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盟約のトリスアギオン  作者: 神希
第1幕
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廻る歯車-1

 空は青く、雲は白く──。

 広くて高い天空は、この世の何より美しい。

 そう感じるのは、どんなに手を伸ばしても届かないからだろうか。自分たちを包むものは美しくあってほしいという潜在的な願望のせいだろうか。それとも、単純に至高の存在である神と天使たちが住む場所だからだろうか。

 しかし、そんなことはどうでもいい。問題とすべきところはそこではない。空を見上げて美しいと感じることのできない者が多すぎる。空を見上げようとも思わない者と、空を見上げる余裕がない者と、感じる心を奪われた者が、世界中に溢れかえっているという現実こそが問題なのだ。

 芝生の上で大の字になっていたガルシアは、ため息ひとつ、腹筋の力だけで起き上がった。左手に右の拳を打ちつける。

 こんなむごい現実を放置するのは間違っている。変えなければならない。が、世界情勢に変化の兆しは微塵もない。民衆の心はもちろんだが、それ以前に国王が停滞させているのだ。これでは変えられるものも変わらない。

 自分ならばこの身を盾にしてでも闘うのに。

 こんな現実の中で立ち止まりはしないのに。

 しかし王位継承者はあくまで王位を継承する権利を持っているだけだ。決定権はかけらもなく、理解のない父は介入の機会すら与えてくれない。ガルシアが国を動かすことは、現状ではまず不可能だ。しかしだからといって現王が退位するのを待っている余裕はない。期限までもう七年しかないのだ。

 この三年間、少しでも何かを変えられたらと、思いつく限りのことをしてきた。父王にもさまざまな案を出してきた。しかし、成果はかんばしくない。得られる情報は些細なものばかりだし、いざ行動を起こそうとしても王の妨害に遭ってばかりだ。

 やはり王の権力にはかなわないということなのだろうか。

 非力な自分が、もどかしくてたまらない。


「お兄様っ」


 背後からの呼び声で、ガルシアは我に返った。

 振り向くと、城の南棟と北棟をつなぐ回廊の真ん中に小柄な少女が立っていた。ガルシアのよりやや灰色寄りの、腰まで届く黒髪と三角形を描く犬の耳。裾の長いドレスに同じ色の尻尾を隠している彼女は、ガルシアと目が合うなり中庭に出て、小走りで近寄ってきた。


「ここにいらっしゃったのね」

「どうした、ミューイ」

「それは私の台詞です」


 あっという間に傍らに着くと、ミューイはドレスを広げて腰を下ろした。


「またお父様と喧嘩なさったって……」

「その話かよ」


 ガルシアは肩を落とす。

 態度で話したくないのだと訴えるも、妹は強かった。笑顔でさらに追及してくる。


「お父様の話を聞いて激怒なさって、結局一方的に不満をぶつけるだけだったのでしょうけど……。いったい何がガルシア兄様のお気に触ったの?」


 ここでなんでもないと言ってごまかしたら、ミューイは絶対に良い顔をしない。それどころか怒られるだけだ。下手をしたらしばらく口をきいてくれなくなる。

 十歳年下の妹が可愛くて仕方ない兄の心情を利用しているのか、知らないまま天然で追いつめてくれているのか。どちらが真実にせよ、勝てないのが切ない。

 ガルシアは喉の奥でうなった。


「最近、街ン中ですら堂々と誘拐しやがるアホが増えてきたから警備を強化しろって言ったんだよ。そしたら何て返してきたと思う? 放っておけだとよっ。好きにさせておけばこっちに変な言いがかりをつけられたり危害を加えられることはねえからって……っ。てめぇの言う危害ってなァ、いったいどーゆーもんを指してやがんだっ! 自分一人無事ならそれでいいってかっ? くそっ、やっぱむかつく!」

「お兄様……」


 ミューイが柔らかく苦笑する。


「いい加減に学習なさったらいいのに。お父様に正攻法で向かっていったって、のらりくらりとかわされた挙句、鼻で笑われるだけですわ」

「っ、……わーってるよ、ンなこたぁ」


 すばらしく冷静なミューイの弁に怒りを挫かれ、ガルシアは拳を下ろした。胡坐の上に落とす。


「…………けどよ……」


 一度胸に刻んだ信念までは、消されたりしない。


「少なくとも願ってるだけじゃ、なんも変わんねえだろ」


 天を仰ぐ。


「どんなに祈ったって、神も天使も何もしちゃくれねえ。誰かが……人がやらなきゃ駄目なんだ。だったら……」


 美しい場所。神と天使たちが住まう場所。

 目には見えない、けれど確かに存在する場所を、ガルシアは睨む。


(なら、俺がこの世界を変えてやる)


 無理だ、不可能だと言われ続けても、必ず変えてみせる。あきらめることしかしない父王を玉座から退かせ、人間族の王に獣人族の人権を認めさせるのだ。

 タイムリミットまで、残り七年。最後の兄弟が──ミューイが、成人を迎えて人間の王族に嫁がされる日。花嫁という綺麗な言葉で飾りつけた、欲をぶつけるためだけの奴隷という現実に引きずり込まれる前に変えるのだ。もう、弄ばれたために狂い、殺された姉や、今まさに苦しめられている双子の弟のように、妹まで奪われるのはごめんだ。


(親父もお袋も人間に服従しきってる。ミューイを護れンのは俺しかいねえんだ。……そうさ、あきらめてたまっかよ)


 口を引き結んで、自分に言い聞かせる。そして、気持ちを切り替えると一挙動で立ち上がった。


「ちっと街に行ってくる。面白ェ噂を聞いたからよ、確かめてくるぜ」

「面白い、ですか?」

「ああ」


 立ち上がろうとするミューイに手を貸してやる。

「人間に誘拐された子供が一人で戻ってきたってゆーんだよ。しかも無傷で。……いい話はいい話だけどよ、無傷ってなァいくらなんでも不自然だろ」

「うーん……そうですね」

「そいつ、俺がちょくちょく遊んでやってるガキどもの一人なんだ。だから様子見ついでにほんとかどうか、もしほんとなら何があったのか訊いてくる。いい情報が聞けるかもしれねえ」


 言って、胸元までしかないミューイの頭を優しく撫でる。


「ってわけだから、抜け出してる間に親父がなんか言ってきたら、いつもみたいにごまかしといてくれ。土産、買ってきてやるからよ」

「わかりました。でもお土産はいいです。それよりも、道中お気をつけて……。城の外では何があるかわかりませんから」

「心配しなくたって、その辺の奴にやられる俺様じゃねーよ」

「ですから、やりすぎてあとで困ったことにならないように気をつけてくださいね、ガルシア兄様」

「そっちか」


 渋面になりはしたものの、


「当然でしょう? 兄様のお強さはよく知っていますもの」


 慕い、尊敬してくれる妹の笑顔を見て不機嫌を貫けるはずもない。すぐに破顔し、大きく頷いて了解した旨を伝える。


「じゃあ、行ってくるな」

「いってらっしゃい、お兄様っ」


 最愛の妹の見送りを受け、ガルシアは外へ向かって走り出した。

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