037 アン・グワダド地底湖遺跡①
「お待たせしてすまない!」
遺跡の入り口で、ルタから強烈なローキックをお見舞いされて蹲っていたカズキの耳に、ペネロペの堅い声が届く。
顔を上げると、額に汗した兎耳のボブカット美女がいた。
宿屋のときと違い、ペストマスクとマントを着用はしておらず、胴体部のみを防御するような、軽装の皮鎧を装着している。その下に、ポピュラーな布製の服を着こんでいる感じだ。
腰の辺りには、様々な形状の短刀などを、太いベルトでぶら下げている。
ペネロペは、非常に軽やかな雰囲気を醸し出していた。
「大丈夫、全然待ってない」
カズキはようやく脛から痛みが引いたのを確認し、言いつつ立ち上がった。
「と……こちらの美しいお方は……?」
立ち上がったカズキに、ペネロペが再度声をかける。どうやら、金髪美女にメタモルフォーゼしたルタに、興味津々のようだ。
「一応、ルタらしい」
「なんと……確かにドラゴン族は、様々な人間の姿になれたと書物で読んだことがありますが……いや、これはすごい」
カズキの端的な説明に、眼を見開くペネロペ。
感嘆としているのか、溜め息をつくように独り言を漏らしている。
「ふふん、魂力が体中に満ちているのを感じるぞい。これなら、魂装はできずとも、魂力を込めた拳でぶっ飛ばすぐらいのことはできそうじゃ」
ペネロペの眼差しの先で、ルタは意気揚々とシャドーボクシングをしている。
リズムよく突き出される腕に合わせて、たわわに実ったお胸もぷるんぷるんと揺れる。
うん、アイデンティティの消失も甚だしい。
カズキは非常に遠い眼で、ルタの胸部を見つめた。
「さて。ではさっそくだが、注意事項を話しておこうと思う。ルタ様もルフィア様も、よろしいかな?」
「うむ」「はい」
ペネロペの合図に、ルタとルフィアそれぞれが頷く。
ちなみにペネロペは、レイブラムに窘められて以来、ルタ、ルフィアに対しても、カズキと話すのと同じように、敬語を使わず話すようになった。
本当に他者を敬う気持ちがあれば、大切なのは話す口調ではない――そんな理由を述べていた。
「まず大前提として、魔物との戦闘では決して油断しないこと。魔物は、遺跡への侵入者である我々を、本気で殺しにかかってくる。縄張りを荒らされた動物が、邪魔者を排除しようと追い続けるように」
「……了解」
カズキはペネロペの言葉を聞き、気を引き締めた。
これはRPGなどのゲームの一環ではない。油断すれば命を落とす、人生の一部だ――そう自分に言い聞かせた。
右手首から先、手袋の中が、少し疼く。
「魔物は深部に行けば行くほど、凶暴で獰猛で巨大になると言うのが迷宮の傾向としてある。深くに進めば進むほど、さらなる注意を払うようお願いしたい。
もし敵わない魔物に出くわした場合、私が持参した魂装道具で緊急離脱するので、絶対に私からは離れないように」
説明をしながらペネロペは、懐から宝石のような石を取り出した。
あれが恐らくは、緊急離脱用の魂装道具なのだろう。
「次に、魔物を魂装で倒すことで、魂装武器が魔物の魂力を吸収し、強力になっていくとされている。なのでできる限り、魂装で倒す方が良い。
まぁ、本当の仕組みは解明されていないのが現状だが」
言いながらペネロペは、自分の掌をぱちんと叩くような仕草をする。
「ちなみにじゃが、わしのような魂装できない者の場合はどうするのがいい?」
「ルタ様のような場合は、可能であれば素手での撃退が一番良いかと。そうすれば、魂装武器の理論に照らし合わせるなら――」
「わし自身が魂力を吸い、強くなれるということじゃな」
「その通り」
ペネロペの話を聞き、合点がいった様子のルタが、獰猛に口角を吊り上げた。
「最後にもう一度言うが、くれぐれも油断しないように。
世界中のダーナの迷宮に言えることだが、ここアン・グワダド地底湖遺跡も、未解明、未踏の層がまだまだある。ゆえに、決して無理はしないよう、留意してくれ」
「わかった」「うむ」「わかりました」
重ね重ねのペネロペの注意喚起に、カズキたちはしっかりと応じる。
「では、行くとしよう。皆、魂装を発現させ、隊列を組んで進もう。それじゃ――」
魂装――燃。
カズキ、ルフィア、ペネロペの声が重なる。
周囲の大気が一瞬、波打つような気配がする。
各自の手に、それぞれの魂装武具が顕現する。
カズキは今回、右手とは独立させた日本刀だ。ルフィアは当然、斧槍である。
そして、ペネロペの手元に現れたのは――トンファーであった。
器用に両手でブンブンと回転さた後、腕に添うように棒の部分をぴたりと止めた。
「か、かっけー……」
思わずカズキは零す。
兎耳の亜人が、両手でトンファーを扱う様に、感動を覚えた。
フッと一息ついたペネロペは次に、懐から小さな琥珀色の石を取り出した。
一瞬目を閉じ念じると、魂力が脈動するのがわかった。少しすると、手に握られていた石がふわっと浮き上がり、ペネロペの頭上付近で発光しはじめた。
「この魂装道具が明かりになる。両手が使える便利な代物だ」
言いながらペネロペが前後左右に動くと、浮遊した石もペネロペの頭の位置に合わせて移動した。
どうやら、使用者の頭上の位置に、浮いたまま追尾してくれる優れもののようだ。
これで、遺跡内部で灯りに困ることもないだろう。
「私が先導する。後ろにルタ様、その両脇にルフィア様、カズキ・トウワという配置でいこう。それじゃ、出発だ」
一気に頼りになる感を醸し出しはじめたペネロペに続いて、カズキらはついに、ダーナの十三迷宮――アン・グワダド地底湖遺跡へと、足を踏み入れたのだった。
† † † †
ペネロペの頭上で輝く灯りが、遺跡内の石壁をぼんやり照らす。
カズキは周囲を気にしながら、はぐれないようペネロペの背を注視していた。
入り口からある程度歩き進んだが、まだ魔物は現れていない。
遺跡内に入ってからずっと、カズキは自分の鼓動をうるさく感じていた。
こんな空気の場所であれば、よっぽど人間の刺客に襲われる方が気が楽だな――そう思うぐらいには、遺跡の中は不気味で、人を拒む雰囲気があった。
いつも減らず口ばかり叩くルタも、今回ばかりは集中しているのか、やけに無口だった。ルフィアも同じく、緊張している様子だ。
と。
「…………皆、準備を!」
突如、先頭のペネロペが鋭く叫ぶ。
体勢を低くし、トンファーを握り直している。
魔物か――カズキの鼓動が、より早鐘を打った。
「来た……!」
暗闇の中、突如として赤い眼が六つ、浮かび上がる。
赤い眼はそれぞれ二つずつが一組になって動いている。二つ目の生物が……三匹いるということか。
カズキは深く息を吐きながら、集中力を研ぎ澄ませる。
周囲には、パーティーの呼吸音だけが響いていた。
しかし、それを突き破るように――赤い眼が急激に大きくなる。魔物が、こちらへ向けて突進してきていた。
「ギィィ……ギギィィ!!」
「くっ!」
先頭を務めるペネロペが、素早く身を翻し、飛び掛かってきた魔物の胴体をトンファーで殴打する。
魔物は、聞くに堪えない奇声を上げて、光の粒子となって消える。
姿を確認できたのは一瞬だったが、どうやら大きな鼠が変異したようなもののようだ。
カズキは集中を切らさず、再び前方へ視線を向ける。
「ギギャ!」
すると、間髪入れずもう一匹が突進してくる。
しかし、二匹目の魔物は腰を落としたペネロペを回り込んでスルーした。そして、その後方にいたルタへと飛び掛かった。
「当たらなければどうということはない!」
ルタがサイドステップで魔物の攻撃を避けつつ、得意げに言う。
カズキしか知らないであろう往年の名台詞を自然と吐き出したルタに、カズキは心の中で(それ聞いたことあるなぁ)とツッコミを入れた。
「えい!」
「ギギャァ!?」
ルタに攻撃を躱された魔物は、着地の瞬間に一瞬の隙ができる。それを見逃さず、ルフィアが斧槍を容赦なく振り下ろした。
一撃で命を散らした魔物が、断末魔の声を上げながら、粒子となって消えていく。
「やれる、この身体ならやれるぞ! どれ、わしにやらせい!」
今の一連の動きで自信を得たのか、ルタがむんずとペネロペを押しのけ前に出る。
その挑発的な動きに本能が刺激されたのか、一匹だけ残った鼠の魔物が、勢い込んで向かってくる。
「てぇぇいっ!!」
魔物の直線的な動きを華麗に躱し、ルタは瞬時に身体を反応させ、魔物の背中に手刀を叩き込んだ。
その動きは野性味を感じさせるもので、カズキは、さすが山で動物を捕食して何百年と生きてきただけのことはある、と感じた。
「ふはは、見える、見えるぞ! わしにも敵が見える!」
得意げに、粒子となった魔物の魂力をまといながら、胸を張ってルタが高笑いする。かなりご機嫌らしい。
カズキはルタの、聞き覚えのある台詞を聞き(金髪だから台詞がかぶるのか……?)などと、場違いなことを考えていた。
カズキ、ルタ、ルフィアの『ローブズ』に、ペネロペを加えたパーティは、幸先の良いスタートを切ったのだった。
まだまだ、迷宮の探索はこれからである。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




