第4話 『似た者同士』
「―連絡は以上だ。それじゃお前たち、気を付けて帰れよ。」
キオの言葉に、クラスメイトが思い思いに動き始める。
太陽が空を茜色に染めている頃合いは、ホームルームが終わり、放課後になったことを意味していた。
部活に行くためにそうそうに荷物をもって退散した者もいれば、教室内に残ってお喋りに励む者もいる。
まさしく自由な時間といった様相だった。
キオが教室を後にしようとしたところで、「ああ、そうだ。」と何かを思い出し、
「シロ、お前は後で職員室な。」
「本気かよ…。」
シロにとっては信じがたい通告に念を押して去っていった。
仮に本気だったとしたら何が起きるんだろう、とシロは考える。
反省文とか書かされるのだろうか?
『普段仲のいい女友達を勢いで襲ってしまいました。』と。
事実無根のクロの夢の話とはいえ、そんなものは書きたくない。
シロは隣席の悪友に目をやる。
その視線には、お前の所為だぞという恨みが込められていた。
だがクロは机に突っ伏して惰眠を貪っているのだった。
昼休みが終わって以降、満腹感からなのか午後の授業は爆睡して過ごしていた。
クロのそんな行為を教員達がいさめないのは、”役割についている人間の行動”には基本的に寛容だからである。
授業中に居眠りするのは勿論、教室を出ていったって「どこか具合でも悪いんだろう。」と深く追及してくることはない。―キオはその範疇ではないが。
「じゃ、わたし先帰るねー。」
自分に向かって発せられたであろうことを察知したシロは、その快活な声の元に視線を移す。―センだ。
「起こしてかなくていいのか?」
シロは隣の眠り姫(いや食っちゃ寝魔人)を指さす。
同じ女子寮に帰るのだから、クロはセンと一緒に帰ることが多いのだ。
「寝かしといてあげようよ。目を覚ますなら、王子様のキスがいいだろうしね。」
「王子様をわざわざ探すのか。気の長い話だな。」
「三百人くらいなら割とすぐ見つかるって。」
言われてみればその通りだ、シロは「それもそうだな。」と納得する。
人類の絶滅がすぐそこ、そんな世界になって十年経っているが、それでもこの日常に身を置いていると忘れることもあった。
それだけ『現実』と『日常』に差があるということだ。
「って!すっとぼけるのもいい加減にしなよ!」
「センこそしつこいんじゃないか?クロとはそんな関係じゃない。」
「今は、でしょ?それにほら、周りがそう言ってるうちに好きになるかもしれないじゃん?」
今朝がたクロも言っていた『恋愛によくある話』の一つなのだろう。
クロとセンが二人の時はどんな話をしているのかは知らないが、そういう話をするのが好きなのかもしれない。
ある意味、恋話だし。
「なんだ、周りから求められてるのか?俺たち。」
どうにもクロとの関係の発展を望むように聞こえたシロは、センに問う。
ホームルームでのクラスメイト達を見るに、”周り”というのが例えではないような気がしたのだ。
「結構やきもきしてる人多いらしいよ?この間は寮の壁に穴空いてるの見つかったってさ。」
センの語った事実にシロは慄いた。
センのいう寮とは女子寮のことなのだろうが、だとしたら凄い人もいたものだ。
昔、『壁ドン』と呼ばれていた行為だろう。
破壊行動まで含んでいるのかは知らないが。
「しかし…よく寝てるな。」
シロは名も知らぬ剛力な生徒にしらけつつ、会話を区切るように言った。
そして再びクロへ視線を移す。
クロは未だ眠りに落ちたままだ。
そんなクロを見ていると、現実の非情さや理不尽さを感じずにはいられなかった。
「授業寝てるくせに、なんでこいつは成績いいんだろうな。」
シロは受け入れがたい事実にぼやく。
もっとも”世界の”現実ではなく、”学生の”現実の話だが。
テストの点数が良い人は「勉強なんてあんまりしてないよ。」と言うのがよくある話だ。
だがクロに関して言えば、その言葉の説得力が雲泥の差だ。
「案外、影で努力してるんじゃないかな?」
センが小首を傾げる。
センもそのあたりは知らないようだ。
クロが本当に影で努力しているのならセンが知らないのは当然だが、
「…クロが?」
「ごめん、多分ないね。」
「謝るなら本人に言ってやれ。」
クロという人間の人柄と合致しない。
バレないようにカンペを見る作戦を練っている方がクロのイメージに合っている。
「ば、バレなきゃいいんですよ。バレなきゃ。」
センはバツが悪そうに目を逸らす。
目の前によく一緒にいる人間がいるというのに信頼されたものだ、とシロは心の中で皮肉った。
「悪い友人だな。」
シロは悪い笑みを浮かべ、率直な思いをセンに告げる。
「その役はシロに譲るよ。それじゃねっ!」
シロの言葉にセンは狼狽えるでもなく、華麗にいなして教室を後にしようとする。
そういえば帰りを引き留めているのだった。
「おう、またな。」
シロはセンに別れを告げ、その背中を見送った。
そして気付く。
センと駄弁っていて気が付かなかったが、教室にはシロとクロしか残っていなかった。
残っていた生徒はセンのように帰ったり、教室なんて面白くもない場所ではないどこかに場所を移したのだろう。
室内は静まり返っているが、校庭で行われる部活動の声や音といった学校特有の環境音が聞こえてくる。
センの言っていたように”周り”の人間が気を遣った、というのは考えすぎだと思いたい。
さて、とシロは席から重い腰を上げる。
忘れたわけではない、キオに職員室に呼ばれているのだ。
腰も重くなるというもの。
シロは荷物を持ち、(――クロは起こさなくてもいいか。)教室を後にしようとしたところで、
――あいつ忘れてそうだな…。
クロが『掃除当番』という罰(?)を平気で忘れていそうな予感がした。
それに気づいてしまったシロの足が止まる。
気付いたが最後、シロはそれを無視できそうにない。
シロはその場で反転、今も眠り続けるクロを見る。
『日常』の空を茜色に染める日の光が窓から注ぎ込まれ、室内もそんな空の色に染め上げられたような色に見える。
そんな教室内に男女が二人きり。
クロなら、「これ、告白シチュエーション?」みたいなことを言い出すのだろう。
「しょうがねぇな…。」
シロは基本的にお人よしなのだが、それに反して厄介ごとは好まない。
それらが混じり合って、”気付いてしまったら助けなきゃ気が済まない”という一息に”善い人”とは言えない男になっていた。
見て見ぬふりをすると、どうにもそれが頭から離れなくてかえってイライラしてしまう。
「しょうがない。」には、そんなイライラを迎えるくらいなら、という意味が込められた半ば口癖のようなものだった。
ため息をついたシロは、また席に戻り荷物も置く。
クロを起こしてしまえばいいだけなのだが、起きて早々一人で掃除をさせるのも気が咎める。
見返りを期待してのことではないが、いざという時の貸しくらいにはしておこう。
シロは掃除用具入れを開けた。
本来クロの所為で職員室に呼ばれたのだから掃除を手伝ってあげる義理は彼にはないのだが、シロはそのことに気付いていなかったのだった。
「…んんー?」
机に突っ伏していた少女が顔を上げると同時に、気だるげな声を上げる。
それは目覚めの声だ。
シロが教室を後にして少しした頃、クロが長きにわたる眠りから目覚めたところだった。
眠りに就く前の最後の記憶にある光景が授業中だったため、教室に自分ひとりだけしかいない状況に少し狼狽する。
しかしそんな思いも窓から差し込む夕日の光でかき消され、自身に置かれている状況を理解した。
「起こしてくれればいいのに。」
クロは大きく万歳し弛んだ背筋を伸ばしながら、そう零した。
置いて行かれた事実に、友人たちには恨み言の一つでも考えてしまいそうだ。
クロが眠りこけている間に良い方の友人に半ば貶されていたり、悪い方の友人が自身に課せられた罰を肩代わりしていたり、そんなことは当然彼女は知る由もない。
「かえろ。」
クロは一人つまらなげに呟く。
ふう、と一息つき席を立って荷物を持つ。
さすがに一人で馬鹿を言って騒ぐほどの図太さ、いや愚かさは持ち合わせていない。
「…あ。」
帰ろうと思っていたクロはその時、唐突に思い出す。
そうだ、掃除当番を命じられた(押し付けられた)のだった。
クロは、少しムスッとして教室を見回す。
帰ろうと思っていたのに、とんだ足止めだ。
「……?」
独りぼっちで掃除することになって一抹の寂しさを感じたのだが、どういうわけか掃除の必要がないではないか。
床も黒板も綺麗そのものだった。
「ラッキー、かーえろっ。」
クロの声が弾んだ。
なにはともあれ面倒なことをしなくて済んだのならいい。
クロは特に追及することもなく教室を出ていった。
だがそこでまた思い出す。
「そういえばシロが職員室に呼ばれたんだっけ。」
掃除当番のことを思い出したためか、芋づる式に頭に表れたものだ。
シロに恨みがあってのことではないが、少し気の毒に思う。
「しょうがないなぁ…。」
クロはため息をついて、シロの手伝いをしに行くことを決意する。
もともと罰が与えられたのはシロが『現実』を見ていたからだ、クロはそう考える。
『現実』をいつものように見るシロは、正直見ていられなかったのだ。
それは『日常』を生きていくには必要がないような気がして、声をかけずにいられなかった。
だがそんなことより、なにより面白くない。
「また面白くなるかもだしねー。」
職員室に呼び出されたシロを弄るネタになるかもしれない、そんな思いがクロの顔をニヤリとさせる。
とはいえ若干の責任は感じてはいた。
言ってしまえば自分のお節介が招いたこと。
もっともシロに言う気も、気取られる気もさらさらない。
クロは職員室へ歩を進めるのだった。
【桜が散るまであと二日】