プロローグ
新しく連載を開始しました。
プロローグは不穏な空気ですが、けっして暗い話ではありません。
いつもは廊下を走ったら怒られるのだけど、今日は誰も私のことを気にしてなんかいない。
廊下を走り抜け中庭に続くホールに向かうと、ガチャガチャと鎧が鳴らす音や、誰かの泣き声、そしてたくさんの人の話し声が聞こえてきた。
「お父様!」
中庭に飛び出したら日差しが眩しくて、一瞬視界が真っ白になってしまったけど、
「アメリア?」
お父様の声を頼りに進んでいくうちに徐々に目が慣れてきた。
「エレンゲン高原に行くって本当なんですか!?」
お父様だけじゃなく、ローズおば様もコンラッドおじ様も装備を整えてすぐに出陣できる姿になっているんだから、答えなんてわかっているくせに聞かずにはいられなかった。
ダンおじ様なんて近衛騎士団の制服に立派な銀色の鎧をまとい、大きな盾と剣を持っていた。
「そうだ。みんなを守るためにもスタンピードを止めなくてはいけないんだ」
エレンゲン高原にたくさんの魔獣が溢れて、ゆっくりと近くの村に向かっていると侍女たちが話しているのは聞いたけれど、うちの領地からはすごく離れているから関係のない話だと思っていたのに、なんでこんなことになっているの?
「じゃあ俺は先に行きます」
「マヒュー、たのんだぞ」
「父上も母上もご無事で」
別れを惜しむローズおば様とコンラッドおじ様に見送られて、マヒューが魔道士と転移していなくなってしまった。
彼はタイラー伯爵家の三兄弟の長男で、仲のいい三つの伯爵家の子供たちの中では最年長だけど、まだ十三歳よ。
「マヒューも!? マヒューもエレンゲン高原に行ったの?」
「アメリア、落ち着くんだ。マヒューは領地に帰ったんだよ。長男だから領地を守らなくてはいけないんだ」
そっと抱きしめながらお父様が教えてくれたけど、そんな言葉では私の不安は消えないわ。
「どうして? タイラー伯爵家の領地はエレンゲン高原から遠いでしょう?」
「……」
なんで答えてくれないの?
お父様が行けば、魔法で魔獣をやっつけられるんでしょう?
コンラッドおじ様もダンおじ様もすごく強くて、ローズおば様はみんなの怪我を直せるのに。
「アメリアもコールリッジの領地を守るんだぞ」
「ダンおじ様?」
「そこそこやれる力はあるんだ。いざとなったら、魔法でみんなを守るんだ」
大きな手で私の頭を撫でながら、ダンおじ様はやさしく微笑んだ。
私が守る? そんなこと出来るわけがないわ。
ダンおじ様はいつも剣の修行をしている時にも、まあ普通にやれている、そこそこいけているって言い方をしてばかりで、よく出来たって褒めてくれたことは一度もないじゃない。
それは私が弱いってことでしょう?
なのにこういう時ばかりそういうことを言うのはずるいよ。
「ダン、女の子を戦わせようとしないで。ユーグもルイスもここに残るから、アメリアは安全なところで家族と一緒にいればいいのよ。無理をする必要はないの」
「ローズおば様、ここも危ないの?」
「そんなことはないわ。でも万が一ということもあるから、その時は逃げて生き延びるのよ」
どういうこと?
お父様やみんなが負けちゃうってこと?
「父上、俺も領地に行きます」
ユーグはダンおじ様の子供で十二歳。
背が高くて、私とふたつしか違わないとは思えないくらいに大人びている。
「駄目だ。ユーグ、うちにはおまえだけしか子供がいないんだ。俺に何かあった時には、おまえがブライアーズ伯爵家を守らなくてはならない」
やめて。……やめて。最後の別れみたいなことを言わないで。
なんでこんなことになっているの?
何が起こっているの?
「アメリア」
お父様に呼ばれて振り返ると、いつの間にかお母様とエメラインが、今にも泣きそうな顔でお父様に寄り添っていた。
「夕べ一緒に作った魔法陣を持っているね?」
「はい」
「いざとなったら、その魔法陣を使ってみんなを守るんだ。アメリアは少しだけ舌ったらずで長い詠唱は苦手だろう?」
「……はい」
「コリンナに似ていてそこが可愛いんだけどね」
お父様がにっこり笑って言うと、隣にいたお母様は俯いて顔を隠して肩を震わせた。
「魔力量は人並み外れて多いうえに、独特な魔力を持っている。魔法陣をうまく使えば、きっと優秀な魔道士になれるよ」
「でもお父様……」
私はそんな言葉がほしいんじゃないの。
どこにも行かないで、このまま屋敷にいてほしいの。
そう言えたらどんなにいいだろう。
「大丈夫。誰ひとり欠けずに戻ってくるよ」
泣きたくなくて、目に力を入れて遠くを見つめた。
私だって長女で跡継ぎなのよ。
女の子でも子供でも関係ない。家族と領地を守らなくてはいけないの。
同じ立場のユーグが泣いていないのに、私だけ泣いては恥ずかしいわ。
「準備は出来たか」
声と共に中庭の中央に、十人ほどの近衛騎士団と魔道士、そして武装した少年が姿を現した。
「アーチ!?」
アーチボルト王太子は、ユーグと同じ十二歳よ。
それなのにお父様たちと一緒に戦うの? 王太子が!?
「やあ、アメリア」
いっせいに皆が話をやめ、姿勢を正し、右手を胸にあてて出迎える中、アーチは私たち家族のほうに堂々と近付いてきた。
十二歳にしては体格がいいけど、大人に囲まれている今はまだまだ少年に見えるのに、金色で王家の紋章が描かれている黒い鎧と黒いマントが、嫌になるくらいに似合っていた。
「なんで王太子のあなたが出陣するの?」
「王太子だからさ。軍隊には指揮官がいるだろう?」
十二歳の子供が戦場に行かないといけないなんて、大人たちは何をしているの?
王国軍は? 近衛騎士団は? 王宮魔道士部隊は?
「心配するな。もうみんな現地に行っている。俺はアメリアの顔を見に来ただけだ」
「私の顔? なんで?」
「相変わらず鈍いな。まあいいや。必ず帰ってくるから、その時に説明するさ」
今にも泣きそうな表情で、私の頬に指先だけそっと触れさせて囁いた言葉は、震えて聞き取りにくかった。
説明なら、今してちょうだい。
待たせるようなことは言わないで。
「さあ、時間がない。出陣するぞ!」
本当に短い言葉を交わしただけで、他の人とは話もしないでアーチは中庭の中央に歩き出し、お父様たちもそれに続いた。
ダンジョンは人間がたくさんいる場所に出現するって学んだのに、どうして今回は、めったに人が行かないエレンゲン高原にできたんだろう。
だから、誰もダンジョンができたことに気付かないで、どんどん魔獣が増えてしまって、ダンジョンから出て高原を埋め尽くすほどになってようやく、素材を採りに行った冒険者が恐ろしい光景を目にして慌てて報告したんだそうだ。
どうして? と、誰も答えてくれない問いがいくつも頭の中でぐるぐるして、ただ平和だった日々が壊れてしまうことが信じられなくて、何も出来ずに立ち尽くしてしまう。
「お姉様」
お父様たちが転移して出陣してしまっても、私と同じようにたくさんの人が動けないままだった。
「エメライン?」
そんな私を現実に引き戻してくれたのは、妹のエメラインだ。
「お母様はお部屋に行ってしまったわ。泣いていたみたい」
「そう……」
いけない。お姉さんの私がしっかりしないと。
「私たちも中に入りましょう。お父様たちは帰ってくる時は疲れてお腹もすいて、埃で汚れているはずだわ。やらなくちゃいけないことはたくさんあるわよ」
「帰ってくるのよね」
「当たり前でしょう!」
本当はその場で泣き出したい気分を堪え、私が胸を張って答えたからか、ようやくエメラインの表情が少しだけ明るくなった。
歴史に残るエレンゲン草原のスタンピードの日、ほとんどの国民が王太子たちは負けて、魔獣がこの国を滅亡させてしまうと考えていた。
しかし、彼らは誰ひとり欠けることなく無事に帰ってきた。
ダンジョンは消滅し、むしろ魔獣の多くの素材が人々の生活を豊かにする結果となったこのスタンピードは、後に『エレンゲンの奇跡』と呼ばれ、偉業を成し遂げた王太子と四人の国王の側近は、五英雄と呼ばれるようになった。
だがその日の夜、当主が国を守るために戦っていた間に、コールリッジ伯爵領に残っていた子供たちが、暗殺者と彼らの放った魔獣に襲われるというもうひとつの事件が起こっていたことは、ごく一部の貴族にしか知らされなかった。
そして、七年後―――。
本日、もう一話投稿します。




