう」
そしてわめくファウラを抱えたまま、一気に天へと舞い上がり、そのまま消えて見えなくなったのだった。
風と葉擦れの音だけとなった丘に、アッシュローズのため息がやけに大きく響く。
「相変わらずわけのわからん奴らだ」
「いや、たぶんお前にだけは言われたくねえと思うぞ」
睨まれてしまった。だがこれは怖くない。GRは構わず彼に向き直った。
「で、訊くけどよ。体は大丈夫なのか?」
アッシュローズが視線を外す。
「動揺しているときや油断したときでない限り、他者の感情に振り回されることはない。それに、……影響が出るのは、私の気持ちのせいだ。きわめて個人的な」
彼の話はわかりやすいようでわかりにくい。GRは眉を寄せた。
「どういうこった?」
「他者の感情が私の精神を傷つけるのではなくて、私が受け止めた気持ちをもてあますというか、流されるというか、考えすぎてしまうというか……、その、だから……そういうことだっ」
「わかんねえってっ」
「わかれ!」
「無茶言うなっ!」
「とにかくっ、周囲がどうあれ私自身が平常心を保てれば問題ないっ。それに、天使に戻ると感情の抑えが利きにくくなるが────」
「なんでだ?」
話の邪魔にわずかばかり止まり、そのあとで薄く息を吐いた。
「神学の基礎知識だろう……。地天使は『心』を司っている。属性柄、感情に素直なんだ、地天使は」
「…………素直……」
「と、ともかく! 心が開放されるぶん、代わりに押し込めてしまうことも少なくなる。そうなれば以前に比べて負担も軽くなるだろう。だ、だからだな、なんと言うか……その……あまり心配し──……」
最後は声が小さすぎて何を言っているのか聞こえなかったが、重要な部分は聞き逃していない。GRは思わず耳を立てた。
「じゃあ本当に大丈夫なんだなっ?」
アッシュローズが振り向く。不機嫌そうに。
「私を誰だと思っている」
答えを求められ、GRは首をかしげた。
「え、と……地天使長?」
「そうだ。審判を担う天使だぞ。私は虚偽がこの世で最も大嫌いだ」
「……俺のこと騙してたくせに」
「あれはっ! ……し、仕方がないと……必要だと思ったから……だから……」
アッシュローズの目に浮かび上がる、躊躇と、不安と、その奥に見える小さな期待。それでもやはり臆病な眼差し。
安心させようとして微笑んだら、即座に目を逸らされた。長い髪が横顔を隠す。その向こうから声が聞こえてきたのは、さらに少々の時間のあとだった。
「お前に、聞いてもらいたい話がある。……来てくれないか」
言って歩き出した彼の肩は、緊張で強張っている。話とは、おそらく今まで彼が隠し続けていたことについてだろう。
GRは覚悟を決め、あとを追った。




