若君は噂の的となっている。
四の宮と文のやり取りをしている事が、皆に知れ渡るのに掛かった時間は極わずか。晴紀が、町の早飛脚を使った事により、パッと広がってしまったのだ。
内々だが、次こそ誠になりそうな、高貴なる身分の姫宮との婚姻話。気温が低く、鬱々とする空に嫌気がさしていた下々の者達は、華やかで明るい話題に、ガッツリと食い付いたのは仕方のないこと。
本丸奥屋敷からお郷の方より、頼まれていた事の準備が整いし候との報せが届いたのは、晴れ間が少ないままに梅雨へと突き進んだ日。どんより重い空の下、ハコネウツギの花が取り取りの色で、賑やかに開いていた。
「この度はおめでとうございます」
帯刀を連れ訪れた座敷にて挨拶を受けた晴紀。
「あにうえ、おめでとう ございます」
お郷の方を母に持つ末弟が、至極真面目な顔をし、頭を下げる。
「有り難う。三郎殿も息災で何より」
「えへへ。ありがとう、あにうえさま」
砕ける口調に、これ、と母に窘められたあと、腰元に連れられ部屋を後にした弟。襖戸の向こうに姿を消すと。
「さて。もうすぐで御座いますね、御殿へ使者殿を、お送りする儀は」
「はい。一度こなしておりますから、大丈夫です」
表方より、正式な取り決めの為に、西の御殿へと、書状を携えた老中が向かう日取りが、ようやく決まったとの報せを受けた晴紀。
「戻って来られたら、家臣や城下へ触れが出されます。そしていよいよ、姫宮様の御出立の日が取り決められます」
「はい。どうしてでしょう、今回は何やら凄く気恥ずかしいのです、そして旅の道中が心配なのです」
かつてその道を通り嫁いだ、実母松子に諸々を聞きたいのだが、差し障る理由で聞けぬ晴紀は、昔から何かあれば、世話になっている実務に長けた、彼女に頼っている。歳の離れた姉のような、しっかり者のお郷の方。
「四の宮様とはそれはもう、仲睦まじいとのお噂がありましてよ。そのせいでしょう」
「2回ほど、文のやり取りをしているだけです」
明るく弾む声に、ぶっきらぼうに返した。
「八重子殿のときにも、やり取りしておりました」
「そうで御座いましたね。町飛脚を使うとは、よう思い付かれましたこと、おまけに金平糖も添えられて。おなご心をわかるとは、殿によう似ておられます。ホホホ」
「それは文だけだと味気がないと思っただけです」
晴紀の照れを隠す様な憮然とした返事に対し、上品にコロコロと笑うお郷の方は、パンパンと手を叩いた。次の間の襖戸がさらりと開かれる。
「さあ、今流行りの小間物、反物、香木、紅白粉を取り寄せましたよ。意中の姫宮様に、何をお贈りになられますの?」
「意中の。そのような事ではござらぬ。ただ四の宮殿からは、手ずから縫われた一重を頂いており、その返礼です」
「ホホホホ、そうでしたわね。さあ、手に取りお選び下さいませ」
畳上に赤い毛氈が広げられ、様々な品物か置かれている。きららなそれらに目がくらむ思いで言われるままに近づくと、手に取り眺める。
「そちらの簪は、南海より取り寄せた、真珠珠をあしらっております。銀細工も細やかな代物で御座います。姫宮様にはお似合いかと」
出入りの小間物屋の当主、呉服商の手代が、ひとつひとつ説明をする。
「その反物は今年流行りの絵師により、描かれております、曙染の豪華なお品になります。縫い取りが艶やかで姫宮様に相応しいかと」
「あら。この紅板は発色が綺麗」
「流石はお郷の方様、お目が高い」
困った。大いに後悔をする晴紀。どれを見てもちんぷんかんぷんなのだ。何しろ、文のやり取りだけで想像の範疇でしかない、華子の容貌。
「困った。何色が似合うのかさっぱり判らぬ」
「それはそうでしょうとも。まだ見ぬ御相手なのですから」
困り果てている晴紀を見かね、助け船を出すお郷の方。
「晴紀様より二つばかり年下とお聞きしております。明るくしっかりとした、姫宮様と評判になられておりますが」
「どこからそのような話が」
「西より戻りし町飛脚の話と、かわら版に書かれておりましてよ」
笑顔のお郷の方に、己でしでかした事に、二の句が継げない晴紀。迂闊な行動を反省しつつ、気を取り直し、何にしようかと取り取りに手にした後。
「どうせなら、日々使って頂ける品にしたい」
お手上げ状態となり集まる皆に問いかける。そうで御座いますなぁと、商人達が顔を見合わせ。
「ならば『櫛』になされば、いがかでしょう」
「櫛?」
「はい。巷では男から見初めた女に櫛を贈るのは、求婚の証との風習が御座います」
「求婚の証」
鸚鵡返しに、初めて知る市井の風習の言葉を呟く。
「それなら、つげの櫛がよろしんではなくて。髪を梳くのに、日々使いましてよ」
お郷の方がいい考えと勧める。
「つげの櫛。うん、それにしようか。どの櫛なのだろう、見せておくれ」
明るい気持ちで答える晴紀。櫛が華やかな塗りの品からつげまで、種類多く並ぶそれから、得意満面な顔の小間物屋の当主が、逸品を勧める。話がまとまりかけた時、抜け目のない呉服商が話に入ってきた。
「綺麗な袱紗に包まれて贈られたら、きっとお喜び間違いありません」
「ああ、それもいいね。剥き出しよりも良い。そう。姫宮殿に相応しい、うんと華やかなのを選んでおくれ」
話がトントンと進む。どう文に書こうか、喜んでくれるだろうか。甘い気持ちが膨らむ晴紀。気持ちが高まり筆の勢いもスラスラと。
『ご機嫌麗しゅう、梅雨に入り庭の卯の花は、賑やかに色を開いておりまする。
一重の礼に。何が良いのかさんざ迷ってしまい候。
こちらの風習だろうと思うが、下々の求婚の証には男より、つげの櫛を贈ると聞いた。
なので選んでみたのだが。納めてくれたらとても嬉しい。こちらから老中が正式な使者として、涼しくなる季節の始まりに、そちらに向かうと話を表方より聞きし候。
はる』




