第40話 王女とエルフと聖女が、なぜか俺の夕食を監視している
「孝太郎さん。それが、今日初めての食事ですか?」
聖女セラフィナの問いかけに、俺は口へ運びかけていた硬いパンを止めた。
「初めてではありません」
「では、朝は何を召し上がりました?」
「パンです」
「昼は?」
「……パンです」
「今、持っているものは?」
「パンですね」
自分で答えながら、嫌な流れだと思った。
俺たちが森の村から王都へ戻ったのは、日が沈んでからだった。
セラフィナは約束通りフィルたちを診察した。
膏薬を止めてから、三人とも黒い斑点の広がりは鈍くなっている。ただし、熱は完全には下がっていない。
セラフィナの治癒で体力は戻せたが、原因を取り除けたわけではなかった。
その後、神樹の封鎖状況を確認し、第二回の古代麦試験について農耕師と話し合い、王都へ戻って記録を整理していたら、夕食の時間を大きく過ぎていた。
厨房へ行くのも悪い気がしたので、机の引き出しに残っていたパンを食べようとした。
そこへ、セラフィナが来た。
リュシアも来た。
なぜかエレオノーラまで来た。
現在、俺の小さな部屋には、三人の美少女が並んで立っている。
見た目だけなら夢のような状況だ。
ただし全員、俺が罪を犯したような顔をしていた。
「孝太郎」
エレオノーラが硬いパンを指さす。
「昨日の夕食は?」
「食べましたよ」
「何を」
「干し肉とパン」
「一昨日は?」
「パンと……薄いスープ?」
「なぜ疑問形なのです」
「忙しかったので、あまり覚えてなくて」
「記憶再現の技能を持つあなたが?」
「興味の薄いことは、思い出す気にならないというか」
エレオノーラの目が細くなる。
まずい。
「食事に興味が薄い?」
「食べられれば、だいたい何でも」
「お前は馬以下だな」
リュシアが言った。
「馬以下?」
「馬でも、自分に必要な草を選ぶ」
「俺だって毒草は避けますよ」
「森で、見たことのない団子を食べただろう」
「食べないと村へ入れなかったからです!」
「そのあと苔の汁も飲んだ」
「あれを出したのは、そちらでしょう!」
「全部食べたのはお前だ」
「食べろと言われたんですよ!」
セラフィナが硬いパンを俺の手から取り上げた。
「あっ」
「これは夕食とは認めません」
「俺のパン!」
「パンに罪はありません。ですが、これだけでは体が持ちません」
「返してください。まだ半分残ってる」
「残りは明日のスープへ入れて柔らかくします」
「勝手に明日の予定まで決められた!」
セラフィナの笑顔には逆らいにくい。
彼女は机の上を見回し、積み重なった紙を一枚ずつ持ち上げた。
「食事をしながら記録を書くのも禁止です」
「どうして」
「紙を汚すからです」
「俺の体を心配していたんじゃ?」
「それもあります」
「紙が先ですか?」
「記録を失えば、多くの方が困ります」
合理的なのに、何となく寂しい。
「夕食なら、私が用意させました」
エレオノーラが廊下へ声をかける。
待っていた侍女たちが、大きな盆を運び込んだ。
豆と根菜のスープ。
柔らかく煮た鶏肉。
焼いた芋。
黒パン。
量は多くないが、久しぶりにまともな食事を見た気がする。
「おお……」
思わず声が漏れた。
エレオノーラが少し得意そうな顔をする。
「厨房へ、今の孝太郎に必要なものを確認しました。肉だけでなく、豆と野菜も食べてください」
「ありがとうございます」
「当然です。あなたが倒れれば国の仕事が止まります」
「最後の一言がなければ、もう少し嬉しかったんですが」
「事実です」
そのとき、リュシアが持っていた包みを卓へ置いた。
「待て。人間の料理を先に食べるな」
「どうしてです?」
「森の粥を持ってきた」
葉で包まれた器の蓋を開く。
湯気とともに、青い草の香りが立ち上った。
中には薄緑色の粥が入っている。細かく刻んだ茸と木の実も混ざっていた。
「また苔は入ってませんよね」
「入っている」
「入ってるの!?」
「食べられる苔だ」
「前にも同じことを聞きましたよ!」
「森では、病人や疲れた狩人へ食べさせる。胃に優しく、体を温める」
「毒見は?」
「私が食べた」
「最初からそうしてくださいよ!」
リュシアは自分の匙を取り、粥を一口食べて見せた。
「ほら」
「同じ匙で食べろと?」
俺が尋ねると、リュシアの動きが止まった。
「違う!」
「では新しい匙を」
「分かっている!」
耳の先が少し赤い。
エレオノーラは、その匙をじっと見ていた。
「リュシア」
「何だ」
「使者が、試食へ自分の匙を使う必要はありません」
「毒がないと示しただけだ」
「別の器へ取り分ければよかったでしょう」
「急いでいた」
「孝太郎は、人が使った匙でも気にしない方ですが」
「気にしますよ!」
なぜ俺が何でも口へ入れる人間のように扱われているのだ。
「森の食事は、材料が分かりません」
セラフィナが粥を覗き込む。
「黒い病の影響を受けた茸は入っていませんね?」
リュシアの表情が険しくなった。
「入れるわけがない」
「確認です」
「私が孝太郎へ病んだものを食べさせると思うのか」
「思っていません。ですが、黒雨茸も見た目だけでは判別が難しかったのでしょう」
「私なら臭いで分かる」
「リュシアが調理したのですか」
「村の薬師だ」
「では、運ぶ途中に他の包みと混ざっていない保証は?」
「ない」
「なら確認します」
セラフィナは笑顔のまま、粥の匂いを慎重に嗅いだ。
「問題はなさそうです」
「お前も疑い深いな」
「命に関わりますから」
「孝太郎と似ている」
「似てませんよ!」
「なぜ、そこまで嫌がるのです?」
セラフィナが傷ついたように尋ねる。
「嫌がってはいません。ただ俺より、ずっと怖いので」
「怖い?」
「笑いながら命令するところとか」
「私は命令していません」
「さっき食事を禁止しましたよね」
「必要な助言です」
「眠れも、助言ですか」
「はい」
「断ったら?」
「眠るまで見守ります」
「それを監視と言うんです!」
エレオノーラが小さく頷いた。
「見守ることは大切です」
「王女様まで加わらないでください」
「孝太郎は、自分に関する命令だけ無視する傾向があります」
「命令が多すぎるんですよ」
「必要だからです」
「お前は人間の王女に飼われているのか」
リュシアが真顔で尋ねる。
「飼われてません!」
「では、なぜ食事まで管理される」
「共同責任者だからです」
「便利な言葉だな」
「俺も最近そう思います」
「孝太郎」
エレオノーラの声が低くなった。
「冗談です」
「半分は本気でしたね」
「三割くらいです」
「増えています!」
俺は椅子へ座った。
「とにかく、食べてもいいですか。目の前に料理を並べられて待たされるのは、かなりつらいです」
三人が顔を見合わせる。
「まずスープです」
エレオノーラが言う。
「森の粥が先だ」
リュシアが言う。
「少量の水を飲んでからにしてください」
セラフィナが言う。
「俺の夕食ですよね?」
「そうです」
三人の声が重なった。
「では俺が決めます」
水を一口飲み、スープを少し食べ、粥も口へ運ぶ。
「どうだ」
リュシアが身を乗り出す。
「苦いです」
「薬草が入っているからな」
「でも前の苔汁よりは、おいしい」
「比べるな!」
鶏肉へ手を伸ばすと、セラフィナが止めた。
「よく噛んでください」
「分かってます」
「今、三回しか噛みませんでした」
「数えてたんですか?」
「十二回は噛んでください」
「子供じゃないんですよ!」
「子供でも、もう少し自分の体を大切にします」
フィルやルーカスの顔が浮かんだ。
たしかに、あの二人の方が俺より食事へうるさいかもしれない。
「芋も食べてください」
エレオノーラが皿を寄せる。
「粥が冷める」
リュシアも器を寄せる。
「一度に口へ入れすぎないでください」
セラフィナが水差しを持つ。
「近い近い!」
三人が卓を囲み、俺が何をどれだけ食べるか見張っている。
「食べづらいんですけど」
「気にしなければよいでしょう」
エレオノーラは平然としている。
「見られてると気になりますよ!」
「森では皆で食べる」
「ここまで監視しませんよね?」
「お前が普通に食べれば、見る必要はない」
「普通に食べてます!」
「野菜を避けましたね」
セラフィナが即座に指摘した。
「避けてません。最後に食べるだけです」
「先ほど豆も端へ寄せました」
「細かい!」
「孝太郎」
エレオノーラが真剣な顔で言う。
「好き嫌いがあるのですか」
「ありません」
「では食べてください」
「今から食べますよ!」
俺は根菜を口へ入れた。
三人が一斉に頷く。
「何なんですか、この会議」
「健康確認だ」
「食事指導です」
「共同責任者としての監督です」
「言い方が違うだけで、全部監視ですよ!」
◇
夕食の途中、古代麦の第二回試験について話し合うことになった。
話し合いというより、俺が食べながら説明し、三人が口を挟む形だった。
「森から月の水を運んできた」
リュシアが小さな壺を卓へ置く。
透明な水だった。
見た目は普通の水と変わらない。
「本当に満月の夜に汲んだんです?」
「ああ」
「別の日の水と違いは?」
「精霊の力が強い」
「それを確かめる方法は」
「森の者なら触れば分かる」
「俺には分かりません」
「鈍いからな」
「人間全体の問題では?」
セラフィナが壺へ手をかざす。
淡い光が指先に集まった。
「わずかですが、生命力を支える性質があります」
「魔法の水なんですか」
「魔法というより、森の力が溶け込んでいるのでしょう。ただし、それが発芽へ必要かは分かりません」
「なら、比較できます」
俺はパンを置き、紙へ手を伸ばした。
すぐにセラフィナに取り上げられる。
「食事中です」
「思いついたときに書かないと!」
「口で説明してください。私が書きます」
「聖女様を……じゃなくて、セラフィナさんを書記にするのは恐れ多くないですか」
「字はあなたより大きく書けます」
「そこ、まだ言います?」
セラフィナが炭筆を持つ。
「どう比較するのです」
「種を五つに分けます」
「また分けるのか」
リュシアが不安そうな顔をした。
「今度はもっと少量です。一つ目は何もせず植える。二つ目は普通の井戸水へ浸す。三つ目は月の水。四つ目は一度沸かして冷ました月の水。五つ目は森で月の水へ浸し、そのまま森の土へ植える」
「なぜ月の水を沸かす」
「沸かしても効果が残るなら、水に含まれる成分が関係しているかもしれない。消えたら、熱に弱い何かや精霊の力かもしれない」
「精霊を煮る気か!」
「水を煮るんです!」
リュシアが本気で嫌そうな顔をする。
「月の水を火にかけるなど、長老が許さない」
「壺全部じゃありません。杯一つ分だけ」
「駄目だ」
「理由を調べるためです」
「森の恵みへ、意味があるか試すなど」
「リュシア」
セラフィナが穏やかに呼ぶ。
「孝太郎さんは、森の恵みを否定したいのではありません」
「では、何だ」
「人間の土地でも、同じ条件を作れるようにしたいのでしょう」
「そうです」
俺は頷いた。
「古代麦を育てるたび、満月の夜に森の泉まで水を汲みに行くのは無理があります。必要なら必要で、なぜ必要なのか知りたい」
「すべてのものへ理由が必要なのか」
「必要じゃないものもあります」
「例えば?」
「王女様が、俺の膝を確認したがる理由とか」
「孝太郎!」
エレオノーラが顔を赤くした。
「今それを出しますか!」
「聞かれたので」
「私は怪我を確認しているだけです!」
「その話は何度聞いても妙だな」
リュシアが腕を組む。
「妙ではありません!」
「孝太郎さん」
セラフィナまで真剣に尋ねる。
「膝に古傷があるのですか」
「ありません」
「では、なぜ確認を?」
「転ぶからだ」
リュシアが答えた。
「いつも転んでません!」
「三歩で転んだ」
「一度だけです!」
セラフィナが何かを紙へ書く。
「何を書いたんです?」
「転倒しやすい、と」
「患者記録へ追加しないでください!」
エレオノーラが口元を押さえて笑っている。
腹立たしい。
けれど、彼女がこんなふうに笑えるようになったのは、悪いことではないと思う。
「比較試験は必要です」
エレオノーラが表情を戻した。
「ただし、再び種を失う可能性があります。参加する農民と森の長老へ、条件をすべて説明しましょう」
「もちろんです」
「失敗した場合の公表方法も、先に決めます」
「王女様、慎重になりましたね」
「前回の失敗から学んだだけです」
「いいことです」
「褒められると、なぜか腹が立ちます」
「リュシアと同じこと言ってる!」
「一緒にしないでください」
「私も同じにはされたくない」
「どうしてそこで喧嘩するんですか!」
◇
食事を終える頃には、俺の腹は久しぶりに満たされていた。
野菜も食べた。
豆も食べた。
森の粥も、結局全部食べた。
「もう十分です」
俺が匙を置くと、三人が皿を見る。
「芋が半分残っています」
エレオノーラ。
「粥の木の実を一つ残した」
リュシア。
「水をもう一杯飲んでください」
セラフィナ。
「まだ続くんですか!」
「残すのですか」
「食料不足の国で?」
エレオノーラの一言が一番強かった。
「食べますよ!」
残りを口へ入れる。
そのとき、廊下から激しい足音が聞こえた。
「孝太郎殿!」
扉が勢いよく開く。
飛び込んできたのは、カレルの村から来た若い農夫だった。
息を切らし、全身泥だらけになっている。
「どうしました!」
「試験畑が!」
俺は立ち上がった。
椅子が後ろへ倒れる。
「また黒い水ですか。それとも種が腐った?」
「違う!」
農夫は何度も息を吸い、震える手を前へ出した。
その指先には、湿った土がついている。
「土が割れたんだ」
「割れた?」
「種を埋めた場所だけ、下から持ち上がってる。まだ何も見えてねえ。でも、畑の土が動いてる!」
部屋の空気が止まった。
エレオノーラが俺を見る。
リュシアは耳をぴんと立てた。
セラフィナは、いつの間にか祈るように両手を組んでいる。
「行きます」
俺が言うと、三人が同時に立ち上がった。
「私も行きます」
「私もだ」
「私も参ります」
「夜ですよ?」
「孝太郎が言うことですか」
「お前一人では途中で転ぶ」
「暗い畑では怪我をする可能性があります」
三方向から反論された。
「では、全員で行きましょう」
俺たちは王城を飛び出した。
たった一粒の種が、土を押し上げた。
まだ芽が出たとは限らない。
また失敗かもしれない。
それでもその夜、誰一人として、朝まで待とうとは言わなかった。




