廻る歯車-10
「で、結局何があったんだよ」
目の前に腰を下ろしたディレイスが、聞き覚えのある至極冷静な声音でそう問いかけてきた。
リビングには今、自分とディレイスとミューイしかいない。アッシュローズたちは退席中だ。それが気を利かせての行動なのかあちらの事情ゆえの行動なのかは謎だが、ともあれ気にせず話ができる。
GRはディレイスをちらと見て、ため息を落とした。
「お前が城から逃げたあとな、代わりにってミューイが無理やり連れてかれたんだ。で、ムカついたから俺が助けにいった。そこまではいいか?」
「あ、うん……」
「城ン中で適当に暴れて、ミューイを犯そうとしてた王子……名前なんだっけ……」
「リュンデン・ハルメシオス」
「あー、そんなんだったな。まぁそいつの部屋にたどり着いたわけだ」
「そのあとは言わなくても想像つく。王子殺してミューイを助け出したんだろ?」
「のつもりだったんだけどよ。あいつに止められた」
理解には数秒の時間を要したらしかった。ディレイスが目を剥いたのはワンテンポ以上遅れたあとだ。
「……ってまさかあの、一度怒りだしたら手がつけられなくなってみんなが大迷惑する兄さんをっ? 一人で止めたのっ?」
驚くポイントが微妙にずれている気もするが、事実なので頷く。
ディレイスは何度も、本当なんだ、すごいな、と感心してみせてから、いつもの穏やかさに戻って首を傾げた。
「で、どうするのさ。奴隷になるの?」
「………………」
返答ができない。
「何か気にかかることでもあるの?」
弟は察して問いを重ねてきた。さすが自分の一卵性双生児というべきか、隠し事ができないのは相変わらずのようだ。GRはあきらめて意志を伝える。
「奴隷発言のおかげでころっと忘れてたけどよ……どーでもいい言いがかりはともかく、借りがあンのは事実だ。これを返さなけりゃ俺の気が済まねえ」
「じゃあ奴隷になるんだ?」
「…………。そこなんだよなぁ。ったく、なんでこの俺様が奴隷なんだ、くそっ」
GRは前足の上に顎を落とした。
すると。
少しの思考時間のあと、ディレイスが思い出したように呟いた。
「ねぇ兄さん。あの人、奴隷にするじゃなくて、下僕にするって言ってなかったっけ」
「あぁ?」
「あえて下僕って言葉を使ってた……? 何か意図があるのかな」
「俺に訊くなよ。知るか、あんな奴」
「兄さん……」
深い深いため息をつくとディレイスは、静かに耳を傾けているミューイに話を振った。
「ミューイはどう思った? 悪い人たちだって思うかい?」
妹は長い髪を揺らして否定する。
「昨夜ガルシア兄様にも言いましたけど、怖い方たちだとは思えませんわ。とても優しくて、温かな雰囲気がします。それに、何か事情があるように感じます」
「だよね。僕もそう思う。ほんとのところ、兄さんもそんな気がしてるんじゃないの?」
弟と妹に視線を向けられ、GRは思わず生唾を飲み込んだ。
真実を悟ってもなお意地を張るのは簡単なことだ。そして同時に見苦しい。なぜなら信念を貫くためではなく、自尊心をかばおうとしての行動だからだ。
GRは早々にあきらめ、自分の正義を貫くほうを取った。
「フェリス……傍にいたちびも、メイも、なんか事情を抱えてる。たぶんアッシュローズもな。それはわかるさ。だからこうやって悩んでンだろ」
二人から目を外し、庭を見る。
空気の色でわかる。ここはどこかの町や村の一角にある場所ではない。森の中だ。こんなところに暮している理由、そして昨夜起こったこと、今までのやりとり。どれをとっても不可解で、複雑で、そのせいで真実が見えづらくなっている。
GRは口の先だけで、静かに本音を吐露した。
「あいつらの事情がわかれば、俺もそれなりに動けンだけどな……。このままじゃ罪滅ぼしもできやしねえ」
「そういえばさっき借りがどうとか言ってたけど、何かやったの?」
「……アッシュローズを殺すとこだった。フェリスから、親代わりを奪っちまうとこだった。……未遂で済んだけど、ちびを泣かせちまったよ」
「………………」
まだ口に残っているような気さえする血の味が忘れられない。
きっと、忘れることは許されない。自分で許せないから。
「あぁもう……いったいどうすりゃあいいんだ……」
「……じゃあさ。いいんじゃない? 下僕やっても」
ディレイスが苦笑まじりにそう言った。
思いもしないほどあっけらかんとした物言いに、GRは目を見開く。頭を上げて振り向いたら、双子の弟は狼の顔で、けれど笑みとわかる表情をはっきりと浮かべていた。
「推測の域を出ないけど、兄さんのプライドを傷つけるようなことはされないと思うよ。そりゃあまぁ、多少の忍耐は強いられるだろうけどね。でも、兄さんが死んでもやりたくないことはさせられない。証拠はないけど、断言するよ」
「……そっか」
「もし間違ってても怒らないでね」
「お前が断言したんなら間違いねえさ」
笑みを返し、GRは体を起こした。
その直後、入り口のドアが開かれ、アッシュローズたちが入ってきた。フェリスとメイは変わりなかったが、アッシュローズは正装と思しき上等の服に着替え、杖を手にしていた。
「待たせた。城まで送ろう」
彼が声を向けたのはディレイスとミューイだ。ディレイスが一歩前に進み、静かに会釈をする。
「先ほどはお礼を言いそびれてしまい、申し訳ありませんでした。改めて助けてくださったことに感謝します。僕はディレイス・リィズフェルト」
「アッシュローズだ。アッシュと呼んでもらって構わない。ディレイス、さっそくですまないのだが、私は王と直接話をしたいのだ。仲介を頼めないか?」
「いいですよ。事情を話せば断れないでしょうしね」
「助かる」
一見穏やかだがどうにも物騒な会話が落ち着いたところで、アッシュローズの袖をメイが横からひっぱった。
「アッシュ様。GRは連れていかないんですか?」
こちらを一瞥しての問いかけに、アッシュローズが口端を吊り上げた。ぴん、と人差し指を立てる。
「GRを人質に、親を脅迫して生活費を出させようかと思うのでな。だから当人はいないほうが話がスムーズに進む」
一瞬、顎が外れるかと思った。だがここで放心している場合ではない。GRはすぐさま腰を上げる。
「ちょっと待ててめぇ、何考えて────」
「うわ、すばらしいお考えですね、アッシュ様! でもあんまりしぼり取らないであげてくださいね。国民の負担に変わっちゃったら意味ないですから」
「もちろんだとも。財源は生かしておくに限る」
「んもー、アッシュ様ったらさすがっ」
「ふふふっ」
大盛り上がりのアッシュローズとメイに、もはや聞く耳などない。
横からミューイがおそるおそる小声で訊いてくる。
「何かの冗談、ですよね?」
「知るかっ」
GRは毛並みの奥で脂汗を流す。
(もしかして……もしかしなくても、やばいのに捕まったかもっ?)
はたしてこの出会いは吉か凶か。その答えをくれる者は、どこにもいない。