えぴろーぐ★イカズチにうたれた御台所松子。
倭の国、帝がおわす西の領地。帝を父に持つ四の宮 華子は時の移ろいと人の気持ちの移ろいに目を丸くして、菊花の節句を迎えていた。
ズラリ。庭に並ぶ色形様々な、菊の鉢植えはやんごとなき殿上人からの贈り物。
「これまでこんなこと、あらへんかったのに」
「むう」
ほろほろと。それを眺め庭をそぞろ歩く華子が漏らした言葉に不服気な返事のお供は、小菊と呼ばれる花の精。星読みの庭に古くから居着いている。
「おや。小菊は仲間が欲しいと言うてはった」
「こんなにいりません!」
「ほほほ。後で何時もの様に、ほんの少しもらお。ええか?小菊や」
「ふん!節句酒のお役目は、わ、た、し!」
新参者には渡さないとキリリと鉢植えを睨めつける小菊。梅花から始まり、桃、蓮、菊。季節毎に花弁浮かべ、いただく酒。体内の邪気を流すと云われる節句酒。
……、来年は。晴紀様とやろか。それとも東では違うんやろか。あの後、三郎様も大丈夫やったやろか。聞きたいでも、お文。どうしよう。アレを読んではったら……。晴紀様からもこうへん様になって。呆れられた?ううん、そんなことあらへん。きっとお忙しいんやわ。はしたない女やと思われたんや。ううん、そんなこと無い。
大振りな菊の側で今年は一等!きれいに咲いたのです!袖を引く小菊に笑顔を向けながら、華子の心は行ったり来たり、恋煩い。
☆
菓子皿の上に柔らかな亥の子餅がひとつ。東の行事食。寒牡丹が開く頃の、牡丹餅から始まり、草餅、笹餅、亥の子餅。それぞれの餅を丸めるのは御台所の仕事のひとつなのだが、おかしな風習は知りまへんと松の丸に引きこもった、松子の代わりにお郷の方が役目を担っている。
「若君。節句日のご挨拶に向かう用意が整いました。それと西より、御文が……、ハッ!まだ!お召し上がりになられてない!」
帯刀が茶と共にそれを運んできたのは四半刻前。
「うむ。少し考え事をしていたのでな」
晴紀は慌てて餅を摘む。
……、来年は、餅を丸めるのはきっと華子殿。華子殿が餅を丸められ、それを食べる……。はぁぁ!いかん。吾は、一体何を考えているのだ。まだ昼の時刻だというのに。ああ。でも触れぬお姿だったといえ、なんとこう、柔らかな……。
口に運ぼうとすると、夜な夜な布団の中で不埒な妄想の世界を繰り広げている事を思い出し、つい、昼の時間帯でも独りきりだと、そちらに気を惹かれていた。
……、あの後、大丈夫だったのか。御身体にお厭いは無かったのか。文を出したい。けどあの日、吾はとんでもない事ばかり考えていた。手を握りたいやら、抱きしめたいやら髪の香りを胸いっぱい吸い込みたいやら、桃の花弁のような唇を吸いたいやら。不思議な御力をお持ちになられておられる故……。吾を心を読まれておられるやもしれん……。いや。そのようなご様子はなかった。いや、或いは知って……。隠されておられたとか。
書いては止まりクシャクシャと丸める料紙、反古ばかり作っている晴紀も、こちらもまた、行きつ戻りつの恋煩いに陥っていた。
「若君!」
「すまない」
ぼぅ、としている主に痺れを切らした従者に詫びると、晴紀は餅を口に入れ噛みしだく。すっかり冷めたお茶で流し込んだ。
「御文はどうされますか?」
「戻ってから……、読む」
不快だと書いてあるやも知れぬ。あらぬ妄想に取り憑かれている晴紀は、華子の気持ちがしたためられたソレを読まず、何時もの様に騎乗の人となる。
「帯刀」
「はっ!若君」
亥の子餅の季節は空気が澄みきり、空は高く青い。色づく木々の中にはハラハラと落葉。
「星読みとは素晴らしい存在だったな」
「は!若君」
穀物が不作と知らせを聞き、父親に従い領地へと視察に出向いた晴紀が目にしたのは。
畑で里芋を収穫している民の姿。
「今年は雨が多いと流れの星読み様から、茎も食える赤ずいきを植えるようにと言われましてな」
案内をする庄屋の説明に、目を丸くした晴紀。
「種籾はなんとか確保はできそうです。この通り赤ずいきも豊作ですし、殿様からお助け米を下さるということです故、春まで食いつないでみせますから、ご心配ないよう」
晴れ渡る空の下、これから麦やらえんどうを撒くという庄屋は、
「今年の冬はそこそこに過ごしやすいと、星読み様にお聞きしておりますゆえ、来年の麦やらえんどうの収穫が、楽しみでございます」
笑顔を見せる庄屋を見下ろしつつ、その時感じた絶望を、馬の上で反芻をする晴紀。
……、先の先迄読める御力をお持ちになられる、吾の婚約者殿。その彼女を眼の前にして吾は何を考えていたのだ!知られている気がする……。きっと、東の男は二つ心をお持ちだと、思われたに違いない……。だから文で。はぁぁ。
悶々としつつ、お郷の方が用意をしているとはいえ、建前上、御台所である松子に先に挨拶に行かなければならない為、松の丸に向かっていると。
「若君様ぁぁ!お待ち申しておりました!」
ズザァァァ!横滑りをし、見事な位置を捉える下仕えの少女。そのままの勢いで何時もの様に平伏。
「なんだ。わざにここまで来なくてよいぞ」
「いえ!お茶筒様が、近に雨をお報せになられたのです!それを伝える為に参りました!ささっ、早うお屋敷にどぞ!」
見れば雨具をしっかりと身に着けている下使えの彼女。
「は?お茶筒様。母上はスッパリとお止めになられたはずだが……」
「はい。いっときは。しかし昨夜、なあんと!お茶筒様が御台様をお呼びになられたそうです」
あ然。となる晴紀。母、松子は粗方は忘れ果てていたのだが、茶筒に雷が落ちた事だけは覚えており、見舞いに訪れた折には、もう茶筒には近寄らへんと、やや子のように酷く怯えていた。
「帯刀!」
「はっ!若君」
「先に行く、そちは案内を連れ後で来い!」
はっ!手綱を強く握り鐙を蹴る。愛馬『白泉』が主に従い、いななくと、カッ!大地を蹴り駆け出した。
ポツホツと雨粒が落ちてきた。最近晴ればかりだったので、このお湿りはよいぞと思いつつも。
……、ドドンドンドン!ドドンドンドン!ドドンドンドン!、御茶筒様のご霊験、あらたか、御茶筒様のご霊験、あらたか〜。
「キタキタキター!重野!来たぞぇぇ」
「御台様!してなんとぉぉ!」
茶筒をガラガラいわせているだろう、松子の奇声、重野の声。表まで聞こえる大音量。鼻につく香の香り、部屋の中はもうもうとけぶっているのか、薄っすらと天に昇る煙の筋が曇天の下で見て取れた。
「ああ!少しはまともに戻ったと父上も家臣一同、涙を流して喜んだのに!なんでだ?何故に茶筒が呼んだ?あの時、足で踏みつけへし曲げて置けば良かった!」
晴紀は馬寄に白泉をくくりつけると、勝手知ったる屋敷内、戸を開け母の元へと駆けつけた。
☆☆
「宮様、御文が届きました」
ちらほらと初雪が舞い降りた日に、久方ぶりに晴紀から文が届いた華子。ドキン。ひとつ弾む。はしたない文はお読みになられたお返事なのやろか。それとも……、不安になりつつ手を差し出した。
「どれ」
御簾の内は火鉢に炭がいこされ、鉄瓶が、甘い湯気をしゅんしゅんと吐き出している。平静を装いつつ、文箱を受け取ると、組紐をシュルリと解いた。
『こちらは亥の子餅の季節を終えし候。
如何お過ごしであろう。御身体はお健やかだろうか。
恥を忍んでお聞きしたい。実は母があのお茶筒が呼んだと、再び占を始めたのだ。
しかも、晴雨に限り八回に一度、当たるそうなのだ。
当たらぬも八卦なのだが。
これは如何に。お茶筒は神力を得たのだろうか。
桃太郎』
「まぁ!桃太郎ですって。そして亥の子のお餅。可笑しい、東は節句にお餅なんやわ。鬼の国なのに。うふふ」
良かったと安堵の吐息を漏らした華子。気になっていた事はには、一言も触れていない。
……、きっとお心を砕いてくださったのよ。きっとそう、優しく見つめてくださったもの、名前を呼んで、うちもお呼びして……。
甘い時を思い出した華子。気持ちが前向きになる。
「あら。では来年は節句にお餅を食べるんやわ。お酒やのうて」
呟くと笑みが溢れる。そして最後の署名に、ほほほ、と声立て笑う華子。早速お返事をと、心が甘く弾む。憑きモノ達がパタパタと準備に取り掛かる。
文机に向かうと小筆に墨を含ませた。
おそらく……。占を扱う華子は茶筒に起こった変化に対し、心当たりがあった。
『ごきげんよう。こちらは白い花びらが舞い降りてきました。
お聞きになられた、お茶筒様の件でございますが、晴れ玉がお入りになられておりましたゆえ、わずかながらに御力を得たのでしょうか……』
するすると文字が生まれる。
コトコトと胸が弾む。
あの日、あの時姿を見た晴紀が瞼に浮かぶ。
涼やかで鼻筋が通った風貌、鍛えられた体躯は華子をたやすく包む様に広く……、臥所に横になると、恋しい姿を思い出し、頬を染めている華子。
文を書き上げ筆を置いた。
「恋占は自分のは出来へん。お祖父様がやったろかと、申されるけれど……」
……、そんなこと、恥ずかしゅうて頼まれへん。
墨が乾くのを、じっと待つ華子。久方ぶりの文は甘い気持ちが込められている。
「宮様、栗の甘露煮をお持ちしましたよ」
侍従が皆で秋に庭で拾い作った菓子を運んで来た。ワッと集まる憑きモノ達。
「皆でいただきまひょ」
「それはなにより!食う!」
しゅんしゅん!鉄瓶の爺が湯気の中から姿を表す、西の領地、星読みの屋形。
少しばかり時は戻り……。
「ふぉぉぉぉぉぉぉ!はうん」
しおしおとなりつつ戻った、東の領地、西の丸屋敷、人払いをした座敷にて晴紀は……。
『お慕い申しております』
僅か十文字の甘い重みに打ちのめされ、華子の文を胸に押し抱くと。
このまま死んでも吾の人生悔い無しと、天にも昇る心地で、畳の上に突っ伏していた。
終わり。




