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星ひらく聖女  作者: なな太
2/2

2.

 あれはいつのことだったろう。


「お前の魔法はやさしいな」


 花びらのかたちをした手首の痣をみつめながら、ヒイラギがぽつりと言った。旅に出て、しばらく経った頃だったように思う。


 サリュは、その身ひとつでは彼のように自在に魔法をあやつることはできない。手首に花びらの痣をやどし、聖女の称号を戴いてから、器として限られたスペルを唱うことができるようになったのみだ。


 いわば借りものでしかないはずのそれに、そんな言葉をかけてくれたヒイラギの本意はわからなかったけれど、サリュは微笑を浮かべるにとどめた。


 澱を吸いこみ、衰弱していくばかりの自分を気遣ったせりふであることは、疑いようがなかったからだ。



 『星の澱』と呼ばれる穢れが、いつからこの星を侵しはじめたのかはわかっていない。


 穢れた地には誰も住むことができなくなり、魔獣の棲家となるのみならず、その穢れは周囲にじわじわと広がってゆく。

 なすすべもなく、潰えるのを待つばかりだったこの星に、はじめて聖女が誕生したのは千年ほど前のことだ。


 最初は、偶然だったのだという。


 とある島国で、穢れが消失した。それは瞬く間に口伝えで広まり、ひとりの少女が祭り上げられた。


 手首に花の痣を宿した少女。彼女がひとたび訪れた場所は、穢れが浄化され、植物が芽吹き、人の住まう大地へとよみがえる。


 それがただの流布ではないとわかったとたん、各国は躍起になってその少女を求めるようになった。

 やがてそれは、少女の所有権をめぐる国同士の争いに発展する。戦による疲弊と、『澱』による被害とで、星は修復が困難になるほどの打撃を受けた。


 そうしてできたのがフィオール教だ。聖女を管理するために生まれたその団体は、どの国にも属さず、どの国の益にもおもねらない自治組織として、当初はそれこそ構成員も聖女の親族のみの小さな団体だったのだという。


 けれど、聖女の力の所以を紐解き、その神秘を握るようになって、それは大きく様相を違えた。

 いまや、いずれの国をも凌ぐ権力を備え、あまたの国々を事実上従えている。



 聖女の神秘。


 それは、聖女のみが使役できる魔法のことだ。穢れを消失させる魔法は、手首に花の痣を宿す少女にしか行使できない。

 聖女はその魔法によって、文字通り己の身に穢れを引き受けるのだ。器に限界が来るまで。


 器に限界がきて命を落とすと、あらたな聖女が誕生する。

 輪廻そのものの神秘もフィオールのみに秘匿されていて、聖女とされた少女にも知らされることはない。

 誰しもに伝えられていることはただ、聖女が澱を封じなければ星は生き永らえることができず、器とされた少女がその定めから逃れ得ることはできないということだけだ。


 だからサリュも、命がつづく限り澱を封じ、いずれ限界がきたときにはまた別の少女にバトンを渡す――その役割を担って、聖女の後ろ盾となる教会の支援をうけながら生きてきたのだ。すくなくとも、手首の痣が聖女のそれであると認定を受けてからは。


 準備が済んで、穢れた土地に旅立つことになったときには、それまで聖女としてだけではなくサリュ自身を慈しみ世話をしてくれた皆の幸福をこころから祈った。

 彼らのいのちを守るために自分は聖女になったのだ。そんなふうにも、思った。




 澱の源泉にサリュが柱となってとどまれば、次の聖女を生むことなく星を守れるかもしれないことがわかったとき。


 言い知れない喜びをおぼえたのは、けれどもこの定めに抗いたいとどこかで思っていたからだろうか。サリュの目の前にうずたかる、多くの少女たちの犠牲が報われるかもしれない。それはたしかに甘美な希望だった。


 迷わなかったといえば嘘になる。星秘術――星柱となるためのスペルを見出した研究者たちに緘口令を敷いてまで、サリュの耳に入らないよう配慮してくれていたヒイラギやほかの仲間たちの思いを感じ取らずにはいられなかったから。


 けれどサリュには時間がなかった。目の前にある希望にすがるよりほかなかった。

 たとえそれが可能性のひとつに過ぎず、ただの一時凌ぎでしかなかったとしても。もう二度と、愛おしいひとたちに会えなくなるのだとしても。

 あのときの自分には、きっとその道しか選べなかった。




 ゆるやかに浮上する意識とともに瞼を押しひらく。暗がりのなかで、黒みがちな青い瞳がつめたく光る。ヒイラギの瞳だ。


 夜が更けた時分であることは空気でわかった。先ほど目覚めてから、長い時間が経過しているはずだ。ずっと付き添ってくれていたのだろうか。


 そろそろと見上げたら、ヒイラギはどこか苛立たしげに眼差しを逸らした。


「うまく騙せたと思っていたんだろう。残念だったな」


 サリュは目をみはった。

 とっさに言葉を返そうとして、なにひとつ声にならないことに戸惑う。


「……っ」


 喉に手を抑えてもがくけれど、息ばかりがあがって苦しい。困惑に瞳を揺らしながら、波打つシーツを見つめた。


「サリュ?」


 あの頃のそれよりも低く、柔らかさをまとった声に名前を呼ばれる。気づかれてしまう前に、どうにかして応えたいのに、喉はひゅうひゅうと掠れた音を鳴らすのみだ。


 さすがに誤魔化しきれない。


「……お前、声が、」

「――」


 サリュはちいさく息をこぼした。こうなってしまった以上、ずっと隠しおおせるものではないし、いまさらだ。


 ヒイラギの言う通り、騙したと捉えられても仕方がないことを自分はしたのだから。


 どうして戻ってくることになったのかはわからない。もしかしたら星柱になるためには力が足りず不完全だったのかもしれないけれど、結末は変わらない。役割を果たしたら、眠りにつくことになる。


 ベッドサイドにあったペンと紙を取って、さらさらと書き記した。


『ごめんなさい。不便だけれど、これで』

「……」

『ふふ。その顔、ひさしぶり』


 その顔がどんな顔なのか彼には伝わっているはずだけれど、表情はぴくりともうごかない。それでも、かすかに口もとを和らげたことはわかった。


「あの日から、どのくらい経ったかわかるか?」


 ふるふると首をふると、ヒイラギは嘆息気味にためいきをついた。切り替えるように、膝に置いた両手を軽く握りこむ。


「……いや、気にしないでいい。焦る必要はない。時間はたっぷりある」

「……」

「お前こそ、その顔。信じてないだろう」

「、」

「本当に大丈夫だ。時間は……ある」


 不自然に途切れた言葉のゆくえを追求しなかったことを、サリュはのちのち後悔することになる。


 けれどこのときは、瞬きのあいまに彼を見つめることしかできなかった。

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