姫宮は左の老成星の後ろ盾を得る。
騒がしの星が見える。でも吉兆。
藤の花も終わり紫陽花の季節。雨が少ないせいか、乾いた様に丸く咲いている。水気を求め草むらに潜り込んでいる翡翠色の雨蛙が、ケロロケロロと鳴き声を上げる夜、星読みを始めた華子は、ひときわ強い光の流れを見つけた。
「大きな力に、ここが巻き込まれる。星光りの色は熟れた色。老星やな。位置は左。強い吉兆や。そして屋敷に戻りの星ありとは。まさか。いや、そうあって欲しいと、欲がうちにはある。これは当たらぬ卦やと思う」
盥の中に揺らめく二つの星の流れ。明日も晴れと、気持ちが垂れた雨雲の様に打ち沈む華子は先を視る。
飛ぶ鳥を落とす勢いの右大臣家、当主の爺に対抗する、左大臣家当主のこれまた現役バリバリの爺は、東に嫁いだ、松子の父親である。嫁ぎ先での娘の評判が、大変によろしくないので、少しばかり下がり気味の家運の現状に、やきもきとしていた。
ある日帝から内密に呼ばれた爺の夢は勿論、政敵である右大臣をギャフンと言わせたい事。そんな元気な御老公が、またとない役目を担う事になった。
「四の宮が東の宗家の嫡子との婚儀が整う。正式な使者が秋口に、こちらに向かうとの報せが届いた」
御簾の向こう側から、帝の声がほのぼのと流れた。呼び出され、なんのことじゃいと平伏したままで長烏帽子の上を流れる言葉を聴いていたのだが。
「嫁入り道具を誂える手がほしい。華子の後ろ盾となり、朕の為に尽くしてほしい。金子のことは心配せずに、心向くままに整え送り出してたも」
ふ、フフフフフ。蛙のごとく平伏したままで、爺はほくそ笑む。上手く行けば、ことあるごとに張り合ってくる、右の爺を蹴り落とせるやもしれん。打算が働いた。
「そのお役目、有り難くお受け仕る。時事ながら老骨に鞭打ち、きっと今上様がお心安らかに、東へと、宮様をお送り出来るよう、お約束致しまする」
爺は即決をした。そして腹の中思う。ちゃんと四の宮様の人となりを確認して、どれほど手をかけるか、決めなゃならん。と。
家運を掛けた博打を打つみたいやで。松子は……、アカヘンかったさかい。訪問先の主が、取り繕う事がないよう先触れも出さず、日を開けずに、いきなり星読みの屋敷へと向かった左の爺。
「なんともまぁ、昔は良かったんじゃが、ボロ屋敷じゃのぉ、まぁ皇后様からの差し金で、物資遮断が長かった故、仕方ないんじゃが……」
近隣の子どもらにお化け屋敷と呼ばれる佇まいに、こりゃ大変だと思いつつ、訪れを告げた。華子に客人有りと知らされていた門番は、丁重に出迎えると中に通す。ハキハキとしている様子をしかと伺いつつ、前栽に足を踏み入れる。
「草茫々じゃが、これはこれなりに手を加えられとる、荒れてる気配は無い、と。七星の奴がおらんでも、しっかりやっとるみたいじゃ」
住まいに主の人となりが出るとの持論を持つ爺は、客人が歩く場は草が刈られ、着物の裾を汚さぬ心配りがなされていることを見てとる。
「喰える草や、薬草が沢山あるわい、ちと調べたら、四の宮様自ら、摘み草等をして食うとるらしいが。うむ。良き良き」
爺は気位ばかり高く育った、娘松子と比べこの娘ならもしやすると、右の爺のアレの時よりも、頻繁に文のやり取りがあるっちゅうし、賽の目がええかもしれん。ニンマリと笑う。
「四の宮様においてはこの度の慶事、おめでとうございます。」
テキパキと話し、華子が型に従い挨拶を返すのを待ち、帝から託された書状を差し出す。丁重に修復をしている、破れ御簾の奥に運ばれてきたそれに華子は目を通した。
「左大臣様が、うちの後ろ盾に。婚礼の準備にお力添えをと、おもうさまが書かれておられます」
「いかにも。何しろ現御台所様は我が娘故、婚礼道中のあれこれは、誰よりもよう知っておりますのや、そこを今上様がお目をつけられてな、この爺に全てお任せあれ」
「ありがとう」
強い光とはこのお客人や。大きな予感に身が引き締まる華子。うねりに呑まれる様に気合いを入れた。そして逃げ道を閉ざされた事に胸が痛む、が。
先に届いた品と文に合わせ、無関心だった父親からの心配りに、密かに喜びで跳ね上がり不覚にもときめいた事に、ここで尽くしてくれるモノ達に対して、申し訳なく後ろ冷たく感じている。
「先ずは屋形の修繕やな。輿入れなされる宮様の住まいというには、やや鄙び過ぎ」
「修繕はしていただなくとも良い」
誰も住まぬ先なら、今のままの方が憑きモノ達が暮らし良いだろうと、華子は断ったのだが、昨夜読み出た卦が当たる。
「いやいや。直に『七星』が戻ると、爺に文が届いた故」
「それは誠」
「誠じゃ。爺と彼奴は馴染みでな。たまに金の無心の文が、届いておるのじゃ」
金の無心。その言葉に頭が痛くなりそうな華子なのだが、御簾の内など気にせず話を進める左の爺。
「姫宮様の為に、四方の井戸を巡ると聞いてますがな」
「知らぬ。どういう事か教えて欲しい」
「孫の星を読めば、四方のお水が必須だとかで、旅に出られたのじゃ」
ニコニコ顔の好々爺は飄々と話す。
「訪ねて来られたら話を聞いてやって欲しい」
「はい。そのように」
「勝手をしてすまないと、伝えてくれとのことじゃ。左の爺が代わりに詫びよう」
擦り切れた畳の上で、深々と一礼を取る左の爺に、華子はそのような事はしなくても良いと窘めた。頭を上げる左大臣は周囲を見渡す。
「この屋敷の末は安泰じゃ、御殿の者達も御降嫁された宮様の生家をオンボロにはせぬし、七星も戻る故」
「打ち捨てないと」
そうじゃ。左の爺の返事に、重くのしかかっていた物が、ひょいと取り除かれた気がした華子。
「では。よろしゅうに。でもお道具や、屋敷の材はこのままで。修復のみ頼みます」
仕えてくれている憑きモノ達も侍従も、地脈から離れると壊れて消えていく。連れてはいけない。置いて行けば、修繕が出来ないのなら、壊れ朽ちるに任せ、ひとつふたつとこれまた、消えていく。嫁いだ先でそれを思い憂う日々の心配が、さらりと解ける。
「宮様の仰る通りに。でも、ちと調べたらなんや、抹香臭い御召しばかりお持ちやそうで。こればっかりはアカン。早速、可愛らしいのを、ぎょうさん仕立てさせまひょ、うちの妻女に任せて下され、はっはっはっはっはっ!」
若い公達のように闊達に笑うまだまだ現役、多少落ちてはいるが、それなりの権力も持ち合わせ、裕福な身分高き左の爺に、目を丸くしつつ、友禅染めも色鮮やかな袱紗に、年寄りでも選ばない様な革色の衣の上から手を当てる。客人が訪れる前に届いたばかりの品と文を、袖の袂に落とし忍ばせている。娘らしい喜びが込み上げてきた。
では早速と、騒がしの星が屋敷を出た後、華子は少しばかり名残りを惜しみつつ、綺麗になっておいでやと声をかけ、塗りが禿げたんの文机に向かい、桃太郎様へ。小筆に墨を含ませる。
これまでよりも、また先に進んだ気持ちで筆を取った。屋敷の行く末に、肩の荷が降りた気がしていた。素直な心が筆を走らせる。
『ごきげんよう。梅雨にも関わらず晴れ多くお湿りは夕立頼み。少しは雨が欲しいと、紫陽花が文句を言うてはります。
こちらもお迎えの儀を執り行うと知らされ、これより作法をお習いいたします。
使者様の道中のご無事を願いし候
とても綺麗なお品を下され、嬉しゅうございます。
お言葉も。
化粧箱に仕舞うのが惜しゅうて。
こっそりお袖の中に忍ばせし候。
はな』
その日より、打ち捨てられた姫宮のくすんた色の暮らしが、初夏に煌めく陽の下で咲く花達の様に、力強い華やかな色へと、それはもう目まぐるしい勢いで変わって行った。




