【第1話】何がどうしてそうなった!?
サブカルチャーを嗜んでいたし、私自身も好んで読んではいたけれど、まさか自分が異世界に転生することになるだなんて欠片も思わなかった。
私、神野或佳は日本人として生きた前世の記憶を持つ転生者である。駅のホームから落ちそうになっていた人に巻き込まれ、電車に轢かれて死んだはずが目を覚ませば剣と魔法のファンタジックな世界だった。現在の名前はミシェル・デュポン、今年で13歳。ヴィクトワール帝国という国の、何と男爵家の一人娘だ。とは言っても、緑豊かな土地と言えば聞こえのいい、森や山などの自然と田畑に囲まれた所謂田舎に領地を構えているため、華やかな中心地とは縁遠く発言力も強くはない。ないわけじゃないけど。
父親であるデュポン男爵家の現当主、ランメルト・デュポンは穏やかで優しい人物だ。まだ三十代であるにも関わらず、十年以上前に亡くした私の母を想い後妻を取らないほど一途で、前世の記憶があることから普通の子供らしく振舞えない私を愛情たっぷりに育ててくれた。初めこそ前世の両親こそが親、という意識が強く、馴染むまでにそれなりの時間を要したが、今では同じくらい大切な家族だ。
ただ、困ったことにそのお父様――まさかこんな二人称を日常的に使う日が来るとは思わなかった――は、最近私に対して少々過保護気味だ。理由は、年が明けて少し経った頃、私宛にシャルリーヌ・フェリエール侯爵令嬢のデビュタントの招待状が届けられたことにある。そもそも個人的な付き合いがない侯爵家から男爵家へ、何故招待状が送られてきたのか?何てことはない、単純に年の近い敵対派閥でない令嬢に、片っ端から送りつけているだけである。
問題はその時期だ。ヴィクトール帝国では春先から初夏辺りまでの社交シーズンに合わせて、その年に13歳を迎える令息・令嬢のデビュタントが開かれる。シャルリーヌ様のデビュタントが開かれるのは3月の上旬、今世の母親であるイレーヌお母様が馬車の事故で亡くなった時期と重なり、当時の悲しみが思い起こされ不安なのだそうだ。不安過ぎて私を社交シーズン中王都へ連れ出すことすら嫌らしく、他家に招待さえされなければ私のデビュタントをシーズンの最終ぎりぎりにまで延ばし、滞在を最小限に抑えようとしたほど。流石に執事長や侍女長らに説得されたが、下手をすればデビュタントのパーティーすら開かれず、社交界デビューをしないまま領地で一生を終えていた可能性すらあった。ありがとう二人とも。現在は開催日時を調整し、できるだけ早く私が領地へ帰れるよう動く方針に変えている。
執務室で何やらガリガリと書き綴っている父の姿を思い出し、ため息をつく。するとそれを耳にした目の前の少年が、茶菓子を手にしたまま訝しげに声をかけてきた。
「・・・・・・、おい。どうかしたのか?」
「えっ、あ、ううん。何でもない。ただちょっと、お父様の過保護っぷりを思い出してただけ」
「そうか」
少年の名前はヴィクトール・シュヴァリエ。名将と名高いシュヴァリエ辺境伯の次男坊で、先の戦争での功績の一つとして、国名になぞらえた名前を皇帝陛下より賜った。およそ十年の付き合いになる幼馴染みでもある。お母様が亡くなって間もない頃、私が寂しくないようにと話し相手として引き合わされたことが切っ掛けだ。家格はあちらの方が随分と上だが、先代の頃に縁あって両家の仲が良くなったかららしく、だからこそ実現した関係だろう。
で、そのヴィクトールなのだが、私は非常に見覚えがあった。引き合わせられる前に会ったことがあるだとかではなく、一方的に、今の幼さを残したものより成長した姿を、前世で見たことがあったのだ。
恋愛シミュレーションRPG『虹の袂のエトワール』、通称『虹エト』。美麗なグラフィックと豪華声優陣の起用を呼び水に、プレイヤーを壮大なストーリーへと引き込んだ人気恋愛ゲームアプリ。私自身プレイしたことはないものの、SNSのフォロワーさんが狂ったようにのめり込んでいたから、攻略対象などの主立ったキャラクターや世界観、大体のストーリーは把握している。ヴィクトールは『虹エト』に登場するキャラクターで、尚且つ攻略対象だった。
ゲーム中での彼は皇族の傍で守護する近衛騎士に憧れる、正義感の強い青少年。幼馴染みとしてのヴィクトールも同じような人物像だが、異なるのはそのバックグラウンドだ。ヒロインと仲良くなったヴィクトールは、彼女に過去を打ち明けるシーンで、ある少女との思い出を語る。「母親を亡くしたばかりだという父の友人の娘を元気付けようとして、逆に泣かせて嫌われてしまった」という内容だ。まだ幼かった彼が、少女に捕ったばかりの立派な甲虫をプレゼントしたところ、悲鳴を上げたうえで大号泣。結局その少女とはそれきり、父親からは「女性は繊細だから丁寧に扱わなければならない」と教わるものの、考え過ぎて逆に女性が苦手になってしまった。しかし貴女には気負うことなく接することができる――そう言ってヒロインへの好意の発露をほのめかす、なんとも初々しいエピソードは純愛物を好む層に大好評。アオハル大好き勢は、干物を噛みしめるように何度も反芻していた。
察していただけただろうが、その“少女”の位置にいるのが私である。私はただの男爵令嬢ではなく、ゲームのモブ令嬢だったらしい。当時、いきなりカブトムシのような大きな虫を持って来られた私は驚いた。驚きこそしたが、確かに虫は得意ではないものの、それなりに外遊びをした前世の記憶のおかげで悲鳴を上げるまでにはいかなかった。ゴキブリやムカデ系だったら平手の一つもお見舞いしていたかもしれない。私はヴィクトールに虫が好きではないことを説明し、謝罪を受けているため、ゲームのように交流が途絶えることはなかった。
出会ったばかりの頃、私は異世界に転生したことを知りつつも、『虹エト』の世界とまでは気付かなかった。ゲームに関する知識こそ多少ありはするが、実際に遊んだことがない分、思い出すのが遅れてしまったのだ。「アッこいつゲームのキャラクターじゃん」と気付いた時にはすでに遅く、それなりに仲良くなった後だった。『虹エト』は恋愛ゲームでありながら魔王討伐といったRPG要素も持ち合わせているため、攻略対象キャラクターの過去改変は下手したら世界滅亡に繋がるわけだが、如何せんストーリーの詳細が分からない。まあ、本来のモブ具合を思うに、現状程度のちょっとした変化なら問題ないだろう。念のため、デビュタント前後からちょっとずつ交流を減らし、三年後の本編開始までに疎遠になるようにしておくか。友達を一人失うと考えると少し寂しいが、死にたくないので仕方がない。
そんな風に友との別れを計画しているとは知らないヴィクトールは、口の端にジャムを付けたまま、美味しそうにスコーンを頬張っていた。
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ヴィクトワール帝国のデビュタントは、周辺諸国より二、三年早い13歳の年に行われる。帝国は二十年程前に終戦協定が結ばれるまで、侵略を繰り返してきた戦争国家。その分病死や事故死よりも殉職率が圧倒的に高く、社会的に立場の弱い少女や子供ばかりが家に残される事態が貴族の間でも相次いだ。家を潰さないために早く嫁がせるか婿を得ようとした結果が、デビュタントの前倒し。国交が正常化された近年では、一応デビュタントの年齢を他の国と合わせた方が良いのではとの意見が交わされている。
幼馴染みとのお茶会から約二か月、社交界のシーズンがやって来た。最後まで渋っていたお父様を何とかなだめすかし、ようやく辿り着いた初めての王都は普段暮らしている領地よりずっと華やいでいたが、例によって事故に遭うことを恐れたお父様により、招待されたパーティーに参加する時以外タウンハウスの敷地から出てはいけない命じられ、買い物どころか散策することすら叶わなかった。友人である商家のお嬢さんは楽しんでいるのにと文句をこぼせば、「せめて学園入学までは耐えておくれ」と諭される。心配の理由が理由なので強く出ることも出来ず、あと二年と自分に言い聞かせ我慢することにした。
二年後に入学予定の国立オヌール学園は、『虹エト』恋愛パートの主要な舞台。勿論RPGパートでもそういった要素はあるが、学園と、学園の建つ王都が主に絆を育む場所となる。貴族であれば誰でも入学でき、平民は多額の寄付金を納めるか成績優秀と認められれば権利を認められる。特に後者は“特待生”と称される、やがて貴族の後援を受けたヒロインが背負う肩書だ。
オヌール学園は生徒間の自主性を育てる目的から全寮制で、特殊な事情がない限り通いは基本的に禁止。金銭的余裕がある者は使用人と護衛を最大各一人ずつ雇うことができ、学業に影響のない範囲であれば生徒間で雇用関係を結ぶことも許されているが、その場合は無理強いを防ぐために雇用者と被雇用者がそれぞれ事務局へ申請手続きに向かわなければならない。職員が様子を見て、本当に強引な契約でないかどうかを確認するためだ。閑話休題。護衛や使用人云々は置いといて、私にとって重要なのは全寮制という部分である。
そう、全寮制。長期休暇で帰省する時以外は四年間、お父様の目を気にせずに外出することができる夢のような環境!!遊び惚けるつもりはないけれど、せっかく異世界に生まれたのだから街並みだって楽しみたい。デュポン領には畑と牧場以外の人工物なんて点在する小さな村や町ばかりで、繁華街と呼べるような賑やかな場所はなかったし。
学園に入学したら此処に行ってみたいなと、地方に住んでいる貴族向けに発行された王都の店舗カタログを、目星を付けながらパラパラとめくる。使用人や代理人を立てて商品を買いに行かせるシステムの、通販雑誌のようなものだ。商売の系統ごとに雑誌が分かれているほか、イラスト付きの目録が掲載されていて、見ているだけでもなかなかに楽しい。女性に人気だという生菓子店のページを眺めていれば、部屋を訪れたメイドが出発の時間を告げに来たので、返事をして立ち上がる。今日は今期社交界シーズン中にある、数少ない私の外出日。シャルリーヌ様のデビュタント当日だ。
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フェリエール侯爵家のタウンハウスは、デュポン男爵家のそれとは比べ物にならないほど広い土地に建つ、豪奢でありつつも優美な屋敷だった。エントランスホールを抜けた廊下の先にあるメインホールへ通されれば、そこは着飾った多くの人々で既に賑わう、きらびやかなパーティー会場。同行者らしい大人達は別として、招待されたらしい年の近い少年少女までもが各々のグループに分かれているのは、やはり貴族らしいというべきか。少ししてから現れた本日の主役であるシャルリーヌ様も、取り巻きらしき令嬢達と談笑している。できれば関わり合いになりたくない人物の一人だが、招待された身としては挨拶せねばなるまい。馬車を降りてからずっとエスコートしてくれていたお父様に声をかけ、きゃらきゃらと姦しい輪に近づいた。
シャルリーヌ・フェリエール侯爵令嬢は、『虹エト』におけるヒロインのライバルにあたる。嫌がらせをしてきたり、授業で張り合ったり、遭遇するたびに何かとマウントを取ってくる、“悪役令嬢”らしい高飛車で傲慢な人物だ。しかしメインキャラクターなだけあって、帝国随一の美女と称されるほど彼女は華やかで麗しい容姿をしていた。絹のように艶めく銀色の髪、涼やかな青い瞳、滑らかな白い肌とバランスの取れた肢体。これ以上ないほどの家柄と外見だけでなく、さらには皇太子の婚約者という約束された未来まで。こんな勝ち組みが平民のヒロイン相手に本当にプライドを刺激されるのかは疑問だが、だからこそ性格という欠点を設定に盛り込んだのだろうか?・・・・・・いや、“お約束”にツッコんじゃいけないな。そこんとこ気にするのはやめよう。気を取り直して、私はお辞儀をしつつシャルリーヌ様方に声をかけた。
「ご歓談中、失礼致します。シャルリーヌ様にご挨拶しても宜しいでしょうか?」
本来、身分が下の者が上の者に話しかけるのはマナー違反とされるが、今回は“デビュタントのお祝いを言いに来た”という形で許されている。皇族のデビュタントの場合は別で、伯爵家以上の上級貴族でなければ、あちらから話しかけられない限り声をかけることはできない。
「宜しくてよ」
下げたままの頭に、鈴を転がすような声が降ってくる。声まで美人だなぁと思いつつ頭を上げ、姿勢を正してからカーテシーと共に祝いの言葉を述べた。
「デュポン男爵家ランメルトが長女、ミシェルと申します。シャルリーヌ様、この度はデビュタントの日を迎えられ、誠におめでとうございます。また、このような祝いの席にお招きいただきましたこと、大変光栄に存じております」
「――――――・・・・・・」
「(ん・・・?)」
「っ、ありがとう、存じますわ。ミシェル様・・・祝いの言葉、確かに受け取りました」
「こちらこそ、ありがとう存じます」
少し妙な間があったが、多分「こいつ誰だっけ」的な間だったのかもしれない。お互い面識もないし、招待状を送るよう指示を出していても、主要な家の令嬢以外は把握していないのだろう。返答と共に嫋やかに微笑みを返されたので、再度カーテシーをしてから退席の言葉を述べ離れた。SNSのフォロワーさんの話と今世の噂だけを聞くと喜怒哀楽の激しい、騒がしいだけの人かと思っていたが、常に感情的になっているわけでもないらしい。さえずるように言葉を交わす様は、私の知る姿より幾分幼いながら品があって美しく、不興さえ買わなければきちんとした貴族令嬢だった。これがヒロインの登場で崩れるんだもんなぁ・・・。
特に知り合いもいなかった私はシャルリーヌ様から離れた後、デビュタントで出すにしては高級な料理を心行くまで堪能。同じように見知った顔のいない他の令嬢と当たり障りのない会話をして時間を潰し、フェリエール侯爵から告げられた皇太子とシャルリーヌ様との婚約発表――水害被災地の慰問からの帰還途中、土砂で道が塞がり迂回したためデビュタントに間に合わなかった――を最後に、その日の私の外出は幕を閉じた。
―――――が!!
「どうか私(わたくし)・・・・・・いや、僕の婚約者になってくれ」
私のデビュタント前日、デュポン男爵家のタウンハウスに颯爽と現れ、シャルリーヌ・フェリエールを名乗る少年がキラキラとした笑顔を向けてくるのは、一体全体どういうことなの!?