10話 間話・その3
堤防を乗り越えた川は、一気に人々の住む領域へと押し寄せた。
そして、彼も、泡立つ濁流と共に、矢のように押し流されていった。
人々の領域に近づいた時、彼は飛沫となって、ついに水の外に投げ出された。
人々の気配が感じられた。
その刹那、彼は思い出した。
自分が既に死んでいることを。
自分を裏切ったすべてのものに遺書という仕返しの爆弾を残し、首を吊ったことを。足が椅子から離れた瞬間、どうしようもなく苦しく、理不尽な怒りが込み上げてきたことを。
そして、死んでからこの川に辿りついたことを。
彼は理解した。
本来であれば、海へと運ばれる間に、彼はすべての感情や記憶といったものをゆっくりと川に剥ぎ取ってもらっていただろう。
本来であれば、暖かな海に揺られ、自身から剥がれ落ちたそれら感情や記憶と共に、やがて天へと昇って行ったであろう。そしてそれら俗なものものを雲として置き捨て、恵みの雨となるのを横目に見つつ、彼自身は次の輪廻につつがなく移ったことであろう。
しかし彼は海に行きつくことが出来なかった。
水煙となって、余計なものを抱えたまま川から放り出された。
彼は怒り狂った。
そう、怒りこそ彼に残されたただひとつの感情。
友達面した裏切り者への怒り。際限なく自分に当り散らす両親への怒り。自分を見捨てて平安のうちに先に川へ入った少年への怒り。おそらく彼は順当に海へと辿りついたことだろう。
彼はそうした怒りに任せて自ら不条理な記憶を捨て、霧となって人々のいる方へ漂っていった。




