第7話 明かされた、中西さんの隠し事(後編)
中西さんが認識阻害魔法を解いたことで、ハーフエルフの中西さんとしての姿を、三春さんも旦那さんも目の当たりにしている。看板娘としては超一流としか言いようがない。中西さん目当ての行列ができるレベルだ。
「それで、うちで働いてくれることで良いのかな?」
「はい。よろしくお願いします」
「あっ、僕もお世話になります」
その返答を聞いて、三春さんは破顔一笑する。
「良かった、これでお店が潰れないで済むかな。じゃあ、せっかくだし前祝いで蕎麦でも食べていきなさい」
「え、いいんですか?」
「もちろん。食べてきなって、さっきも言ったでしょう? うちの蕎麦は絶品だからね。ちょうど出勤してくれた、パートの美代ばあちゃんも一緒に作ってくれるし。ねっ、美代ちゃん」
三春さんが店の奥に向かって声をかけると、「はいはい、すぐに準備しますよ」と元気な声が返ってきた。少しして、白髪で背筋の伸びたおばあちゃんが現れた。何歳くらいだろう? かなり高齢に見えるけど、とても元気そうなおばあちゃんだ。
「この子たちが新しいバイトなんやね? とても別嬪さんと色男さんやないの。三春ちゃん、随分と上玉を引っかけてきたなぁ」
美代ちゃんと呼ばれたおばあちゃんは笑いながら僕たちに近づき、手を軽く振る。どうも、中西さんはこのおばあちゃんにも認識阻害を解除したらしい。
「これからよろしゅう頼むなぁ。若いってええねぇ、元気に働いてくれると助かるわ。もう、私も看板娘を引退するときやなぁ」
「あら、美代ちゃんも大事な看板娘だから、2枚看板でがんばってね」
「あらら、人生を引退する方が先になりそうやわ」
三春さんと美代ちゃんはけたけたと笑いあう。この雰囲気なら、やっていけそうだ。そして旦那さんがにしん蕎麦を出してくれた。香りが良く、湯気が立ち上る。真ん中でにしんの甘露煮が泳いでいる美しい盛りつけに、思わず感心してしまう。
「いただきます!」と中西さんが元気よく箸を取るのを見て、僕も続いた。口に入れると、蕎麦の風味が口いっぱいに広がり、つるりと喉を通る。出前の時も思ったけど、本当においしい。ここで賄いを食べられるのはラッキーだよなぁ。お蕎麦も良いけど、天丼とか食べさせてもらいたい。
「それで、この子たちは明日から来てくれるんかい」
「うん、その予定だよ。制服を着てもらうけど、前のバイトの子たちのヤツでサイズは大丈夫そうだね」
「お客さんがいっぱい来そうやなぁ。美代ちゃんも張り切るわ」
こうして僕たちは、お蕎麦屋さん『三春庵』でアルバイトをすることが決まった。実に順調に、人生のイベントが発生している。順調すぎて、隕石でも落ちてきそうだ。
そして三春庵をお暇した僕たちは、賀茂川の土手を歩いていた。少しずつ桜の花が咲き始めた景色が美しく広がっている。川のせせらぎも心地よくて、実に穏やかだ。そしてもちろん極めつけは、隣を歩く中西さんの存在だ。
中西さんの横顔は、時折春の日差しを受けて、ふわりと輝いて見える。この空間で、僕しか本当の中西さんを知らないんだと思うと、ちょっとした優越感を覚えてしまう。
「ねぇ、哲郎くん。この辺り、すごく綺麗だよね」
中西さんが川の向こうを見つめながら、ふとそんなことを言う。僕もその視線に釣られて、川の水面に映る光をぼんやりと見つめる。
「うん、綺麗だよね。すごく落ち着く場所だと思う」
そう答えながら、心の中では中西さんのことばかりを考えてしまう。
「こんな景色を一緒に見れるなんて、嬉しいな。大学生活が始まったばかりなのに、新鮮で嬉しいことばっかりだよ」
「僕もだよ。こうやって、二人でこんな時間を過ごせるなんて、ちょっと夢みたいだ」
嬉しいと言ってもらえて、こっちこそ嬉しいです。恥ずかしさから、つい言葉を選んでしまう。ちょっとカッコつけすぎかな? 僕だって人生=彼女いない歴の男の子だ。恋人がいたことはない。だから積極的にいきたいけど、調子に乗りすぎて嫌われるのも怖い。
「哲郎くんも、私と一緒で嬉しい?」
「もちろんだよ。中西さんが隣の部屋で、本当に良かったと思ってる」
「ねえ」
中西さんが僕を見つめる。プラチナブロンドの髪の毛が、春風に軽く揺られる。エメラルドグリーンの瞳が、僕の気持ちをのぞき込んでいる。
「私もね、名前で呼んでほしいな」
「あっ……中西さんじゃなくて、ってこと?」
「うん、チアリって呼んでよ。だって私だけ『哲郎くん』だと、不公平だもん」
そうだね。僕たちは少しずつ距離を詰めていくのが良いんだと思う。だって多分、心は同じだから。この気持ちを伝える時が、近付いてきたことを感じる。
「分かったよ……チアリちゃん」
「嬉しい。ちなみにね、漢字では千愛里って書くんだよ。改めてよろしくね、哲郎くん」
「うん、チアリちゃん」
僕たちは自然と、握手をした。しっとりした体温を感じる。そういえば、中西さんの肌にきちんと触れあうのは初めてだ。
「ただの握手なのに、ちょっと照れちゃうね」
「うん、そうだね」
「ねえ、手をつないで帰っても良いかな?」
「もちろん、とっても嬉しいよ……ところで今も、認識阻害はかかってるの?」
「うん、だって恥ずかしいし」
いろいろとハードルの低い中西さんでも、こっちの方面ではハードルが高いらしい。こうして僕たちの甘酸っぱい感じの恋は、お互いに一歩ずつ、距離を縮めることに成功したのだった。




