推理編
「朝被害者に手紙で呼び出されて、放課後の5時頃美術室を尋ねると、既に死んでいた、と」
「はい。そうです」
「ん? 美術室には入ってないの?」
「はい。鍵が掛かってましたから」
「じゃあなんで死んでるってわかったの?」
「それは、窓から見えたから」
「死体が?」
「彼女が」
「ふ〜ん、そっか。まあ君も友達亡くして辛いと思うけど、犯人は必ず捕まえるからさ。だから正直に話してね」
「もちろんです。嘘は、ついてません」
警察署から外に出ると、外はもう暗かった。遺体の第一発見者として、随分長いこと取り調べを受けた。
帰り道、河川敷を歩く。ふと、川を覗いてみた。
そこには電灯の灯りに照らされた、ひどい顔があった。
石を一つ落とすと、ゆらゆらと波紋状に顔が揺れる。
なんで。
「う…ああ……」
なんで、こんなことに。
「う…ああ……あああ。うあああ」
「泣いてんの?」
後ろから声が聞こえた。川面には、私の後ろに一人の人影があった。それは、つい昨日知ったばかりの姿。転校生。名探偵。
「喉を鍛えてただけよ」
私は平坦な声を絞り出す。
「君は、裏表のあるってかんじじゃないけど、常に性根を覆い隠してるかんじだよね。コインじゃなくてお饅頭」
「そういうあんたはサイコロだね」
「名探偵だからね。六面と言わず二十面くらいは持ってるさ」
「それじゃあむしろ怪人じゃない」
「探偵は犯人になりきってこそそれが何かわかるのさ」
「それじゃああんたは人殺しだね」
「ああ、僕は人殺しさ」
「…………」
「…………」
水が流れる音が、いやに大きく聴こえる。轟轟とうねりたけり、いつもより水かさが増している気がした。上の方で大雨でも降ったのだろうか。そんなどうでもいいことばかりが、頭の中を支配する。
「仲が悪かったように見えたけど」
名探偵は言った。そういえば昨日、あの場にこいつもいたんだっけ。
「見る目がないのね、名探偵。言ったでしょ。あいつは友達親友大親友よ。嫌ったり、憎んだり、ましてや死んでほしいなんて思ったことなんて、ない」
「悔しいの?」
「情けないのよ。知ってる? 第一発見者ってのは、イコールで容疑者筆頭らしいよ。ああ、あんたもその提唱者の一人なの? 名探偵」
「冗談。僕は皆を平等に疑う。筆頭がどうとか考えやしないよ」
「つまりは私も容疑者の一人ってわけだろ。確かに私にはあいつを殺すことができたのかもしれない。いや、私にしか出来ないのか…… それでも。私は」
「僕は名探偵だ。今までいくつもの殺人事件を解決してきた」
「知ってる」
「密室や、ダイイングメッセージ、ミッシングリンクとか多岐にわたる謎を解き明かした」
「知ってる」
「僕なら、殺人事件の犯人を暴くことが出来る」
「知ってる」
「罪を償わせることが出来る」
「知ってる」
「それならあとは簡単だ。僕にま」
「私も…… 私にも、手伝わせてくれ。許せない。赦せない。指をくわえて見てるだけなんて、私には出来ない」
右手をすっと、前に出す姿が、川面にうつった。
私は後ろを振り向きようやくそいつを、名探偵月内星太の顔を正面から見た。その目は真っ直ぐに、こちらを見ていた。
握手を求めるその右手に、私は左手で、その手首と、手の甲を覆うようにして返す。
「僕はチンパンジーじゃないよ」
彼は苦笑した。
「知ってるよ、名探偵」
私は失笑した。
――――
「おーはーーよっ!」
私は沙絵に背中からガバッと抱きついた。
「あ、そらちゃん、おはよ、その……昨日、」
ああ困った顔をしている。当たり前だろう。あの事件についてはもう知っているだろうし、この子は優しいから、だから私に対してどう接すればいいのかわからないのだろう。
でも、私は……
「ねえ、知ってる? 今はマイナス金利政策っていってね、日銀に預けるとお金がどんどん減ってっちゃうんだって」
「うん、企業が投資にお金をまわすようにですよね? でも、それがどうしたのですか?」
私は沙絵の首に回している腕の力をくっと強めた。
「そんな本末転倒みたいなことで、事態が好転するわけないのにね」
「…………」
「だから、大丈夫だから、だから、ありがとう、大好き」
「無理、しないで」
「無理はしないよー。するとしても無茶だけっ!」
私はニッコリと笑った。
「ふふ、同じですよ、それは」
私達はそれから、いつものように、冗談を言い合って、ふざけ合った。日常。
――――
「今回の事件で一番のネックはなんだと思う?」
放課後、学校の廊下を歩きながら、私と月内君は話し合いを始めた。
「密室だよねー。現場の美術室には鍵がかかってた。もちろん窓は全部しまってて中からしかあかないからねー」
「ん。まあ結局はそこになるんだけどネ。鍵を持ってるのって、誰? 確かドアは外から鍵かけられるんだよね」
「そだね〜。えっとお、美術室の鍵を持ってるのは、美術部員、美術部顧問、あとは職員室に一つかなー」
「と、いうことは美術部員は、違うんだっけ」
「うん、美術部員は一人――つまりはあいつを除けば、13人全員がコンクールの為に地方に行ってるからねー。皆キチンと鍵は携帯してるはず。かくいう私も鍵はしっかりとカバンに入れてるしね〜。そこらへんは皆もしっかりしてたよー。因みに顧問の足波先生も引率で同じく。そしてあいつの鍵はあいつのカバンに入ったままだった。つまりあと残るは、職員室にある一つのみ」
「しかしそれも持ち出された形跡はない」
そう。だからこその密室である。誰も鍵を開けられない。転じて誰も鍵を締めることは出来ず、それは犯人が外に出ることの不可能性を意味する。
「23/38だっけー?」
「いや、正確には24だよ。下峠洋館殺人も実は密室が肝だった」私の数字だけの一見意味のわからない言葉に、月内君は間を置かずに反応を示した。その数字がなにを示すのかを理解して。「僕が密室殺人に出会い、同時に解決した回数でもある」
名探偵月内星太は密室を暴く。その実績と経験が確かに存在する。
「とは言っても現場を見ないことには推理しようもないけどね」
「だからこうして美術室に着いたわけね〜」
美術室はロープのようなもので封鎖されていた。警察がはったのだろう。殺人現場への立ち入りを禁ずるために。しかし月内君はそれをものともせずに中へと入っていく。私もそれにつづいた。
美術室に入ってすぐに目につくのは白いテープ。人型を縁取られ床に貼ってあるテープだった。ここに、あいつが倒れてた…… 胸が締め付けられる思いがした。
さらにその隣には1枚の描きかけの絵が落ちていた。これを描いている途中にやられたのか。女の子が二人、寄り添うようにしている。美しい絵だった。
写実主義、リアリズムが好きで、モデルがないと描かないと、そう言っていたこともあったっけ。するとこの絵のモデルは誰なのだろう。両方、見たことのある子に見えた。すごく身近にいるような、そんな気がする。しかし、その絵には血が飛び散っていて、全容は把握できなかった。特に、一人の顔の部分にモロにかぶさるように血がかかっていたため、判別は難しい。
モデル……? もしかして、ここにはこの子達が……? だとすると、もしかしてこれが犯人の手掛かりに、?
「凶器は?」
美術室内を散策していた月内君は唐突に言った。
考え事をしていた私は完全に不意をつかれ、そして、あわてて、何か大事な気づきを見落としたような違和感だけが残る。
「えっと、確かモンキーレンチ」
「つまり美術室の備品。そして、これまた備品のエプロンが返り血を浴びた状態で落ちていたで、いいんだよね」
「そうだねー。犯人はそれを着て犯行に及んだあとに脱ぎ捨てた、というところかな〜」
「だろうね」そこで月内君は少し思案するように頭をかく。「じゃあ何かなくなっているものは無い? 例えばそう、ゴム手袋とか軍手とか……」
ゴム手袋は流石に何個あるかわからないので私はまず軍手の棚を探って、数を数えた。
「1,2,3,4,,、と、あれ? 一つ足りない。誰か持って帰っちゃったのかな〜」
月内君はこくりと首肯した。
「そうだね。持ってったんだろうね。犯人が」
「あ」
その一言で私は気づいた。凶器は落ちている。そしてそこに指紋はついていない。であれば、拭き取ったか、或いは、もともと軍手をつけて凶器にふれていたか。そして今回は後者だったわけだ。証拠となる軍手は犯人が持ち去った。だから一つ無くなっている。
「じゃあその軍手を持っている人が犯人っ!」
「と、上手くいけばいいんだけど、たぶんもう処分されてるだろうね」
勢い込んだ私をさらりと否定する名探偵。まあいいんだけれどもね。
つまり進展はなしか。
「でもこれではっきりしたことがある。だからこそおかしいけれど、でもそこはそもそもそうだったとすれば、最初の目的が違ったのだとしたら」
月内君は一人でブツブツつぶやき始めた。はっきりしたこと? おかしい? なにが? もう何かわかったの?
そこで月内君は屈み込んだ。調子でも悪くなったのかと思ったが、違ったようだ。彼は、絵を見ていた。あいつが最期に描いていた絵。遺作。それを、じっと見る。じっと見て、そして次に私の顔を覗き込んだ。
「え、、! な、なに?」
私はうろたえて数歩後ずさってしまった。顔を、赤くは、していない……はずだ。
10秒か、もっと長くか、時間が経ち、そして月内少年はすっと目を下に――絵に向ける。
そして、呟いた。
「ああ、なるほど」
と。
人心地付いたように、そう言った。
それからこちらを向いて、にっこりとわらった。
「じゃあ帰ろうか、そらちゃん」
「…………え? いや、いやいやチョット待って」
もちろん私は呆然とする。何故そうなる? まさかもう、
「解け、たの?」
思わず口をつく。
「まあ大体は。でもまああとは明日の放課後答え合わせかな。あ、だから明日もよろしくネ」
「いや、それはいいけど、でも、」
さすがと言うべきか。高校生名探偵の名は伊達じゃないと言うべきか、それとも犯人が間抜けなのか、いや、やはり。
私はそこで彼の通り名のうちの一つを思い出した。
「『光速魔術師』……」
彼の解決する事件はどれも驚異的な短期間で収束している。それは彼の推理力の高さを露呈に表す。光の速さで解決する、魔術師のように鮮やかな手際。通り名は伊達じゃない。
すると、『光速魔術師』こと月内星太はうへっとあからさまに顔を捻じ曲げた。
「それ、嫌いなんだよね。それに限らずなんかいろんな言い方あるらしいけどさ、出来ればやめてくれるとありがたいかな」
どうやら自称ではなかったらしい。流石にこれらを自称していたら、驚きだ。
「それよりも、」と、月内君は私を指さした。「キャラ、崩れてるよ。案外脆いんだね、お饅頭はお饅頭でも、薄皮だったかな」
うっ、と私は口を噤む。こいつに会ってからペースを崩されっぱなしだ。私は気持ちを切り替えるように首を振った。
「じゃあ帰ろーか〜。明日、教えてくれるんでしょー」
「そうだね。全ては明日だよ」
そうして、私達は美術室をあとにした。
「そういえばさあ、学校側も、なんというか無感情というのかなー。あんなことがあったのにその次の日ふつーにあるんだもんねー」
私はそんな雑談を始めた。事件についてはもう教えてはくれなそうだし、かと言って黙っているわけにもいかずに、特に考えもせずに口を開いた。
「そりゃあそうだよ。あんまりおおっぴらにすると、生徒に悪影響だってんでいつも通りを心掛けてるんだよ。結局連絡網的なのは昨晩まわってこなかったし、朝のホームルームでも美術室に近づかないように、てだけだった。事件を知らない生徒も多くないかもね。もちろん落ち着いた頃に発表されるとは思うけどね。いつまでも隠せてはおけないし」
月内君は割と流暢に語った。たぶん、何度も経験があるのだろう。事件を解決した回数というのは事件に遭った回数に直結する。
そこで、私は違和感を感じた。何かが、引っかかる。なんだ? この話自体にはおかしなところはない。
いや、賛同する訳ではないし、反論もしたくはあるが、しかし、合理的ではある。身近な所で殺人事件が起きたとなったら、生徒にどんな悪影響が及ぶかわからない。不安を煽ることになるのは当然だし、それ以上に、何が起こるかわからない。
そして、さらに学校のイメージがある。殺人事件が起きたというレッテルの貼られた学校に未来があるとは思えない。だからこそ、隠そうとする。それは、いい。
そこに矛盾はないし、違和感も生じない。
じゃあ、この違和感はなんだ?
あ…………………、、、、、、
大半の生徒は事件を知らない。だとしたら、朝のあの態度はなんだ?
人の口に戸は立てられぬというし、どこかで誰かに聞いたという可能性は否めないけど、あの子に、そんなに友達がいるとも思えない。そうであってほしい。誰かに聞いたとか、聞き耳を立てたとか、そんなであってほしい。
でも、やっぱり、まさか、、
まさか、その上で、そういう結末が用意されているのだといたら!?
「ごめん、用事できたから帰る」
私は駆け出す。走る。走る。廊下走り、校庭を突っ切り、道路を駆け抜ける。
私はそんな結末望まない。