姫宮の帰り道。
ヒュルル、ヒュルル。ヒュウヒュウ。
「なんでやろ。来た時と違うへ」
くっきりと行き先を標していた星屑の光は儚く、闇が色を濃くしている。
行きはよいよい帰りは怖い。その節が当てはまる場に、華子は足がすくむ。戻る先は真っ暗闇だというのに、背中を向けている場は明るい光を放っていた。
「怖い」
不安がほろりと溢れる。
「でも帰らなあかん」
ふわふわと先に進んでみるが思うようにいかない。
「なんでやろ」
チリリ。硝子がひび割れる様な音ひとつ。星屑の道に宿る光が光度を落とす。
「あかん!帰り道わからへんようになる!」
慌てる華子なのだが。
「帰りとうないって、思ったから」
幼子の様にしゃがみ込む。皆が自分を守り、帰りを今か今かと待っているだろうと思うのだが。
……、帰りとうないんやもん。
ほろほろと涙が出てくる。
……、離れとうないやもん。
スンスン。鼻を鳴らして涙を拭う。
チリリ!音が鳴り闇が濃くなる
「このままだと、どうなるんや。晴紀様の元に戻りたい」
恨めしく明るい光を放っている、出てきた場を眺めていた華子に。
「これ!早く立ち上がりなさい」
不意に何処からか、叱咤する声。
「貴方は……、でんでんのおたあ様」
「そう。でんでんがお世話になりました」
出逢った時と同じ様に唐突に姿を表した、雷の嫁。
「早くお帰り。待っている者達がいるでしょう」
「はい。うちを守って待ってる皆がいるんやけど」
「帰りたくない」
その言葉にこくんと頷く華子。
「なんでやろと」
『鬼』と戦い待っている、皆の事を忘れた訳ではない。早く帰らないといけないと、分かっている。だけど晴紀の側で感じた、陽だまりのような暖かな気持ちと、甘い金平糖のような幸せな気持ちをずっと味わっていたいと思っている、華子。
「そりゃ、愛しい背の君の側にいたいと思うのは、恋する乙女にしたら当然だけど。ねぇ」
あけすけな言葉に、気持ちを見透かされた様で、恥ずかしくなる華子。
「ずっと側にいたいなんて。あの若君のことが、そんなにお好き?」
「す、すすき、やなんて。そ、そんなのとは」
「その術、想い想われ同士じゃないと、道は繋がらないとか。聞いたことがあるけれど?ウフフ、良いわねぇ、若いって」
「からかわんでおくれやす!」
小さく叫び声を上げる華子。
「なら。早くお家にお帰り。未練を断ち切って」
「分かっているんやけど。足が進みとうないって言うんやもん」
ホホホ。正直な言葉を受けた笑い声。
「ややこのようにしゃがみこんでるから。ほら、貴方のお母さんが来ましたよ。ここは未練を引きずるモノ達が集う場。輪廻転生の輪から外れしモノ達が集う場。わたくしは、可愛い坊やに。あの方は貴方に」
しみじみとした声に割って入る聞き慣れた、懐かしい叱責!
「華子!なんと情けない!さっさとお家にお帰りやす!」
「おたあ様!」
「はぁ、ぐずぐずしてはるさかいに、屋敷は今えらいこ事に。お父さんや侍従が……」
「お祖父様や侍従が?危のうございますの?」
勝子が、大きくため息をつく。それはひどく意味ありげで華子は慌てる。
「早うお帰り」
「はい。おたあ様はその……」
「成仏してしまったら、華子の花嫁姿が見れへんから。少しばかりここにいるだけ」
くすくすと笑う勝子。
「じゃぁ。うちが東へ嫁いだら」
「花嫁行列見たら、ちやぁんと天に行きますへ」
ニコニコとする母親。話をしたい気持ちが溢れてきたが、ほれ!早うと急かされ、くっきり光を放ち始めた星屑の道へと向かう華子。
「おたあ様、またお会いできて?」
「そやなぁ。花嫁衣装が出来た日に」
ぽっちりと小さな約束を交わすと、
勝子の姿は消える。微笑ましく眺めていた、雷の嫁の姿も消えた。未練は心の奥底にしっかりと閉じ込めると。
「ほや。早う帰らなあかん」
こんな成りではなく、おすべからしに緋の袴、色鮮やかな袿。綺麗だと、屋敷内の皆に言われる姿を見てもらいたい。心が定まると、グンっと一気に引き寄せられた。
「おお!次が来おったぞぉ!」
祖父の声が、はずんで聴こえるのは気のせいかしら……。
「たのしー!」
「やっつけるのスキ!」
憑モノ達が、きゃぴきゃぴするような声を上げているのも気のせいかしら。
「宮様がお戻りに!宮様。も、しばらく陣から出ないで下さいましね、こんな機会、滅多と無いのです!」
侍従が、物騒なことを言っているのは気のせいかしら……。
「すとれす発散じゃぁ!」
「鬼退治、超たのしー!」
「頭からガリガリするぅ!」
「肢体をバラバラにして塩漬けを!」
……、ああ!何てこと。もっと早く帰ってきたら良かった気がするのですわ。
「あの。侍従や、もうそろそろ」
「鬼の塩漬けは我ら憑モノにはご馳走なんです!滅多と手に入らない。なのでもうしばらく。宮様にはしっかりとした御守が密着しておりますゆえ」
侍従に言われ気がついた。懐に仕込んでいる晴紀から贈られた『櫛』が、ほんのり熱を放って華子の躰を包んでいることに。華子は頬がポッポと熱くなる。
「こんな乱痴気騒ぎになってはるやなんて。晴紀様に知られたら。どないしよう」
「夜明け迄!退治しまくるのじゃぁ!」
「塩漬けおにくぅぅ」
「わては羹がええ!」
「お正月に皆で食べましょう!」
気合の入る声に。
「ひいぃ!無理無理。うちのお膳にはのせんとって」
割って入ったが、ドンドン、パッシュパッシュッ!ザッ!合戦の音に掻き消される華子の声。
「晴紀様。夜明け迄の辛抱なんやけど。助けてって願ったら、来てくれへんのやろか」
桃太郎様なんやもん、鬼退治のご本家様やし……。華子が無理なことを考えていると。
「宮様。御文は出しておきましたゆえ」
「文?なんのことへ?」
ブンブンと薙刀を振り回していた侍従が、華子に言う。心当たりが無い華子は、問いかければ。
「文机と小筆が、どうでも出せと。大事な文だと。東のお帰りに託しました。抜かりはありません!」
文机、小筆……。くるくると時間を遡る華子の脳裏に……。
「ああ!なんてことを。アレは出す気なんか無かったん!どうしよう、はしたないとお思いになられるやも」
……、もうあかん。終わった。晴紀様に好きだと言われてもいないのに、女の方から。知られるなんて。
もしものことを考え、気持ちをしたためた文が、屋敷を出て晴紀の元に向かった事実を受け止められない華子の心。
「恥ずかしい。うち。どないしよう。もう!阿呆!嫌!起きへん!ずっと寝とくさかいに、放っといて!」
身体にかけられた白い敷布を頭から被り潜り込む。懐の中の櫛が、カッカと熱を放ち、全身が朱に染まっている華子の全てを包み込んでいた。




